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将門炎舞記 下巻  作者: 浮島太郎
第7章 宿命、冬空に揺らぐ

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星観の姫、初光


冬の空は沈み、

星はひそかに道を描く。

そのただ中で、ひとつの光が巫女に宿り、

――やがて運命を照らす初めの灯となる。


その日、坂東の空は、冬の鉛色を深く落としていた。

雲は低く垂れこめ、風は刺すように乾いている。

陰陽師・賀茂忠行は、その冷たさをただの季節の厳しさとは受け取らなかった。

大気に沈む微かな濁りは、やがて地を揺るがす運命の前触れとなる。

その気配を、彼は京を発つ前から確かに感じ取っていた。


忠行が坂東へ下向した目的は、将門に向けられた呪詛を術者へと反転させる「呪詛返しの修法」を行うため。

――表向きにはそれで十分であった。

だが、彼の胸の奥に潜む“真の目的”は別にある。

――星観の巫女・滝姫に会うこと。

将門の娘にして、星辰盤を読み、未来の断片を垣間見る異能を持つ姫君。


忠行は京を発つ前から、遠視の術で幾度もその“行く末”を覗き見ていた。

(……滝姫は、光にも闇にも触れる。導きを誤れば、いずれ坂東の地脈を震わせる“底深い影”となるやもしれぬ)

その像は、冬の闇に沈む焔のように、胸の底で静かに揺らめき続けていた。

払おうとしても消えず、むしろ旅路を進むほどに輪郭を増していく。

忠行にとって、呪詛返しは中務卿から託された務めにすぎない。

滝姫という存在の未来を確かめ、必要とあらばその運命に手を添えること

――それこそが、彼が坂東へ向かう本懐であった。


案内を辞し、庭へ出た忠行は、ふと足を止めた。

風は止み、世界そのものが息を潜めているかのようだった。

星辰盤の前に、ひとりの少女が立っていた。

白い息を細く吐きながら、少女は星々の軌を追っている。

その姿は、冬の闇に灯る小さな焔のようでありながら、どこか触れがたい静謐をまとっていた。


「星が……騒いでおります」

振り返った少女の声は、年齢に似つかわしくないほど澄んでいた。

その瞳は夜空を映し、星の光を宿している。

忠行は、その眼差しに一瞬だけ言葉を失った。

(――この娘か。星の道を読み、未来の影を視るという、将門の娘……)


滝姫は、夜空を仰いだまま静かに言った。

「冬の北の空で、何かが形を変えようとしているのです。」

その声音には恐れよりも、むしろ“覚悟”に近い響きがあった。

忠行は、胸の奥に沈んでいた兆しが、はっきりと輪郭を持つのを感じた。

(……やはり、この娘は境に立っている。光と闇の、危うい均衡の上に。)


「……姫君」

忠行は、冬の空気を切るように言葉を発した。

「星は、何を告げているのですか。」

少女はゆっくりと忠行を見つめた。

その瞳の奥で、星の光が揺れた。

「――まだ、言葉にはなりませぬ。ただ……ひとつだけ、確かに視えます。」

「……何を」

「あなたが来られたことで、星の流れが変わりました。」

その瞬間、遠くで梢が鳴った。

風が戻り、冬の夜が再び動き始めた。

忠行は悟った。

この少女こそが、坂東の運命を揺らす“鍵”なのだ。



人払いした鎌輪館の西の対、滝姫は星辰盤の前に静かに座していた。

忠行は、少女の背後に控え、その儀式を見守っていた。

近づくと、星辰盤の上に置かれた銅製の指標が、微かに震えていた。

まるで少女の呼吸に呼応するように。

星供の灯火が揺れ、盤上の七曜──北斗七星が淡く光を放つ。

その瞬間、滝姫の肩が震えた。

「……っ」

胸を押さえ、息を呑む。

星辰盤の光が揺らぎ、七つの星の中心に、どす黒い波紋が浮かび上がった。

それは星ではなかった。

影であった。

渦巻き、濁り、形を求めて蠢く影。

「……影が……濃くなっている……」

滝姫の声は震えていた。


忠行の目には、その影が“形”を取り始めているのが見えた。

(……これは……呪の胎動……?)

滝姫は星辰盤を抱きしめ、小さな手を震わせた。

「父上が……影に飲まれ始めています……父上が……父上ではなくなっていく……」

忠行は息を呑んだ。

(……将門殿……この影は、いずれ貴方様を覆う闇となる……)


影はついに立ち上がった。

七つの影が、滝姫の周囲に円を描くように立ち並ぶ。

その輪郭は、まるで将門を模したかのようであった。

――怒り、怨念、戦の気配、

影たちはそれらを吸い込み、声なき声を反響させた。

忠行は呟いた。

「貴様は……しゅか……?」

影は答えない。

ただ、将門の未来を暗く染める“兆し”として、そこに立っていた。

忠行は、この影に今は対峙できぬことを悟った。

(……この子を、ここに置いてはならぬ。)


星供が終わると、忠行は将門の前に進み出た。

「将門殿。滝姫様を、私の弟子として京へ連れて参りとうございます。」

将門は驚き、娘を見つめた。

「……姫。お前は……どうしたい?」

滝姫は静かに答えた。

「父上……私は、この力を……正しく使えるようになりたいのです。」

将門はしばし沈黙し、忠行の眼を見た。

「ただし、陰陽寮の官職には就けないので、巫女となりますが……。」

その眼には、欺きも野心もなく、ただ“導こうとする者”の覚悟が宿っていた。

「……忠行殿に任せれば、悪いようにはなるまい。」

将門は、笑顔で娘を託す決断を下した。



上洛の準備が整うと、滝姫は忠行に願い出た。

「どうしても……浮島の大掾殿にお会いしたいのです。

あの島で、星供を行わねばなりません。」

――信太浮島、

海に囲まれたいにしえの霊気漂う孤島。

星々の力が最も強く降り注ぐ地。


忠行は頷いた。

「よいでしょう。他の陰陽師も連れ、共に参りましょう。」

こうして、忠行と滝姫、そして陰陽師たちは浮島へ向かった。

滝姫は知っていた。

あの島で星を供え、国豊に告げねばならぬことがある。

それは、将門を覆う闇、そして、自らの未来の胎動であった。


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