51、ヤーパン観光⑥
「ご主人様ーっ!」
ヤーパン二日目の朝は、隣の部屋に人がいたら苦情がくるレベルの騒がしさで迎えた。二つ隣の老夫婦からは「若いわねぇ」と微笑まれた。
「ユリア、重いって。ギブ、ギブ」
「ユリアじゃないよー」
彼が目を開けて胸の上を見ると、黒いニーソが見えた。
「時雨かよ。ユリア、ごめんね。ほら、時雨もどいてよ」
その時、「失礼ね」と頭の上の方から聞こえた。寝たまま上を向くと、窓際で紅茶を飲んでいる時雨と目があった。
「じゃあ」と胸の上に視線を戻すと、黒いスカートが見えた。この中でスカートを履くのは、フィーとルシェだけだ。そして、フィーなら白を選ぶだろう。
そういえば、ルシェも黒のニーソだった。
「なんだ、ルシェも黒だったのか」
彼の上に右足を乗せていたルシェが、ぱっとスカートを押さえて、両足を彼の上に乗せた。そこまで重くはないが、かかとがちょうどみぞおちにフィットしている。
「うっ。ルシェ、誰の命令だ」
「じゃんけんで負けた」
どうして、罰ゲームがこれなんだか。
「ユリア、助けてくれない?」
「うーん、時雨にお怒られちゃうから、ゴメンね、ご主人様」
やっぱり、お前だったか。
無理やり起き上がれば、ルシェはバランスを崩して落ちてしまうだろう。片足しか乗せていなければ、この手が使えたが、完全に機を逃してしまった。
はあ、と半ば諦めて布団に横たわると、座椅子に座ってお茶を飲んでいるフィーとセリアが目に映った。その時、彼の頭にあるアイデアが浮かんだ。
「セリア、お前の妹あれでいいのか?」
「何か文句でもあるの?」
「そうじゃなくてさ、ユリア、時雨の言う事の方が素直に聞いてない? これで」
バンッと、湯呑みが机に叩きつけられた。
セイジがさらに煽り立てようとした口をつぐみ、恐る恐る彼女の方を見ると、いつもとは明らかに違う雰囲気だ。
フィーは下を向きながら、両手で湯呑みを掴んで膝の上に置いた。その後は目をぎゅっと瞑って、何も起こらないことを祈るばかりである。
いつも平然とすましている時雨も、ティーカップを保つ左手が完全に停止している。
「ユリア、彼を助けてあげなさい」
「う、うん、分かった」
ユリアがルシェに近づくと、彼女は自分から飛び降りて、ユリアの後ろに隠れた。もはや、誰を助けたのか分かったもんじゃない。
そのままユリアは作り笑いを浮かべて、皆に手を振ってから、朝食のため食堂に向かうセリアの後を追っていった。
ユリアの背中がドアの向こうに消えると、彼らは一斉に息をついた。
「はあぁ」
安堵のため息というより、息をするのも忘れていて、いつの間にか息苦しくなっていたのだ。
「しっかり地雷を踏み抜いたわね」
「まあ、そうだね」
「私もちょっと調子に乗ったけど、あなたが収拾しなさいよ」
「やってみる」
黙ってお茶を見つめていたフィーは、やっと机の上にお茶を置いて、ん〜と伸びをした。一方、ルシェは緊張が一気に解け、気が抜けたあまり机に突っ伏している。
「地雷ってなに?」
「んー、悪口みたいな?」
「じゃあ、お兄ちゃんが悪いね」
「ほら、言われてるわよ」
「いや、地雷ってもっと偶発的なもんだろ」
「でも、分かってて踏み抜いたのよね?」
「まあそうだけど、トラバサミくらいの認識だったんだって」
時雨はぐだぐだ言い訳を始めたセイジから目を逸らして、フィーとルシェに視線を送った。
「私たち女子会の総意は、あなたが悪いということで」
「え、そうなの?」
「そうよね、フィー、ルシェ」
セリアとは別種の威圧感を受け、二人はうんうんと首を振って、大賛成アピール。
冷静なルシェと、一番セイジよりのフィーにまで、こう言われては認めざるを得ない。彼は重い腰を上げた。このまま微妙な空気が続き、仲違いみたいになるのが最悪のシナリオだ。
「じゃあ、行ってくるよ」
「ええ、私たちは見物しているわ」
セイジは食堂に着くと、セリアたちが座っている机を見つけ出し、向かい側の椅子に腰掛けた。
「あのさ、さっきは」
席につくと、その空気にいたたまれなくなった彼は思わず口を開いてしまった。何を言うかはまだ考え中だ。
その頃、食堂の隅では、三人が柱の陰から顔を覗かせていた。
「時雨お姉ちゃん、お兄ちゃんは大丈夫なの_?」
「心配するだけ損よ」
「そうかなぁ」
フィーが心配そうに彼の姿を見つめる中、ルシェは前のめりになって、辺りを見回していた。
「これ、楽しい。探偵の気分」
見た目相応にまだ子供っぽさが残っているだろう。
各テーブルに並ぶ、今まで見たことない和食を食い入るように眺めていた。ショートケーキのような直方体、白い泡を吹いた茶色い豆たち、茶色いスープ。
「時雨お姉ちゃんは心配じゃないの?」
「別に……私の問題じゃないし」
またもや、時雨はプイッと顔を背けた。だが、その物憂げな視線の先は変わっていない。
「それどころじゃない。時雨も仲直りしないと」
「別に私は!」
声が大きくなった彼女に、慌ててフィーが「しーぃ」と唇に人差し指を当てた。
「……とりあえず、問題ないわよ。別に私はこのままでもいいし。彼も気にしてないわよ」
「なら、フィーとユリアの邪魔はしないでね」
彼女のサバサバしたところが、時雨のプライドを刺激する。自分が除け者にされたようで癪に障る。不要なものとして切り捨てられたようにすら感じる。
しかし、それ以上に彼女を苛立たせるのは――。
「そうね、もう勝ってる私が二人の邪魔したら悪いものね」
「ふっ」
ルシェが短く息を漏らした。彼女らしくない挑発だ。
委員長という肩書きに縛られていない、人一倍プライドの高い時雨がその挑発を受けて、それを黙って呑み込む道理はない。
「何、挑発してるの」
時雨のように冷たく身にしみてくる言葉と視線をルシェに向ける。
ところが、顔色一つ変えず何食わぬ顔で、ルシェはそれを真正面から受け止めた。
「彼だけにでいいから正直になるべき」
「……」
彼とケンカした日から彼女がちょうど悩んできたことを言われ、「彼って誰よ」や「これが私の本心だから」などという言い訳をしても、全てを見透かされている気がして、黙る他無かった。
「じゃあ」
「ちょっと、どこ行くのよ?」
「ほら、もう終わってる」
時雨が「えっ」とルシェの死線の先を見ると、セリアが手招きしている。さっきまで話題にしていた彼は、気恥ずかしさを紛らわすために、小刻みに水を飲んでいる。
彼らの話は、二人が謝ることで幕引きとなったのだ。
話し中に、セリアは三人の視線に気づくと、急に自分がしたことが恥ずかしく思えてきたのだ。心配をかける姉なんて、私の目指すそれとは対極に位置する。そう思う中、ユリアの不安顔を視界の隅で捉えるなり、ムキになった自分が悪いと謝った。
そこで、セイジもセリアを傷つける発言をしたことを謝って、無地に解決だ。
「よかった、よかった」
「ほんと、よかった、よかった」
その後、自分に心配をかけた彼にムカついた時雨と、二人が仲直りできて大喜びのユリアの粋な計らいで、二人は島流しになり、窓際のカップル席で赤面した顔を四人に見られながら、味を感じない朝食を食べることとなった。
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