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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第16章 祈りの戦場

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公津ヶ原の邂逅

坂東の冬空は重く垂れこめ、雲の底には、いまだ晴れぬ乱の影が沈んでいた。

幾日にも及ぶ苦難の道程を越え、寛朝一行がようやく下総国・公津ヶ原へと辿り着いたとき、迎えに現れたのは、反将門の旗を掲げた在地の豪族・官人たちであった。


香取神宮の在地神官である大中臣姓・香取連道連をはじめ、成田氏、鹿島氏ら古き名族が次々と頭を垂れる。


その列の中には、香取氏の婿であり、信太浮島の領主・藤原国豊の姿もあった。

国豊は、浮島炎滅によって将門の許に庇護を求めたが、その後、将門に謀叛を諫めたことで袂を別ち、信太浮島領に戻っていた。


彼らは皆、将門がついに「新皇」を自称し、臣たる範を超え、朝廷に弓引いたその瞬間に、離反した者たちである。

寛朝の下向は、彼らにとって朝廷との絆を再び結び直す唯一の光でもあった。


挨拶が一通り済むと、寛朝は状況を詳しく聞きたいと申し出、香取氏の館へと案内される。


館の門前には、すでに国豊が待ち受けていた。


「忠行殿、お久しゅうございます。書簡を頂き、急ぎ馳せ参じました。」


国豊は静かに周囲を見回し、ふと声を落とす。

「――滝姫さまは、どちらに?」


その問いに、忠行は目を細め、口元を緩めた。

「おやおや、国豊さまは相変わらずで。まず気にかけるのが滝姫さまとは……」


「国家の大事に、まさか戯れを申されるとは。」


国豊は眉をひそめつつも、どこか照れたように返す。


この時は、まだ二人の間に冗談を交わせるだけの余裕があった。


やがて忠行が、ふと真顔に戻る。

「……浮島のことは、残念でした。」


「戻ってきた民や郎党と共に、復興に力を尽くしております。」


国豊は静かに答えた。


「お陰で、今年は作付も再開できそうです。」


「それは何より。あの地は、捨て置くには惜しいほどの豊穣の地。必ずや甦りましょう。」


短い言葉のやり取りの中に、互いの無事を確かめ合う安堵と、これから迎える嵐を前にした覚悟が滲んでいた。


寛朝はそんな二人の様子を見守りながら、深く息を吸い込んだ。

――ここからが本番である。


将門の影が濃く落ちる坂東の地で、僧侶の身で何を成すべきか、

――その第一歩が、今まさに踏み出されようとしていた。


香取氏の館に案内された寛朝一行は、腰を落ち着ける間もなく、次々と在地豪族らの報告を受けていた。


その最中、ふと廊の向こうから、かすかな衣擦れの音がした。


国豊が振り返ると、若やいだ娘がひっそりと立っていた。


白木のように澄んだ面差し。

だがその瞳には、影が宿っている。

人の心の底を静かに覗き込むような、深い深い闇の色――。


「……滝姫さま」


忠行が静かに立ち上がり、娘の前へ進み出る。

滝姫は小さく頭を下げた。


「お戻りでしたか、父上。」


その呼び方に、国豊はわずかに眉を寄せた。

忠行は国豊の疑念を察し、低く告げた。


「出自を欺かなければ、姫の身に危険が及ぶやも知れぬのです。

……京では、“私の娘”ということになっております。」


そして、国豊へ向き直る。


「国豊さま……この娘を、しばしお預かりいただきたいのです。」


「滝姫さまを、私が……?」


国豊は思わず声を漏らした。


忠行は深く息を吸い、声を潜める。


「滝姫さまは、ご自身の行く末について予言をされました。

――将門公の血が覚醒すれば、ご自身も闇に呑まれ“滝夜叉姫”となる、と。」


国豊は息を呑んだ。

滝姫は静かに目を伏せ、否定も肯定もしない。


「将門公が“新皇”を称したその日より、滝姫さまには常に影がつきまとっております。

星を読み、兆しを視る力……その才は、人を導くと同時に、災いを呼ぶ。」


忠行の声には、余談を許さぬ緊迫感が滲んでいた。


「将門公の許に帰せば、闇に呑まれましょう。

かといって、将門公の娘と知れれば、朝廷に捕縛され、斬首は免れませぬ。」


国豊は言葉を失った。

滝姫の境遇は、まさに綱渡りである。


忠行は続ける。


「ゆえに、霊脈の強い香取神宮の庇護下に置き、その上で……

国豊さま、あなたのお力を借りたいのです。

この地で最も信頼できる方に託すほか、道はござらぬ。」


滝姫がそっと顔を上げた。

その瞳には、恐れよりも覚悟が宿っていた。


「国豊さま。

……私は、ただ、正しく生きたいのです。」


その声はかすかに震えていたが、芯は強かった。


国豊はゆっくりと頷いた。


「……承知いたしました。

滝姫さまの御身、私が責任をもってお預かりいたします。」


忠行は深く頭を下げた。

滝姫もまた、静かに礼をする。


――その瞬間、国豊は悟った。

この娘を守ることは、将門の影と向き合うことに他ならない。

そして、それはやがて、自らの運命をも変えていくのだと。


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