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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第11章 王影、覚醒の刻

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まつろわぬ民、集う

将門の陣には、静かだが確かな変化の気配が満ちていた。

“常陸の悪党”――藤原玄明が与党に加わったという報せは、瞬く間に湿原の隅々へと染み渡っていった。


将門の“七つ影”に、新たな獣影が加わったことで、鎌輪宿にもこれまでにない緊張と期待が同時に生まれていた。

だが、その変化はまだ始まりにすぎなかった。


玄明が与党となった翌朝、彼は将門のもとへ一つの願いを携えて現れた。

その表情には、昨夜の決意とは別の、どこか神妙な影が差していた。

「将門殿、会っていただきたい者がいる。たえなる謀略の才を持つ男だ。」


将門は、玄明の言葉の奥にただならぬ気配を感じ取り、静かに頷いた。

「汝の申し出である。会わぬ理由はない。その妙なる才とは、いかなる者か。」

玄明は一拍置き、低く答えた。

「……奈河久慈なかくじの藤氏、玄茂はるしげ。俺の従兄にして、武官として国府の内情を探ってきた者です。そして――行方の郡衙ぐんがを襲撃した首魁です。」

その瞬間、将門の背後で控えていた家子いえのこたちの間にざわめきが走った。


だが将門は、微動だにせず玄明を見据えた。

「汝の従兄……藤原玄茂ふじわらのはるしげ

なるほど、奈河久慈の藤氏……獣影は一つではなかったというわけか。」

こうして、玄明の背後に潜んでいたもう一つの獣――

藤原玄茂が、姿を現し始める。



玄明が与党となった翌日の昼下がり。

湿原のもやが這うような、低く重い気配が鎌輪宿に近づいてきた。

それは、筑波嶺と水郷に生きる先住者たち特有の匂いを伴っていた。


先頭に立つのは、筑波嶺の山間に棲まう「佐伯民さえきのたみ」。

肩には獣皮を纏い、背には弩。その歩みは静かだが、踏みしめる台地がわずかに震えるほどの重厚さを持っていた。

続くのは、行方の湿原に潜む「夜刀神やとがみ」の末裔たち。

湿地の葦を編んだ外套、腰には石を投げるための革袋がいくつも吊られている。

「夜刀」とは、「谷戸」「谷津」と呼ばれる低湿地や湧水地のことである。

身体は蛇で、頭には角が生え、もしこれを見た者がいれば、その家は破滅し、子孫が絶える――そう忌まれてきた“葦原に棲む蛇神”の末裔であると伝わる。


――総勢五百余。

山の影と湖沼の靄が、そのまま形を成して歩いてくるような異様さ、しかしどこか神々しさすら漂わせる人の群れであった。


将門の家子たちは、思わず息を呑んだ。

「これが……まつろわぬ民……」

“まつろわぬ”とは、服さず、従わず、である。

彼らは、自由を奪われることを拒み、豊かな自然の恵みの中で狩猟採集と独自の信仰を守る、誇り高き先住民族であった。


ざわめきが広がる中、その行列の中央から、一人の男が歩み出た。

武官の衣を纏い、痩身ながら芯の通った立ち姿。

その眼光は、山の民にも劣らぬ鋭さを宿していた。


玄明が一歩前に出る。

「将門殿。この者こそ、藤原玄茂ふじわらのはるしげ。俺の従兄です。」

玄茂は深く頭を垂れた。

「常陸国府の雑掌、藤原玄茂にございます。

此の地で一族の玄明、そして佐伯民と夜刀神の末裔とともに立ちました。

信太北を焼かれた仇として、行方郡衙を焼き討ちし、不動倉を略奪しました。」


将門は玄茂を見据えたまま、しばし沈黙した。

その沈黙は、玄茂を試すようでもあり、また、彼の背後に控える五百の民の力を測るようでもあった。


やがて将門は、ゆっくりと口を開いた。

「……玄明の従兄。

“まつろわぬ民”を率いるなど、並の胆力ではできぬことよ。」


玄茂は静かに顔を上げた。

「国府に仕えながら、国司の腐敗を見続けてきました。

壬生氏の暴虐を前に、ただ黙して従うことは、もはや人の道ではございませぬ。

将門公。どうか、この五百の土着の民にも庇護をお与えください。

彼らは、ともがらのためならば命を惜しみませぬ。」


将門は玄茂の眼をまっすぐに見返した。

玄茂の眼には恐れも、虚勢もなく、ただ揺るぎない意志だけがあった。

「己の罪状を、これほどまでに清々しく語る者も滅多におるまい……

なんとも、爽やかな男よ!」


「……よかろう。玄茂、そして国巣の民たちよ。

今日より我が与党となれ。そなたらの心と技が必要だ。」


その瞬間、五百の民の列が、風に揺れる葦のようにざわりと震えた。

それは歓声ではなく、長く抑えられてきた者たちが、初めて自らの存在を認められたときに漏らす、安堵の溜息のようなざわめきであった。

玄明は、胸の奥が熱くなるのを感じた。


こうして、将門の庇護下に置かれた国巣衆…まつろわぬ民…は千を超えた。



坂東の地には、太古より一柱の星神の名が語り継がれている。

まつろわぬ星の神の伝説――天津甕星あまつみかぼし


太古の国譲りの時代、天津神が地上の支配権を定めんとする中にあって、

この星神だけは、ただ一柱、最後の最後まで膝を屈さなかった。


天津神として生まれながら、天津神に背き、国津神の旗印として立つ。

坂東の荒ぶる大地を拠点に、迫り来る強大な支配者へ抗い続けた“反逆の星”。


“まつろわぬ”とは、服さず、従わず、屈せず。

その光は夜空に燃え、戦の烽火となって坂東の民の胸を震わせたという。


天津神の軍勢が押し寄せるたび、甕星はただ一閃の輝きで迎え撃つ。

星の尾が走れば、山は裂け、河は逆巻き、戦場は白昼のごとく照らし出された。


やがて国譲りは成り、天津神の世が訪れる。

だが、坂東の地には、今も語られる。

――最後まで抗い抜いた星の神がいた、と。

――その光は、まつろわぬ者たちの誇りであった、と。



国豊は、鎌輪に集った“まつろわぬ民”とともに、只今、この伝説を目の当たりにしているような心持ちであった。


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