アンラッキー
「ところで変態さん。豚箱の居心地はどうでしたか?」
今までは一応は流れみたいなものがあったのに、無理やり悪口を入れてくる夜瑠。
宣言通り、服が洗濯し終わるまで、ひたすら悪口の応酬をしようというのだろうか?
「どうしたんですか? 狭くて暗い刑務所の居心地は、どうでしたかと聞いているんですよ?」
「勝手に前科持ちにするな」
「ああ、そうでした。今日のせいで、これから入るんでしたよね。ご愁傷様です。面会には一度も行きませんので、一人で反省してくださいね。変態さんの異常性癖が治るとは微塵も思いませんが」
「言いたい放題だな。もし俺が警察に事情聴取でもされようなら、すぐにでもおまえのところにも警察が行くように計らってやるよ。覚悟しとけよ」
おまえも道連れにしてやるよ。
「そして変態さんは、嘘の情報を提供したとして、裁判官の印象を損ね、刑期が大幅に延びてしまいましたとさ」
「不吉なナレーションするな」
「現実逃避は感心しませんね。大丈夫ですよ、人生は三十歳からだろうが、四十歳からだろうが、やり直せますから」
「心を折る励ましをありがとう。おまえは他人を挫けさせる才能があるな」
「そうですか? では、そんな才能、社会に出てから発揮しても仕方ないので、今存分に使わせてもらいますね」
相も変わらず無表情の夜瑠。だが心なしか嬉しそうな声音だった。
……まあ、今日くらい付き合ってもいいか。退屈凌ぎにはなるし。
「そういえば、五十棲は昼まだ食べてないよな?」
冷蔵庫にはなにもないが、インスタント麺くらいは残っていたはずだ。
「何ですか? 餌付けですか。変態さん的には基本ですね。気持ち悪いです」
「……ラーメンとうどん、どっちがいい?」
「うどんが……いえ、自分で作りますので、在り処だけ教えてください」
夜瑠は立ち上がる。
「妙なものなんて入れないから、安心しろ」
「いえ、信用なりません」
きっぱりと断言した夜瑠は、キッチンに向かおうとして、つるっ――
長いズボンの裾を踏み、滑る。
「ちょ、危ない!」
咄嗟に身体が動いていた。
俺は、前のめりに転倒しようとしている夜瑠と床の隙間に滑るように入り込み、夜瑠を抱きしめるように受け止める。
予想よりも衝撃は少なかった。見た目通り、夜瑠はすごく軽かったからだろう。
「……だ、大丈夫か?」
俺の腹に顔を埋めた夜瑠は、しばらく動かなかった。
「おい、五十棲……?」
「……自然にハグができて、死ぬほど嬉しいですか?」
顔を上げた夜瑠。一言で言うと、目が怖かった。あと声も。
目に見えて怒っていらっしゃる。あの無表情で人形のような少女が。
「とりあえず、手、離してもらえますか?」
無意識の内に夜瑠の背中に両手を回していたらしく、俺は返事もなく夜瑠の指示に従う。念のために言うが、夜瑠が怪我をしないように配慮した結果だと思う。意識していなかったので、断定はできないが。
拘束が取れたと見るや、夜瑠はそそくさと立ち上がり――
「……っ!」
俺は絶句した。
夜瑠にはサイズが合っていなかった、ぶかぶかのジャージの下が足首の辺りまでずり落ちていたのだ。
すね。膝。白い太もも。
ゆっくり、確実に、そして勝手に上がっていく俺の視線。
見てはいけない。しかし見たい。
俺は本能(煩悩)に抗うことなく、ついに――
「……な、んだと」
思わず呟いてしまう。
俺の視線の先には、ジャージの下と対をなす存在、ジャージの上が立ちはだかっていた。
皮肉なものだ。
ジャージ(下)のサイズが合っていなかったため起きてしまったラッキーなハプニングは、同じくサイズが合っておらずぶかぶかだったジャージ(上)が、絶妙に肝心なところを覆い隠すという仕事をし――俺がグーで複数回ぶん殴られるという結果だけを残した。
せめて見たのなら、甘んじて罰を受け入れていただろう。
だが、これでは理不尽ではないだろうか。
助けた上に、殴られる。
無論、ドMなんて性癖を持っていない俺には、苦痛でしかない。
とはいえ、力は大したことなかった……一番恐ろしかったのは、感情を押し殺した無表情の少女が、無言で殴るというシチュエーションだ。
シュール過ぎて、マジで怖かった。




