最終話
3日後、低位貴族の講義棟で講義を受け終わったミネリアは、レティーシャとクリストフがどうなったか気にしながらもまっすぐ寮に帰ろうとしていた。もうクリストフを誘惑する必要はないので、高位貴族の講義棟へ行くことはない。
廊下を歩いているところで、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ミネリア様、あの……」
振り返ると、赤い顔をして紫の目をうるませたレティーシャがもじもじしていた。その背後には少し呆れたようなニヤニヤしたような顔のマールもいる。
「レティーシャ様、ごきげんよう」
人前なのでミネリアはふかぶかと礼をして、レティーシャが用件を話すを待つ。……が、レティーシャはもじもじしたままなかなか切り出さない。見かねたマールがそっとレティーシャの背中を押し、レティーシャは覚悟を決めて話し始めた。
「あの、えっと、ミネリア様。こ、これをクリストフに……届けてほしいの……」
マールとミネリアにしか聞き取れないような小さな声でレティーシャは手紙を差し出す。ミネリアが数日前にレティーシャに渡した、クリストフからの手紙と変わらない分厚さだった。
一応受け取ったものの、自分で渡すかマール様に頼めばいいのに……というミネリアの内心が漏れていたのか、マールが近づいてきて囁く。
「レティったら自分で渡すのは恥ずかしくて無理なんですって。それに、私から渡すよりあなたからの方が殿下の素直な反応がわかるんじゃないかって……ごめんなさいね。殿下は明日の放課後に談話室にいらっしゃるはずよ」
「かしこまりました。誠心誠意、お届けいたします」
ミネリアは2人が立ち去った後、ふうっと息を吐いた。また高位貴族の講義棟でぶりっこにならないといけないかと身構えたけれど、談話室に呼び出してもらえているならもうそんなことはしなくて良さそうだ。
***
翌日の放課後にミネリアが談話室に向かうと、クリストフはすでに来ていた。落ち着かないのか、ずっと室内をうろうろしていたようだった。
「ああ、ミネリア嬢……!」
クリストフには、レティーシャに手紙を渡した日の放課後に、レティーシャが手紙を受け取ってくれたこと、反応は悪くなさそうなことは伝えていたけれど、それでもひどく緊張しているようだった。
「ごきげんよう、クリストフ殿下。レティーシャ様からお手紙をお預かりしてきました」
ミネリアの差し出した手紙を、クリストフは宝物を扱うように受け取って大事に胸に抱く。
「レティーシャ様、お顔を真っ赤にされて、とっても可愛らしかったですよ。だから返事の内容もきっと悪いものじゃないはずです」
「そうか……。ありがとう、ミネリア嬢」
クリストフはほっと安堵してへにゃりとした笑みを浮かべた。
「いえいえ。早くお読みになられたいですよね。私はこれでおいとまいたしますね」
ミネリアはクリストフを置いて談話室を出る。
こじれていた二人だけれど、これからはきっとうまくいくだろう。ミネリアは一仕事終えて清々しい気持ちだった。
***
それからというもの、クリストフが女の子を侍らせている姿はぱたりと見なくなった。
そして、少しして、初々しいカップルのような雰囲気のレティーシャとクリストフの姿を時々見かけるようになった。
クリストフを籠絡して手酷く振るというミッションがなくなり、報告会という名の定例昼食会はなくなるかと思いきや、レティーシャの惚気を聞く会としていまだに定期的に開催されている。恋に浮かれるレティーシャが可愛らしいしごはんがおいしいのでミネリアはこの会を楽しみにしているけれど、時々ジルとの話を根掘り葉掘り聞かれることがあって、それは恥ずかしくて勘弁してほしいところだった。
今日もいつもの個室へとミネリアが入ると、そこには普段とは違う人物がいた。
「やあ、ミネリア嬢。お邪魔しているよ」
「ごめんなさいね、ミネリア様。クリスったらどうしてもこの会に一度参加したいって。これは女子会だから、話すことがあるなら放課後にしましょうって私は言ったのに」
つんと唇を尖らせて、じとっとクリストフを見る目には愛情が灯っている。カップルのじゃれ合いにくすくす笑いながらミネリアは席についた。
***
「実はね、ミネリア嬢に伝えなければならないことがあるんだ」
食後の紅茶を飲みながら、クリストフが切り出した。今までのふわふわした雰囲気はおさめて、真面目なトーンだ。ミネリアは背筋を伸ばした。
「はい。なんでございましょう」
「きみの父親——バローナ男爵の廃爵が決まったんだよ」
「えっ!?」
ミネリアは驚いて大きな声を出してしまったけれど、その場にいるレティーシャもマールも平然としている。この情報を知らなかったのはミネリアだけだったのだろう。
「領地の孤児院の孤児たちを他国に奴隷として売りさばいていたことがわかってね。ずっと悪い噂はあって、王家として調査はしていたんだけど、やっと証拠が揃ったんだ。……そろそろ逮捕されている頃合いかな」
「え、え、あの人、そんなひどいことしてたんですか」
「ミネリア様から時々バローナ卿のお話を伺っていたけれど、そのお話の中で卿がよく行く場所などおっしゃっていたでしょう? そこから証拠になる書類が見つかったのよ」
(よく行く場所……? 私からしたら極悪非道の男なのに、意外と敬虔で礼拝堂でよく祈っていたり、救貧とかの慈善活動に熱心だったりして信じられない!……って話なら何度かしたけど……?)
祈っていたわけじゃなくて、屋敷の隅にある礼拝堂に書類を隠したりしていたということか、とミネリアはぞっとした。
「ミネリア嬢。君はバローナ卿による誘拐事件の被害者として扱われる。母君のもとに戻りたいんだったよね」
ミネリアは目の前が滲んできてよく見えなかった。誰かの温かい手が背中に触れて、ミネリアは泣き崩れる。そこから、その日の記憶はほとんどない。たぶん一生分くらい泣いただろう。
***
ミネリアは学園を離れ、王家の手配した馬車に揺られていた。持ち物は小さなカバンひとつ……だったが、レティーシャやマールが見送ってくれる際に山のように餞別の品を詰め込んでくれた。
ミネリアはその中からリボンを2本手に取る。前回レティーシャにもらったリボンは高級すぎて今もくまのぬいぐるみの首元に結んだままだけれど、今回2人にもらったものは平民のミネリアがおめかしする時に使える程度の布地だ。丁寧な刺繍が入っているので、それを考慮するとまた分不相応かもしれないけれど。
髪を2つに分けて、リボンで結ぶ。もう会えないのかと思うと、胸がぎゅうっと寂しさで痛んだ。
やがて、馬車が止まる。開かれた扉の先は、よくよく見知った懐かしい風景。そして——
「ママ!!」
ミネリアは駆け出して、少しやつれた母に抱きつく。
「ミネリア、ミネリア、よく無事に戻ったね……」
ふたりとも苦しいくらいにぎゅうぎゅうお互いを抱きしめて、人目も憚らずわんわん泣いた。
「ミネリア」
外の騒ぎに食堂から飛び出してきた青年がミネリアに呼びかける。ミネリアはぐすぐすと鼻を鳴らしつつ、母親からゆっくりと離れた。
「ジル……えっと、その、ただいま」
抱きつきたいけれど、恥ずかしくてそれはできなかった。もじもじと指遊びをしながら俯く。
「おかえり。ちゃんと顔を見せて」
ジルがミネリアの顔を両手で包み込み、顔を上げさせる。ミネリアの涙で歪んだ視界の中で、ジルもまた泣いていた。
「……また会えるなんて、夢みたいだ」
「現実だよ。わたし、がんばったもん」
「うん……手紙を読んで、ずっと心配してた。無事で本当に、本当に良かった……」
ジルはミネリアを強く抱きしめた。その手はずっと震えている。
短い手紙しか送らなかったけれど、ミネリアがなにかをしようとしていることは伝わっていた。いつもミネリアを見守っていたジルがどれほど心配し、手が届かないことに歯がゆさを感じていたか、ミネリアはここにきて痛いほどわかった。
安心させようとして、ミネリアは彼の背中に手を回してぎゅっと抱きしめる。
「心配かけてごめんね。ママと食堂を守ってくれてありがとう」
ジルは頭を振って、ミネリアを抱きしめ続ける。
「そうだ、その、ジルに渡したいものがあるの」
ミネリアは綿のハンカチを取り出してジルの手に乗せた。ハンカチには小さくて少しいびつな花の刺繍がほどこされている。
「……友達に刺繍を教えてもらってね、がんばったんだよ。ベゴニアの花言葉って知ってる?」
ジルはきょとんとしている。ミネリアは赤い顔で笑った。
「……『愛の告白』。ねぇ、ジル。ずっと前からあなたのことが好きだよ」




