【4.敗残の将】
年暮る頃の、物騒がしい心地する中、京の太政官から追討官符が発せられた。
「平良兼・平貞盛・源誠らは、馬寮の常羽御厩を襲撃し、朝廷の財を焼き払う。
──これを謀叛と断じ、朝敵として討伐を命ずる。」
坂東での暴虐の報を聞き、幼い主上も、摂政忠平の顔を見上げた。
忠平は黙し、静かに頷いた。
主上の宣明を受けた公卿らが署名した追討官符の正本は、常陸・下総・上総・武蔵・下野など各国の国衙へと送達された。受領した官符は、在庁官人を召集して開封され、正庁で読申(音読)が行われる。さらに国司は、官符の写しを、あるいは命令書として郡司や豪族へ回覧させる。
このときは格別の措置として、将門にも太政官符の正本が送られた。将門は、朝廷の討伐命令の実行者として、戦場で官符を掲げることが許されたのである。
常陸国府で官符を受領した常陸介・藤原維幾は、中身を一瞥するなり、
「大掾殿にすべてをお任せする」
とだけ言い残し、奥へ下がった。
上総介・良兼は、官符を懐に押し込み、そのまま握りつぶした。
当時の上総国は「親王任国」であり、国守は赴任せず、次官である「介」が実質的な国政と軍事を掌握していた。
上総国では、その「介」が“朝敵”と断じられたのである。
朝敵──
それは、国家に弓引く者に与えられる、最も重い烙印であった。
良兼が武射に戻ったとき、その烙印はすでに広まっていた。
武射の郎党たちも、皆この件を知っていた。
武射の館に戻った良兼を迎えたのは、歓声でも安堵でもなく、重苦しい沈黙だった。
「……殿、お戻りに……」
郎党たちは言葉を選び、目を伏せた。
良兼の髪は乱れ、顔はこけていた。
かつて坂東を震わせた“上総太郎良兼”の面影は、もはやほとんど残っていなかった。
良兼は館の敷居を跨ぐと、そのまま膝をついた。
「……我は……敗れた……」
その言葉は、誰に向けたものでもなく、ただ、胸の奥底に沈む独り言であった。
良兼は、武射の奥の間に引き籠った。
声も弱まり、食も細り、やがて床に伏すようになった。
「殿……どうか、お身体を……」
近習が声をかけても、良兼は答えなかった。
天井を見つめたまま、ただ静かに呟いた。
「将門を追い詰めながら…勝てなかった……」
その声には、怒りも憎しみもなかった。
ただ、敗れた者だけが持つ、深い諦念があった。
「我は、父上…高望王のような坂東の覇者になれぬのか……?」
「将門は、何故、あれほどの武威と名声を得たのだ……?」
良兼は、その問いに答えを見つけられぬまま、日々を過ごした。
外では、冬の風が武射の森を吹き抜けていた。
その風は、まるで良兼の命を少しずつ削り取っていくかのようであった。
良兼が病に伏している間にも、坂東の情勢は大きく動いていた。
将門は勢いを増し、常陸・下総の豪族たちは次々と将門のもとへ集った。
良兼の名は、坂東の地図からゆっくりと消えていった。
かつて坂東を震わせた男は、今や武射の片隅で、静かに朽ちていく存在となった。
(……我は……どこで間違えたのだ……)
良兼の呟きは、誰にも届かなかった。
ただ、冬の風だけがその声をさらっていった。




