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18.真実(3)


 十年前のあの日のことは、正直俺もよく覚えていなかった。

 唯一覚えているのは、崖から落ちたアイリスを救おうと掴んだ手の感触だけ。

 その後は、痛くて苦しくて、時折アイリスが俺の声を呼ぶ声が聞こえただけで……気づけば、ベッドの上で寝かされていた。全身に痛々しい大怪我を負って。

 幸いアイリスは無事で、俺の怪我もみるみるうちに回復していった。だから、問題ないと思ったのだ。次にアイリスと会うまでは。



 療養後、俺はすぐにアイリスの元へと向かった。一度も顔を見せることがなかった彼女の無事を確認するために。だけど、そこにいたのは俺が知っているアイリスではなかった。

 不機嫌そうに、こちらの目すらも見ない。使用人たちに対して傍若無人に振舞う姿は、わがままを超えて悪女だと思った。

 そして考えた。崖から落ちたショックで彼女の人柄が変わってしまったのではないか、と。その時は、そう思うことが自然だった。

 しかし、どうしても腑に落ちない点があって……その違和感の正体に気づいたのは、事故から数年経った後のことだった。

 それは、両親から事故の話を詳しく聞いた時のこと。両親はそれまで事故の話をあまり口にしたがらなかったから、俺自身も聞くことを避けていたけれど、ふと曖昧だった記憶をちゃんと思い出したいと思ったのだ。

 そして両親から、あの日、俺たちが落ちた場所は魔女の森だったこと、そして俺は重症だったにもかかわらず回復が驚異的に早かったことを聞いた。それこそ、魔法を使ったみたいだったと。

 その時に嫌な胸騒ぎがして、すぐに魔女の森のこと――魔女の逸話について調べた。

 結局、確証はなく、すべてが明らかになったのは彼女の十八歳の誕生日だったのだが。


「十八歳の誕生日、私にくれた指輪は一体何だったの……?」


 俺の話を受けて、アイリスが問う。彼女は、寝ている間にすべてのことを思い出したらしい。


「あれは聖石で作った指輪だよ。魔女の唯一の弱点。どんな邪悪な魔法を使う魔女でも、あの石を前にするとその魔力が弱まると調べてわかったんだ。あくまで逸話だから、賭けでしかなかったけどね」

「じゃあ、森で魔女や魔獣に突き刺したものも……?」

「そう。剣を作るほどの聖石を集めるのは大変だったけど、ちょうど少し前に君とレイが魔獣に襲われた事件があって、魔獣の存在が明るみになった。そのおかげで資金調達ができたんだ」


 聖石の効果は、既に確認している。レイモンドは理由を追求することなく、魔獣対策を俺に任せてくれた。そのことは、彼に心から感謝しなければ。


「やっとその準備が整って屋敷に戻ったら、グレンから報告を受けたんだ。アイリスたちが馬車に乗って森の方へ向かったのを見たって」


 あとほんの少し早く動けていれば、アイリスが襲われることはなかった。逆に言えば、あとほんの少しでも遅ければ、彼女を永遠に失っていたかもしれない。

 そう思うと、また胸が苦しめられた。


「ごめんなさい、私何も知らずに……シャーロットのことだって、気づいていればもっと慎重に動けたのに……」

「もともと彼女とは仲良くなかったんだから、仕方ないよ」


 俺もさほど仲が良かったわけではないが、一度だけ、彼女の馬車が雨の中で立ち往生していた時に助けたことがあった。もちろん助けたのは、俺の御者だったけれど、彼女は丁寧に屋敷にまでお礼に来たことを覚えている。

 だから違和感があったのだ。次に、シャーロットに誘われ四人で狩りへ行った時、彼女の様子がどこかおかしかったから。

 以前はおどおどとして、大人しそうだったのに、急に強気になり積極的に迫ってきたことが。まるで人が変わったのだと思った、昔のアイリスと同じように。


「……だから、舞踏会の日。彼女からのパートナーの誘いを受けてわざと接触した。君にあげたものと同じ、口紅を贈るために」

「口紅を……?」


 アイリスへ贈った口紅にも聖石が含まれていた。それで試したのだ。アイリスが魔女でないことと、シャーロットの正体を確かめるために。

 その時彼女と接触したことで、アイリスを悲しませてしまったのは誤算だったけれど。

 すべてを話してもなお、アイリスはまだ理解が追いつかないのかぼうっとしたまま。


「ごめん、病み上がりなのに話し過ぎたね。もう少し休んで――」

「待って……」


 立ち去ろうとする俺の腕を、アイリスが掴む。

 そして震える声で、俺を見上げた。


「ひとつだけ知りたいの。どうして、私を拒んだの……?」

「それは……」


 そんなの単純な理由だった。複雑なことなんて、何もない。

 アイリスには言うまいと覚悟を決めていたけれど、すべてを知られてしまった以上隠すには無理があるし、何より彼女の泣きそうな顔を見たら心が揺らいでしまった。

 もう彼女を悲しませたくないと、覚悟したことなのに、またそんな顔をさせてしまっている自分が情けなくて仕方がない。


「……君を、守りたかったからだよ」

「え……?」

「君は優しすぎる。だから君は俺といると、不幸になるんだ」


 アイリスの中に魔女がいる、十年前のあの事故からずっと。そう確信した時、彼女が自分の身体と引き換えに俺の命を救ったことは、すぐにわかった。

 彼女を救うことが罪滅ぼしだと思い、俺が覚悟を決めて取った行動で、彼女は自らの脚を刺し、その身をバルコニーから投げた。俺を魔女から守るために。


「もしあの時、もっと考えて動いていたら……君はあんなことをしなかった。他に救える方法があったかもしれないのに」

「そんなこと――!」

「理由はそれだけじゃない」


 二度も自分のせいで彼女を失った。そのショックは計り知れなかった。

 だからアイリスが生き返ったと聞いた時、嬉しくも、怖くもなった。また、彼女を失えば、耐えられないと。


「君のため、と言いつつも結局自分のためだった。そんな俺に君の傍にいる資格はないよ」

 それが、俺のちっぽけな覚悟のすべてだった。


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