2.告白と拒絶
翌日、私はすぐにハミルトン公爵邸からそう遠くない、とある屋敷へと向かった。
久しぶりに訪れるその場所は、昔と何ら変わっておらず、懐かしさに安堵する。
フレデリック・スチュアート――由緒正しき侯爵家の長男で、美丈夫。普段から口数は多くなく落ち着いた印象を受けるけれど、時折見せてくれる微笑みがとてもあたたかく、太陽みたいな優しさを兼ね備えた人物だ。
フレデリックは、私の幼馴染であり婚約者であった。そして、私は彼が大好きだった。初恋であり、生涯の想い人になると信じて疑わなかった――カーミラに憑依されるまでは。
カーミラはどういうわけか、フレデリックのことを嫌っていた。おそらく、問題は彼の爵位にある。フレデリックも上位貴族ではあるものの、爵位としてはアイリスのひとつ下。カーミラはそれが気に入らなかったのだ。
だからカーミラは、フレデリックを拒絶し何度も婚約破棄を申し出た。それでも、フレデリックは要求を決してのまなかった。代わりにめげることなく、真っ直ぐな愛情を注いでくれたのだ。
――もしかしたらフレデリックは、私の身体が憑依されていることに気づいていたのかもしれない。何
も確証はないけれど。
「アイリス、目を覚まして」――フレデリックは時々そんな言葉を私にかけた。「俺が知ってるアイリスは、そんなことは言わないはずだよ」と、カーミラのわがままに屈することなく。
そんな彼に、私は感謝している。身体を奪われ、生きることも死ぬこともできず、真っ暗闇でひとりぼっちだった私に、彼だけが救いの手を差し伸べてくれていた気がしたから。
そして、申し訳なさもいっぱいある。いくら自分の意思ではなかったといえ、彼にたくさん心配をかけ、傷つけるようなことを言ってしまったから。
――でも、もうここにカーミラの意思はない。やっと、フレデリックに想いを伝えられるのね。
夢にまで見た瞬間が目の前に迫り、鼓動が速くなる。私は呼吸を整えながら、使用人の後をついてフレデリックの私室へと向かった。
使用人が部屋の前でノックをする。そして「アイリス様がいらっしゃいました」と声をかけた後、「入って」と澄んだ声が聞こえてきた。
柔らかく耳障りのいい低音。声を聞いただけで、初恋を知った時のように胸がときめいた。
ドキドキしながら対面の時を待つ。ゆっくりと開いた扉の奥に飛び込んで来た見目麗しい男性に、心臓が止まりそうになった。
「フレデリック……」
彼の名前を呼ぶ度に、泣きたい気持ちになる。
伝えたいことはたくさんあるのに、本人を目の前にすると頭の中が真っ白になった。
すべてを見透かしてしまいそうな瞳が、真っ直ぐと私を射抜く。先に切り出したのは、フレデリックだった。
「どうしたの、こんな朝早くから」
「あっ……ごめんなさい。どうしても、話しておきたいことがあって」
「話?」
――何だろう、この感じ。
淡々とした抑揚のない声に、あたたかさを感じない眼差し。
明らかに私が知っているフレデリックとは違い、萎縮してしまう。
――だけどここまで来たんだもの。落ち着いて、ひとつずつ伝えていこう。
私は違和感を感じながらも、ひとつひとつフレデリックへ想いを伝えていく。
「まず……昨日は葬儀に参列してくれてありがとう。それなのに、生き返るだなんて、驚かせたわよね」
「そうだね……身体はもういいの?」
「う、うん。お医者様も原因はわからないって言っていたんだけど、私はもう大丈夫。長く眠っていたからか、少し身体が痛いくらいで」
「そう……」
やっぱりおかしい。フレデリックならすぐに気遣ってくれるはずなのに。機嫌か、あるいは体調が悪いのだろうか。
彼を心配しながらもなんとなく沈黙が怖くて、途切れないように話を続ける。
「それでね、フレデリックに会いに来た理由なんだけど……私ずっと貴方に謝りたかったの」
「謝る?」
「この十――っ!?」
「この十年のこと」と伝えようとすると、急に喉の奥がカッと熱くなった。
「アイリス……?」
「ごめんなさいっ……実は私十年――っ!」
何度言い換えて説明しようとしても、口にする度に喉が焼けるように熱くて声が出せなくなる。まるで、カーミラに憑依されていた事実だけを口にできない魔法をかけられているみたいに。
――どうして……? カーミラはもういないはずなのに。これじゃあ私、フレデリックに何も伝えられないじゃない。
十年前、魔女に憑依されたこと。それからずっと、自分の意思と反した生き方をしてきたこと。
大切なこと、伝えなくちゃいけないのに、それができないだなんて。
「やっぱりまだ体調が悪いんだね。それならすぐに帰って――」
「待って!」
きっと今、私はすべての想いを伝えることはできない。
だったら、ずっと伝えたかったこと一言でもいい。ちゃんと言わなきゃ。
「フレデリック……私、貴方が好き。ずっとずっと、貴方のことが好きだったの」
「え……」
唐突に出た言葉に、フレデリックが大きく目を見開く。
愛の告白をしている事実に、身体が熱くなるけれど、今はそんなことどうでもよかった。
「こんなこと急に伝えたら驚くわよね、でもどうしても伝えたくて。だから婚約のことも、このまま進めていけたらって思っていて……」
カーミラが何度も破棄しようした婚約。もう彼女に邪魔されることはない。
私が自分の意思で、フレデリックと婚約したいと心から望んでいるのだから。
「だから――」
「アイリス」
もう一度フレデリックへの想いとともに結婚の意思を伝えようとする。けれども、その先は彼に遮られてしまった。彼の声や表情は氷のように冷たく、ぞくりと背筋が凍るほど。
咄嗟に口を噤んだ私に、フレデリックはとんでもないことを言い放った。
「公爵様から聞いてない? 俺たちの婚約はとうに解消されている」
「えっ……?」
――今、何て? 私たちの婚約が、解消された……?
「それに俺はもう君のことを何とも思っていない」
「何ともって……」
「君のことを愛していないんだ」
「どうしてそんな、急に……!」
数日前まで、ずっと想ってくれていたはずなのに。あまりに急なことに、ひどく混乱する。
フレデリックは目を伏せると、小さなため息をついた。
「……急じゃない。本当ははじめから君を愛していたフリをしていただけ。婚約者としての役目を果たすためにね」
――そんな、嘘でしょ……? 何を言ってるの、フレデリック……。
そう聞きたいのに、衝撃のあまり言葉にならない。
「だから、もう俺には関わらないで。俺たちの婚約は解消されたんだから。こうして急に会いに来られるのも、困るよ」
淡々と話すフレデリックは、やっぱり別人で――
私は何を言われたのかまるでわからず、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。




