ありがとう
――次は来世で会いましょう。
俺の脳裏に、夜瑠の言葉が反芻させる。
「……来世って、いつだよ、バカ」
俺はいつの間にか駆け出していた。
家を飛び出し、小柄な少女の背中を探す。
くっ、どこだ、どこ行った?
そう時間は経っていない。まだ近くにいるはずだ。
俺は先程、夜瑠を介抱してあげた公園まで行った。
「……い、いない」
乱れた息を整えるため、俺は前屈みになり、膝に手をつく。
「……よ、夜瑠」
「呼びましたか? 変態さん」
俺の声に応えるように、淡々とした口調が後ろから聞こえてきた。
「夜瑠!」
振り返ると、そこには一人の少女がいた。
小柄で髪の長い女の子。
輝くような碧眼に、無表情で人形のような端整な容貌。
「なんですか、変態さん。というか、勝手に呼び捨てにしないでください。不愉快です」
「じゃあ、許可をもらえれば、そう呼んでいいか?」
「……わたしは寛容です。五十棲よりも夜瑠の方が、二文字も少なくて呼びやすそうなので、特別に許可します」
夜瑠の表情は相変わらずだった。
でも、心なしか毒気がない。
「じゃあ、夜瑠。俺と――」
これから口にする言葉を最後に言ったのは、一体いつだっただろうか?
はっきりと記憶にないので、少なくとも六、七年くらいは前だろう。
俺は夜瑠を真っ直ぐ見つめ、その言葉を口にする。
「友達になってください」
「……」
夜瑠はすぐに返事をしようとしなかった。
少しだけ俯き、そして夜瑠は俺に背を向けた。
「変態さんは気づいてましたよね。わたしが決して口にしない言葉」
「……ああ」
似た者同士だからだろうか。
夜瑠も俺がそのことに気づいていることに、どうやら気づいていたらしい。
「わたしが小さい頃――」
いや、今も十分小さいぞ。
「――というと、きっと変態さんは、今でも小さいだろ、と思うでしょうから、言い方を変えます」
「……」
「わたしが小学一年生の頃、家に警察が訪ねてきました。それも大勢で。そしてわたしの両親を連れて行ってしまいました。わたしにとってヒーローであった父と、優しかった母を」
「当時のわたしにはどうして両親が逮捕されたか分かりませんでした。わたしの憧れで尊敬していた父と母がどうして……」
「混乱しているわたしを余所に、わたしは一度も会ったこともなかった親戚の家に引き取られました。しかしその家では……わたしは邪魔者である、とすぐに気づきました」
「学校でも家でも色々と嫌なことがありました。そうこうしている内に、わたしはどうしたら一番傷つかずに済むかを考えていて……今の、無表情、無関心を身につけました。……まあ、自分と似た感じの人に出会って、その仮面は少しずつ剥がされてしまいましたが」
そうだな、お互いに。
「変態さんなら、今の話で分かりますよね。わたしがあの言葉を言わない理由」
「ああ。分かるよ」
――ありがとう。
それは単に感謝の気持ちを表す言葉ではない。
それを発する瞬間に限って、相手に気を許すそんな言葉だ。
だから、孤独の中で一人生きてきた夜瑠は、その言葉を使わない。
気を許せば、生きていけないから。
もしそんな夜瑠が、その言葉を使うというなら、それは――
「だから、変態さ……いえ、健斗さん」
夜瑠が初めて俺の名を呼ぶ。
「健斗さんへのお返事の言葉はこれです」
ようやく振り返った夜瑠は、俺を真っ直ぐ見つめてこう言った。
「ありがとう」
俺が初めて見た、五十棲夜瑠の屈託のない笑顔は――とても綺麗だった。




