51 サラの幸せ②
「サラ、俺は今度こそ、君を妃に迎えたい。身代わりの王女ではなく、サレイユの男爵家出身のサラを」
仮面をデスクに置いた彼は限りない優しさを込めて言い、手招きした。それに抗うことなく近づいたサラの腕を取り、自分の膝の上に乗るように正面から抱き寄せてくる。
フェリエの大地のような優しい緑の目が、サラを映している。
薄い唇は幸せそうに弧を描き、骨張った指先がサラの頬に掛かる金色の――以前より少し短く切った髪をすくい上げる。
「俺はサラを妃に迎えたい。そして……もしこれから先、俺が王家から離脱することになっても、俺の妻として共にいてほしい。君と一緒に茶を飲み、共に眠り、君の隣で朝を迎えたいんだ」
熱を込めて語られた言葉。
それはなんて一途でひたむきな、求婚の言葉だろうか。
政略結婚だから、エドゥアール王に言われたから、人質だから、という理由でサラを迎えたときとは全く違う、彼が心からサラのことを欲しているという言葉。
(嬉しい)
誰かに求められ、必要とされ、隣にいてほしいと願われることが、こんなにも――幸せなことだったなんて、知らなかった。
サラは頷いた。
一度では足りないと思って、何度も何度も頷く。
「はい……ありがとうございます、殿下。私を……殿下のお嫁さんにしてください」
「……自分で求婚しておきながらなんだが、本当にいいのか? 俺は今後も部屋に引きこもるだろうし、君に気の利いた台詞を贈ってやることもできない」
「あら、ではいざとなったら私も一緒に引きこもりますよ。それに、殿下からは殿下らしいお言葉をいただけたら、それだけで幸せです。……さっきの求婚の言葉のように」
笑顔で言うと、リシャールは少し目を丸くし、白皙の頬をほんのり赤らめた。眉はぎゅっと寄せ、目を三角にしてサラを睨んでいるが、照れ隠しなのが丸わかりだ。
「……君の幸せはささやかすぎる。もっと我が儘を言ってもいい」
「そんなことありませんよ。むしろ殿下の方こそ、もっとしたいこととかがあるんじゃないですか?」
「俺のしたいこと?」
逆に指摘されたからか、リシャールはきょとんとした後、しばし考え込んだ。
これはよい反応だと、サラはわくわくしつつリシャールの様子を窺う。
(これまであまり、「これがしたい」ということを言われなかったもの。これからは、殿下のお願いもたくさん叶えたい)
与えられるだけでは不満だ。
与えられた分、サラからもリシャールにたくさんのものを返したい。
「……別に、これまで通りの日々を送れたら俺は十分だ。毎日君と会話して、茶を飲んで、それから――」
そこでリシャールはサラを見た後――じわじわと赤く頬を染めた。
(え、なんで?)
「……そ、その。サラ」
「はい」
「……文献によると、過去にもフェリエに存在した俺のような変化系の異能持ちのほとんどは、寿命を全うすることなく若くして死亡している。だからあまり多くの前例がないのだが、少なくとも異能の種類は遺伝に関係がないとされている。俺の異能も偶然生まれ持ったものだから、両親や近親者に似たような力を持つ者はいない」
「……え、ええ……?」
とりあえず相槌は打ったが、いきなり異能について述べ始めたリシャールの意図はよく分からない。
やたら長い言葉を一息で言い切ったリシャールは一旦口を閉ざし、なにやらもごもごしつつ再び開いた。
「つ、つまり……俺の異能は、遺伝するものではない。だから、というわけではないが……いずれ、俺たちの子がほしいと思っている」
「へっ!?」
「こ、子どもだ!」
「わ、分かってます! 聞こえてますから!」
真っ赤になったリシャールに負けず劣らず赤面したサラは、大声で言い返した。
部屋の隅にいたダニエルが「おやおや」、クレアが「あらあら」と言いながら去っていったのを尻目に、サラは俯いてしまったリシャールに呼びかける。
「あ、あの……つまるところは、私が殿下の御子を生めばよいと……?」
「いや、ちょっと違う。そんな義務であるかのように言ってほしくない。……俺も君も望んで、俺たちの間に子が生まれたら……とても、幸せだと思うんだ」
ゆっくり顔を上げたリシャールはそう言った後、右手の拳で自分の口元を隠し、視線を逸らした。
「とはいえ、俺がいい父親になれるとは思えないのだが……君が生んでくれた子なら、愛せると思う。だから……君も、考えておいてほしい。うん、そういうことだ」
「殿下……」
「サラ、もしよかったら俺のことを、名で呼んでくれないか」
少しだけ目尻の赤い緑の目が、サラを見上げる。
その優しい眼差しに見上げられ――サラはくすっと笑い、リシャールの頬に手を伸ばした。
「……はい、リシャール様」
「……。……もう一度、結婚式を挙げよう。前のは俺の勝手な計画で進めたから、今回は君の意見をしっかり聞き、君が好きなドレスも仕立てさせよう。それから……誓いのキス、だったか? それも是非取り入れたい」
優しい声で未来を語るリシャールは、結婚当初からは考えられないほど穏やかな眼差しをしている。
(私は、この眼差しが好き)
これまで辛い思いをし、幼少期になかなか消せない傷跡をつけられた人が、優しい眼差しを向けてくれる。
それも、サラだけに。
「……はい。あなたの好きなものも、たくさん取り入れましょうね。結婚式の後のパーティーでは……甘いバターケーキを食べましょうか。よかったら私、作りますよ」
「それはいいな。とても……素敵だ」
目を細めたリシャールが、「サラ」と呼ぶ。
「……これからも君と共に生きたい。……愛している、サラ」
「……私も。あなたと共に在らせてください。……愛しています、リシャール様」
リシャールの肩口に顎を埋めると、優しいサシェの香りがする。
重ねた唇からは、先ほど飲んだマルロ入りの紅茶の味がする。
誰も邪魔しない、二人だけの世界。
そんな二人を、本棚の一角に置かれた薔薇のコサージュが、静かに眺めていた。
フェリエの人間で、王兄リシャールとその妻サラの名を知らぬ者はいない。
様々な出来事を乗り越えて結婚した二人は、夫婦揃って公の場に出るようになり、国民たちからも慕われていた。
後に王兄は、「全てのフェリエ国民に生きる権利がある」として、異能の有無、そして異能の種類に関わらず、その生命を脅かしてはならない、という法律を立案した。
自分と同じような異能を持つがゆえに他者に利用された者、幼くして殺された者、偏見と差別に苦しんだ者など、枚挙にいとまがない。
そういったものをなくしたいと考えた王兄は自らが先頭に立ち、フェリエに古くから続く差別を根絶するよう動き始めたのだ。
彼の立てた法律により、自らの体を獣に変化させる異能を持つ者が離宮に集められた。
変化の異能持ちである王兄が彼らに訓練を付け、異能を持たない外国人である妻が知識を与えることで、社会性や協調性を学んだ彼らの多くはフェリエ軍に加わり、自らが生まれ持った才能を誇りに思って国の役に立とうと志すようになる。
制度が整い、国王エドゥアールが結婚して世継ぎが生まれた頃に王兄は正式に王家から籍を外し、元王族の公爵として弟の政務を補助することになる。
もはや彼が仮面を被るのは癖になっていたようで、彼は臣下に下っても仮面を着ける生活を続けていた。
だが、まれに屋外で仮面を取ったときの彼はいつも、慈しむような眼差しを愛する妻子に向けていたという。
完結です。
お付き合いくださり、ありがとうございました!




