19.第二の人生(2)
「それで、話って?」
人払いを終えたフレデリックが私を見る。
私は今日覚悟を決めてここへ来た。
小さく深呼吸をした後で、持っていた書類を取り出すと、フレデリックに向けて突き出す。
「お父様から書面を貰って来たの。私たちの婚約を要求するものよ」
「え……?」
「それから、貴方のお父様にも許可は貰ってる。こうなったら断る理由なんてないわよね?」
双方の家が決めたこと。もともと私たちの婚約は、そこから始まった。
私が一度死んで解消されてしまったけれど、その復活は容易いものだった。こうなってしまえば、昔から親に従順なフレデリックは従うしかないだろう。
「……どうしたの? アイリスらしくないね、こんな強引なことをするなんて」
フレデリックは目をぱちくりさせた後で、落ち着いて理由を問う。
私だって、はじめはこんな方法を取るつもりはなかった。いずれお父様に、フレデリックとの婚約の復活をお願いしようとは思っていたけれど、ちゃんと彼と話をつけた後で話す予定だった。いくら家同士の結婚とはいえ、本人の気持ちは尊重したいから。
だけど――
「フレデリックを手に入れるためなら、手段を選ばないことにしたの」
わがままだと、自分勝手だと思われても構わない。そのほうが好都合だ。
「フレデリックは私は優しすぎると言ったけれど、そんなことない。私だっていつも自分のことばかりよ」
十年前、自分の身体と引き換えに魔女と契約したことも、十八歳の誕生日にバルコニーから身を投げたことも。全部全部、自分がしたくてしたことだ。実際フレデリックは、そんなこと望んでいなかったのだから。
「貴方は私が自分といると不幸になるって言ったけれど……私にとっては、貴方がいない世界のほうが耐えられないの。諦めるなんてできない」
せっかく身体を取り戻したのだから、今度こそ好きに生きたい。
――だから多少、強引に事を進めたっていいでしょう?
そんな気持ちを伝えきると、フレデリックはなぜかこらえきれず笑みをこぼした。
「っ、どうして笑うの? 私、真剣に言ってるのに……」
「うん、ごめん。アイリスがあまりにもらしくないことを言うから、また魔女にでも憑依されたんじゃないかって……」
「らしくないって……私はこういう人間よ?」
ムッと唇を尖らせると、フレデリックは「そっか」と笑って、私を宥めるように謝罪を付け加えた。
「アイリスのこと、わかってるようでわかってなかったみたいだね」
「こんなに長い付き合いなのに?」
「当然だよ。俺たちはこの十年、一緒にいたようで一緒にいなかったんだから」
フレデリックの言葉にはっとする。
確かに、私が知っているフレデリックは、八歳の時のまま。その後の彼については、カーミラと接していた表面上の彼しか知らない。
好きなものも嫌いなものも、普段彼がどんな生活を送っているかだって、ちゃんと答えられる自信はなかった。それは彼も同じだろう。
「だから、正式な婚約についてはもう少し先にしよう。お互いのこと、知らないことはまだまだたくさんあるだろうから」
「でも……」
そんなふうに言われては、少し不安になってしまう。今の私を、彼が好きになってくれるのか、と。
だけどフレデリックは私の気持ちを汲んで、優しく続けた。
「大丈夫、俺はどんなアイリスも好きになるよ。本当は今だって、君を抱き締めてキスして、俺だけのものにしたいって思ってる。やっと君がこっちを向いてくれたんだから」
「っ、フレデリックってそんなことも言うのね」
「知らなかった? 俺はアイリスが思っているような誠実な男じゃないかも」
フレデリックが艶っぽい笑みを浮かべて私の手を取る。
「――だけど今はそんな強引なことはしないよ。今の俺のことをちゃんと知って好きになってほしいから」
そして、私の手の甲に柔らかく口づけを落とした。
「それから、アイリスのことももっとたくさん教えてほしい」
柔らかな笑みに、不安がかき消されていく。
根拠もないのに、彼を信じようと心から思った。
「うん、私も……どんなフレデリックだって好きになる自信があるわ」
そう一言告げて、笑顔を返す。
「……ありがとう。あとは君を誰にもとられないようにしないとだね」
「えっ? どういう意味? 私はどこにも行かないわよ」
「ううん、こっちの話」
フレデリックがやれやれと肩を竦める。
その意味はわからなかったけれど、何だか前までのような気まずさが消えたような気がして、嬉しくなった。
フレデリックが私の手を取ったまま、碧い瞳でこちらを見つめた。
「やっぱり、抱き締めてもいい?」
「えっ!?」
「嫌ならしないけど」
「嫌、じゃないわよ……ただ……」
恥ずかしいと言う前に、フレデリックの腕に抱かれる。
思っていたよりも身体は大きくて、力強くて、全身を守られているようなそんな気分になった。
お互いに何も言わないまま。心地良さに身を委ねていると、そっと彼が身体を離し――
「……やっぱり、キスも」
「っ……」
今度は私の返答を聞く前に、唇を塞がれた。
生まれてはじめてのキスは、突然のことでよくわからなかったけれど。
あたたかくて、ドキドキして、このまま時が止まればいいのにと思ってしまうほど、幸せだった。
ここから奪われた私の十年を取り戻していく。
そして、奪われた十年よりももっと長い時間を、私自身の意思で生きていく。
まだ第二の人生は始まったばかり――
fin
ここまでお読みいただきありがとうございました。




