幕間 泥舟の娘の生存戦略
王立学園の女子寮。
私の部屋は、常に塵一つなく完璧に整頓されている。
一つ一つの調度品が、身の丈以上に最適化された位置に配置され、何の乱れもない。
それは、崩壊の足音が真後ろまで迫る中で、私が辛うじて自我を保つための小さな箱庭だった。
私は、マルグリット・セルヴァン。
没落寸前のセルヴァン伯爵家に生まれた娘。
この閉鎖的な貴族社会において、他者とは常に、私が生き残るための踏み台か、あるいは私を突き落とす敵の二択でしかなかった。
幼い頃、私は純粋に誰かを愛し、信じられると思っていた。
父の温もり。母の柔らかな微笑み。
それらは、私にとって疑う余地のない絶対的な砦だった。
だが、没落の危機が屋敷の金庫を空にした日、父の目は狂気を孕んだ。
彼は私を膝の上に座らせ、私の肩を砕けんばかりに掴み、呪詛のように囁いた。
『お前は、最も高く売れる華になれ。人間など、最後は己しか愛さないのだから』
その言葉が、私の世界を根底から裏返した。
信じていた愛は、ただの打算。
優しさは、次の見返りを求めるための薄皮に過ぎない。
生き残るためには、冷酷に立ち回らなければならない。
一人一人が、私の蜘蛛の糸に絡めとるべき獲物。打算という名の糸を引くことだけが、沈みゆく泥舟から抜け出す唯一の手段なのだ。
ステラ・メルヴィユ。
あの平民の少女は、貴族の泥沼を知らない純粋な光を放っていた。
彼女の無垢な信頼は、私にとって完璧な隠れ蓑として機能するはずだった。
彼女の怯えた涙は、アルベール殿下という最大の権力を私の手元へと確実に引き寄せる。
セレスティーヌ・ヴァルモン。
あの公爵家の娘は、私の完璧な計画の中で最も邪魔な影だ。
彼女の冷たい微笑は、私の見せかけの優越を事も無げに叩き落としていく。
私は彼女を排除しなければならない。泥舟を降りるための最後の跳躍として。
だが、私は本能で気づいているのかもしれない。
あの女の放つ凄絶なまでの冷酷さは、私と同じように、どうしようもない絶望から世界を拒絶するための分厚い防壁なのだということに。
先日、ステラが私の手を震えながら握りしめた。
その温もりは、計画通り私の手に入った完璧な安堵の証拠であるはずだった。
だが、なぜだろうか。
彼女の体温が私の冷え切った指先を包んだ瞬間、胸の奥底で、引き裂かれるような戸惑いが生まれたのだ。
あの夜、実家の父から手紙が届いた。
インクの擦れた筆跡は、相変わらず血も涙もない。
『お前の王宮での役目は終わった。次の寄生先を探し出せ』
私は、その手紙を暖炉の火にくべた。
炎が紙を舐め尽くし、灰へと変えていく。
燃え尽きる音を聞きながら、私は自分の長い爪が掌に食い込み、血が滲んでいることにすら気づかなかった。
私は、これからも立ち回り続ける。
断罪の日はもうすぐそこまで来ている。
セレスティーヌ・ヴァルモンは、私の策によって失脚し、表舞台から完全に排除される。
それは私が生き残るための、最も合理的な生存競争の結末。
だが、なぜだろうか。
私の胸の奥で、空虚な風が吹き荒れている。
まるで、私が必死に掴もうとしていた糸が、すべて自分自身の首を締め上げているかのように。
私は鏡に向かい、完璧な被害者の微笑を作った。
私は沈まない。絶対に沈むわけにはいかない。
それこそが、没落の淵に立つ泥舟の娘としての、惨めで空しい、ただ一つの生存戦略なのだから。




