11.お誘い合戦(2)
◇
アイリスが去った後で、彼女が刺繍を入れたというハンカチーフを見つめる。
これはきっと舞踏会へのお誘いのための品。だけどもうひとつ、刺繍入りのハンカチーフには意味がある。女性から、想いを伝える時に渡すものなのだ。
「アイリス……」
彼女の指先には、針で刺したような痕がいくつもあった。血は止まり目立ってはいなかったから、痛くはないのだろうけれど。それもこれも、全部自分のためだと思うと複雑な気持ちになる。
――もう少し、彼女に歩み寄ってもいいのだろうか。
今の所、何かが起きそうな予感はない。それでも確証はなくて不安になる。同時に一度した決意が揺らいでいる自分が情けなくもなった。
ハンカチーフにはまだ彼女の残り香があって――そっと口づけを落とした。
◇
王城の執務机の上に山積みになった書類。それを見てため息が漏れた。仕事のものならば早急に対応するが、内容が内容だけに、一向に気乗りがしない。
いっそ捨ててしまおうかと考えていると、傍で侍従が「なりません」と声をあげた。
「レイモンド様、お願いですからパートナーをお決めください。こんなに誘いが来ているんですから」
「身の程知らずだな、俺のパートナーになろうなどと」
「そう仰らずに。お断りするならば早くお返事をしないと、ご令嬢たちも代わりのパートナーを探す時間がありますでしょうし……」
「どうせ皆、自分が選ばれるとは思っていない。気にするな」
パーティーの度に来る誘いには、うんざりとする。それだけではない、ここ最近は、縁談話も次から次へとやって来て、すべてを燃やしてしまいたい衝動にかられる。
地位にしか興味のない女どもと結婚するくらいならば、独り身でいたほうがいい。もちろん、跡継ぎのためにも誰かを娶らなくてはならないことも承知しているが、今すぐにというわけでもない。故に、こういった相手探しはいつも面倒になる。
「最悪、相手などいなくてもいいだろう」
「レイモンド様……」
今度の舞踏会は王室主催のもの。ならば、王太子である自分が規則を守るべきとでも言いたいのだろう。
侍従は頭を悩ませた後で、「つかぬことをお聞きしますが」と切り出した。
「まさか、あの方からのお誘いを待っているわけでは……」
「遠回しな言い方は好きじゃない。言え」
「……ハミルトン公爵家のご息女様です」
「はっ、俺があいつの誘いを待っていると? 笑わせるな」
「申し訳ございません。ですが、妙ですね。お誘いがないのははじめてではないですか?」
侍従の言う通り、アイリスはパーティーの度に俺の元を訪れては「私を選んでくださいませ」と乗り込んで来ていた。皆が手紙を贈ってくるのに、あの女だけはいつも堂々とやって来る。
今回もそのうち来るだろうと思っていたのに、ここまで姿を現さないのは想定外だった。
――この間の礼に考えてやらないこともなかったが……どうやらあいつは、みすみす好機を逃す女らしい。
「運が良いのか悪いのかわからない女だな」
「レイモンド様……?」
「気が変わった。急ぎ装飾店の者を呼べ」
「えっまさか……」
「勘違いするな。貸しを作ったままだと気分が悪いだけだ。わかったらさっさと行け」
「承知しました……」
少ない説明ですべてを把握した侍従が、急ぎ部屋を後にする。俺は執務机の書類を取ると、近くの暖炉の上に投げ込んだ。
「――幸運に思え、アイリス・ハミルトン」
◇
「はっくしゅん……!」
なぜだか突然寒気がして、身をぶるりと震わせる。両腕をさする私に、すぐさまハンナが毛布を持ってやって来た。
「お嬢様、大丈夫ですか!? もしや風邪でも引かれたのでは……」
「大げさね、大丈夫よ。この通り元気だから」
フレデリックを舞踏会に誘って数日。今日はなんと彼が返事をしに公爵邸まで来てくれることになっていた。
断るためだけなら、きっと手紙で済ませたはず。それなのに直接会いに来るだなんて……。
「これはきっと、良いお返事ですね!」
ハンナも同じことを思っているのか、朝からそわそわとしていた。
「まだわからないわよ」
期待して裏切られたくはない。だけど、さすがに良い話である気がして、私もついつい頬が緩んでしまっていた。
「だから今体調を崩すわけにはいかないわ。舞踏会までもうすぐなんだもの」
「ですね! では身体が冷えないように温かいお茶でもお持ちいたしますね」
「気が利くわね、ありがとう」
「いえ! では少々お待ちを――きゃあっ!?」
「ひゃっ!?」
上機嫌で部屋を出て行ったハンナが悲鳴を上げる。同時に扉を開けようとしたであろう他の侍女が、驚きのあまり声を上げた。
いつも皆、部屋にはおそるおそる入って来るのに、その慌ただしさに違和感を感じる。
「大丈夫? 二人とも……」
「し、失礼いたしました……あの、アイリス様に、届け物がございまして……」
侍女が息を切らしながら説明をする。届け物など珍しいことでもないのに、やはり様子がおかしい。
――もしかして、フレデリックから? でもこれから会うのに? それじゃあサミュエルかしら?
数少ない知り合いを思い浮かべ頭を捻らせていると、やっと息を整えた侍女が勢いよく切り出した。
「レイモンド王太子殿下からです……!」
「え……今何て……?」




