第1話「その顔は王妃に相応しくない」
第1話「その顔は王妃に相応しくない」
王城の大広間は、祝宴のために華やかに飾られていた。
煌びやかなシャンデリア。
磨き上げられた大理石の床。
貴族たちの笑い声と、グラスが触れ合う軽やかな音。
――その中心で。
私は、ひどく場違いな存在のように立っていた。
「エリシア」
名を呼ばれ、ゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、婚約者である王子アルベルト。
整った顔立ち。
優雅な立ち振る舞い。
誰もが憧れる理想の王子。
……かつては、私もそう思っていた。
「少し、いいだろうか」
「はい、殿下」
自然と背筋が伸びる。
周囲の視線が、こちらへと集まり始めているのが分かった。
けれど、それが何を意味するのか――
この時の私は、まだ理解していなかった。
アルベルトは、一歩こちらへ歩み寄る。
そして。
「エリシア。私は、お前との婚約を破棄する」
その言葉は、あまりにもあっさりと告げられた。
ざわり、と空気が揺れる。
「……え?」
自分の声が、やけに遠くに聞こえた。
何を言われたのか、理解が追いつかない。
今、婚約を――破棄すると、言ったのか。
「これは国のための決断だ」
アルベルトは、迷いなく言い切った。
その声音には、ほんのわずかな躊躇もない。
まるで――それが正しいことだと、信じきっているように。
「理由は、単純だ」
淡々と、言葉が重ねられていく。
「その顔は、王妃に相応しくない――それが“すべて”だ」
――ああ。
やはり、それなのだと。
どこかで分かっていた。
会場の空気が、ゆっくりと変わっていく。
好奇の視線。
侮蔑。
同情ですらない、ただの興味。
すべてが、私の顔に向けられている。
左の頬を走る、大きな傷跡。
幼い頃にできた、それは――
決して消えることのないもの。
「王妃とは、国の象徴だ」
「その象徴が、見る者に不快感を与えるようでは困る」
ざわり、と再びざわめきが広がる。
――不快感。
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
「……殿下」
声を出す。
けれど、それ以上の言葉が続かなかった。
何を言えばいいのか分からない。
謝るべきなのか。
縋るべきなのか。
それとも――受け入れるべきなのか。
「……それでも、私は――」
言葉が、途切れる。
続けようとして、できなかった。
胸の奥に残っていた何かが、そこで静かに崩れ落ちた。
――ああ。
まだ、どこかで信じていたのだ。
この人なら、と。
けれど。
「安心しろ」
アルベルトは、わずかに口元を歪めた。
「代わりの縁談は、すでに決まっている」
――その一言で。
最後に残っていたものが、完全に消えた。
ああ。
もう、すべて決まっていたのだ。
私の意思など、最初から関係なかった。
「辺境を治める伯爵だ」
「名は――ヴァルド」
その名が告げられた瞬間。
周囲の空気が、わずかに変わった。
息を呑む気配。
視線が揺れる。
その反応だけで、十分だった。
――ただの相手ではないのだと。
「お前には十分すぎる相手だろう」
その言葉に、何人かがくすりと笑った。
――ああ。
そういうことか。
私は、そこに収まる程度の価値なのだと。
ゆっくりと、息を吸う。
胸が痛む。
けれど、不思議と涙は出なかった。
泣く資格すら、もう残っていない気がした。
「……承知いたしました」
驚くほど、静かな声が出た。
それが自分のものだと気づくまで、少し時間がかかった。
ざわめきが、わずかに強くなる。
同情でも、驚きでもない。
ただの――見世物を見るような視線。
けれど、もういい。
これ以上、ここにいる理由はない。
ゆっくりと頭を下げる。
視界の端で、アルベルトが興味を失ったように視線を逸らすのが見えた。
それが、すべてだった。
踵を返す。
一歩。
また一歩。
背後から聞こえる笑い声も、囁きも。
もう振り返らなかった。
――その時だった。
ふと。
誰かの視線を感じた。
それは、これまでのどの視線とも違っていた。
侮蔑でも、好奇でもない。
ただ、静かに――
“見ている”だけの視線。
思わず、足が止まる。
振り返ることは、しなかった。
けれど、なぜか分かった。
それが――
これから私が嫁ぐことになる男の視線だと。
名は、ヴァルド。
無愛想で、冷酷で。
誰にも心を開かないと噂される男。
――けれど。
なぜか、その視線は。
少しも、冷たくなかった。




