第1章 焔影、破軍へ伸びる 【2.夜を裂く赤龍】
【2.夜を裂く赤龍】
上総国・武射
――浪切不動院
堂内は深い静寂に沈み、沈香の煙と灯明の光が、不動明王の御姿を荘厳に浮かび上がらせている。灯明の揺れる薄明かりの下、平良兼は緋縅の大鎧を脱ぎ、具足と狩衣を解き、その御前に跪いた。
良兼は、深く頭を垂れ、低く、地鳴りのような声で祈りを捧げた。
「我に不動明王の加護を与え給え。
――我が一門の誇りと絆を取り戻すため、
破軍の星が守護せし小次郎将門を誅殺し、此処に悪因を断たせ給え。」
その瞬間、堂内に並ぶ灯明が、供物の香を揺らすほどに、ふっと震えた。風はない。それでも炎は細く伸び、次いで丸く縮み、黒光りする柱や梁に淡い光の筋を投げかけながら、まるで神仏の気配が静かに通り過ぎたかのように震え続けた。
良兼は、厳かな圧を受け止めながら、ゆっくりと立ち上がった。
黒檀の柱に沿って揺れる灯明の光が、その巨躯の輪郭を淡く照らす。壁に伸びた影が、不動明王像の影と静かに重なり合っていく。
「……よい。破軍の星など、この炎で焼き尽くしてくれよう。」
良兼は、緋縅の大鎧を再び纏い、堂の扉へゆっくりと歩み出た。
――成東城(良兼の本拠地)
戦勝の祈祷を行った浪切不動院に程近く、高望王から継いだ成東の城塞には、すでに千の兵が集結していた。鉄と革の匂いが夜気に重く滲み、馬の嘶きが断崖を震わせる。
良兼の緋縅の大鎧が紅蓮の炎の中に大きく浮かび上がる。その姿は、まるで赤龍を背負った巨神のようであった。
良兼が姿を現すと、千の兵が一斉に跪拝した。
良兼は吠えた。
「平小次郎将門を討つ!!」
一斉に上がる鬨の声に、大地は震えた。
「我らは香取神宮より水路を北へ、まず常陸国府に向かう!」
良兼が馬腹を蹴ると、軍勢は一斉に動き出した。
良兼の軍は、香取泊(港)から船団を仕立てて香取海を北上し、まず対岸の石岡、常陸国府へ向かう。
将門の本拠地である下総豊田を最終の標としながらも、常陸国府から下野国府を経由して大きく北へ迂回し、そこから南下して豊田を衝く。一方、良正と貞盛は南部の水守で軍を起こし、将門の本拠地に近い常総一帯を牽制しつつ、南の方角から豊田を衝く。豊田に近い常総には、将門と気脈を通じる豪族が多く、北部には坂東平氏一門の味方となる族が多い。だから、軍勢を二手に分け、敵の本拠を南北から挟撃する。
――それが今回の軍略の骨格であった。
そして、この迂回には、もう一つの狙いがあった。
源護と国香、良正の度重なる敗戦によって高望流平氏の武威と名声は、ここ数度の敗戦で大きく損なわれている。良兼が、わざわざ遠路を迂回して常陸国内の要地を巡ったのは、常陸国内の坂東平氏の力を道すがら吸収し、棟梁としての己の威厳を示して一門を牽制するためであった。
また、良兼は信心深く、「破軍星を背負う位置で戦う者が勝つ」という迷信を信じた。ゆえに、北辰(北極星)を背負う将門を忌み、あえて北方から南へ攻め下る迂回路を選んだのだ、とも云う。
――猜疑と虚栄と迷信
それらが絡み合い、この軍略を生んだのである。
いずれにせよ、常陸・下野の両国府を経由することは、朝廷に対する良兼の軍の正当性を示すと同時に、朝廷から将門追討の圧力を強めさせるうえでも有利であった。
――そして、この迂回は、
藤原秀郷による常陸国府襲撃を、期せずして防ぐことにも繋がったのである。




