待ちに待った遊園地 前編
今日は日曜日です。そして、定期テスト直前であります。にもかかわらず、私たちは今、遊園地にいます。まあ、今日までにテスト勉強はばっちしにしてきたから大丈夫なんだけどね。
それにしても、久しぶりに飛び出した外の世界は私にとって眩しすぎた。
容赦なく降り注ぐギラギラの太陽が、じわじわと薄手の私服の上から皮膚を焼き付けてくる。露出している腕や首筋から汗がにじみ、暑さのあまり私の脳みそはすっかり溶けかけ、思考までカタコトになりそうだ。風凪も白のTシャツをパタパタと手で仰ぎながら「暑っつ・・・」と小さく呻いている。
だけど、ぶっちゃけ、そんな猛暑もテストの点数もどうでもよかった。なぜなら今日、この三人で遊ぶからだ。
そして、今日という日を通じて、私は―――
「アイム、ヒアー!」
遊園地の入場ゲートをくぐるなり、風凪が両腕を大袈裟に突き上げて叫んだ。
「ガキみたいにはしゃぐな。」
すかさず隣にいた栄花の手刀が、風凪の頭頂部へ容赦なく振り下ろされる。
涼しげな夏物のワンピースをまとった栄花は、こんな暑さの中でもどこかクールで隙がない。
「グヘ!」
「馬鹿じゃないの?」
情けない声を上げて頭を押さえる風凪を見下ろしつつ、私は呆れ半分、面白がり半分で声をかけた。
「だって、遊園地なんて行ったことないもん!はしゃいでしまうのは仕方がないってやつさ。」
「え、そうなの?遊園地行ったことないの?可哀想にー。」
「棒読みやめてね。というか、そういうお前は遊園地来たことあるのかよ。」
風凪が恨めしそうなジト目でこちらを睨みつけてくる。
「いや、あるわよ。」
「えー。」
「『えー。』って何よ。意外って言ったら首根っこ掴むよ?本当に私、五回行ったことあるから。」
「ちっげえよ。ただの返事の『えー。』だよ。てか、うおっ、被害妄想激しくてキツイって。」
「二つ言いたいことがある。一つ目は、この口ぶりで遊園地行ったことなかったらただの自虐プレイじゃん、ってこと。二つ目は、そこ冷笑するか?人間として終わってんな、です。」
「だいぶ火力高くない?」
引きつった顔をする風凪を軽くあしらい、私は隣に立つ栄花に視線を向けた。
「火力が高いのは仕方がない。てか、栄花は遊園地来たことあるの?」
「え、私?私、は・・・あるわよ。」
どこか歯切れの悪い栄花の返答。一瞬だけ違和感を覚えたものの、きっと猛暑で脳みそが沸いているのだろうと自分を納得させた。
「まあなんか、行ったことありそうだったわ。」
風凪もそう深く頷いていた。
「ね。」
私も同意を示すと、栄花が少し不満そうに眉をひそめた。
「どういう根拠に基づいてるのかな?」
「しーらんぺったんごーりーら。」
「会話もろくにできないなんて、頭沸いてんじゃないの?」
風凪の適当すぎる返答というか、突如の奇声に対し、栄花から容赦のない毒舌が飛ぶ。
「まあまあ。暑さ関係なく、いつものことでしょ。」
「え、ちょまってよ。赤松も栄花サイドなの?」
風凪がさっきのアホ顔とは打って変わり、裏切られたと言わんばかりの大袈裟なリアクションでこちらを見てくる。
「日和見主義なので。」
私は胸を張ってそう答えた。
「いっちゃんたちが悪いやつでワロタ。」
口ではワロタと言いつつもガックリと肩を落とす風凪を横目に、栄花が溜息をついて強引に話題を切り替えた。
「てか、いいですか?最初どこに行くか決めますよ?」
「そうだねー・・・まあ肩慣らしにジェットコースターとかはどう?」
私が案内マップの絶叫マシンを指差すと、栄花の顔が分かりやすくひきつった。
「肩、慣らし・・・?」
「ジェットコースターは大トリってイメージあるんだけど。ここは無難に観覧車とかに乗りたいかも。」
風凪が露骨に嫌そうな顔をして唇を尖らせる。
「無難ってなにいってんの?遊園地初心者は黙ってよーねー。」
栄花が一瞬でぶった切る。
「はあ?無難じゃないん?じゃあ、逆に、栄花はどこ行きたいんだよ。」
栄花は「うーん」としばらく悩ましげに腕を組んだ。
「えーっと・・・無難にメリーゴーランドとかは?」
「無難ってなにいってんの?ガキかよ。」
「いや、これ肩慣らしだからね?あと真似しないで、キモい。」
またしても不毛な言い争いが始まりそうになったので、私はパンと手を叩いて二人の間に入った。
「まあまあ、どこでもいいから早くいこーよー。」
「ほら、赤松はメリーゴーランドに乗り気だよ。」
「へいへい・・・そんじゃ、はっしゃいでいくぞー!」
風凪が再び両腕を突き上げ、先陣を切って歩き出す。
「えー、高校生がそのテンションですか。きついわー。」
さっきの仕返しに私も風凪を冷笑する
「僕、帰るわ。」
ピタッと足を止め、ロボットのように真顔で踵を返そうとする風凪の背中に、私は吹き出しながら声をかけた。
「冗談じゃん。」
「そうだよねー。アハハ!」
「はあ、まったく。」
一瞬でいつものハイテンションに復元する風凪と、それを見て心底呆れ返る栄花。なんだかんだ言いつつも、私たちのエンジョイ・イン・遊園地は賑やかに始まりそうだ。
「さて、まずは一番近くにあるメリーゴーランドへ直行、といきたいところだけど・・・」
私はジリジリと照りつける太陽から逃れるように、近くにあった売店の日よけの下へと早足で移動する。風凪と栄花もそれに倣うようにして、ぞろぞろと日陰に滑り込んだ。
六月にあっていい暑さじゃないって本当に。異常気象極まれりって感じで。夏休みが恐怖でしかない。
風凪も同じことを思っているようで、
「まだこれで六月ってまじかよ、暑いよー。溶けそう。糖分、糖分をくれ・・・」
そう、ぐったりとした様子で、自分の白Tシャツの襟元をパタパタと引っ張りながら呻いている。
その隣で、栄花は涼しげな顔を崩さないまま、ハンカチでそっと額の汗を拭っていた。だが、その白いワンピースの裾が微かに揺れているあたり、彼女もこの暑さはきついらしい。
「ほら、風凪。そこで自販機あるから、生き返りたかったら今のうちに水分補給しとけよ。」
私が指差した先には、ポップな装飾が施された冷えた飲料の自動販売機が、日が思いっきり当たる広場の傍らに並んでいた。
「おいおい、奢ってくれるっていうのか?神かよ・・・!赤松、一生ついていくわ。」
「いや、奢らないし、一生ついてこないでよね。身の毛もよだつわ。」
私は口元を手で覆いフフフと陰湿な悪役令嬢のごとく笑った。
「冷たっ!赤松の心で冷えてきたじゃん!」
「よかったじゃん。」
文句を言いながらも、風凪は小銭入れからジャラジャラと硬貨を取り出して自販機に向かう。私たちはわざわざ日に当たろうとは思っていないので、こっそり見つけておいた売店の裏にある自販機で栄花と私は冷たいお茶のペットボトルを購入し、キャップを開けて口を潤した。
「ふう・・・生き返るね。確かに、この暑さの中でいきなり絶叫系に乗ってたら、文字通り意識を飛ばしてたかもしれないね。」
冷えたペットボトルを頬に当てながら、私は生き返ったような心地でそう呟いた。
「まあ、暑くなくても意識は飛ぶ。」
栄花は涼しげな夏物のワンピースの裾を少しだけ整えながら、苦笑気味にそう言う。
「ほーん。さては栄花、絶叫系が苦手なんだな?」
その口ぶりからすると、栄花は絶叫マシーンが苦手だと踏んだ。そして、私はわざと面白がるように、彼女の顔をのぞき込むようにして尋ねた。
「ど、どうかなー。」
栄花はわずかに視線をそらし、歯切れの悪い返事をする。私はその反応を見て、栄花が絶叫系が苦手なのだと分かった。しかし、私はあえてそこに深くツッコミを入れることはせず、心の中でそっと納得した。
「お化け屋敷とかはどうなの?」
「それ“は”ギリいける・・・かも?ところで、赤松は?そういうの、いけちゃう?」
栄花が探るような、試すような目を向けてくる。その瞳の奥には、私のビビリ具合を値踏みしようという小さな企みが隠されている気がした。
「お化け屋敷“は”ちょっと厳しいかなー。でも、ビビるのは甘えでしょ。」
私は精一杯の強がりを混ぜて、ふん、と鼻を鳴らしてみせる。お化け屋敷はいつも目をつぶってお母さんについてってるから本当に苦手なんだよなー。
「乗り物にビビるのは・・・どう?甘え?」
私の発言に引っかかったのか、栄花が首をかしげながら片眉を上げた。
「甘えっしょ。」
「うわ、なんか今の言葉、鳳花みたいで萎えちゃうよ。」
私の口から出た適当な語尾に、栄花は心底嫌そうな顔をして、やれやれと肩を落とした。
「え、『甘えっしょ』って、風凪味ある?」
私は思わず自分の口元に手をやり、目の前に立つ栄花に問いかける。
「あるよ。」
栄花は確信を持った目で力強く頷いた。最悪だ、私のなかに意図せずあの男(風凪鳳花)の語彙が侵食している。
「じゃあ、撤回しまーす。」
私は即座に両手を軽く掲げて、一切のプライドを捨て去った。
「フッ、それは好守ね。」
私の素早い掌返しに、栄花はクスクスと楽しげな笑い声を漏らした。
ほどなくして、スポーツドリンクを手にした風凪が戻ってきた。一気に半分ほど飲み干すと、生き返ったと言わんばかりにふうっと大きく息を吐き出す。
「あれ?その飲み物たちは?」
「ん?これ?これはね・・・」
「「キラだから。」」
私は左腕に時計をつけたような仕草をした後、風凪が被せてきて同時にセリフを言うと、風凪と目が合い、お互いを見合う。そして、思わず吹き出してしまった。
「えー、なんでそこがハモるのよ。今の会話の流れ的に絶対にハモれないでしょ。」
栄花が盛大な呆れ顔を向けてくる。
「この状況、このタイミング、このフレーズ、ドン、ピシャって感じだったわ。僕って、ハモらせる脳の回転早いなー。」
風凪が笑いながら自分のこめかみを指で突きながら、満足気なドヤ顔で胸を張る。
「これに関しては風凪を褒めることしかできない。」
「ありがとねー。」
私も便乗して深く頷いてやると、風凪のどや顔は加速した。
いやあ、本当に、風凪のこのくだらない瞬発力と波長の合わせ方は、もはや一種の才能と言っていい。
「なんか、風凪が頭おかしいのはそうなんだけど、デスノートネタを急に出す赤松も十分頭おかしいよ。」
呆れ果てた様子の栄花から、容赦のない正論が飛んでくる。
「いや、それな。本当になんで急にライト出したん?」
さっきまでノリノリで乗っかっておいて、風凪まで手のひらを返してニヤニヤと私を覗き込んできた。
「これは仕方がないよ。だって、最初に『ん?これ?』って言ったら、自然に出ちゃったんだもん。」
自分でもなぜそのフレーズが脳裏をよぎったのか意味が分からず、言い訳しながらも笑いが込み上げてくる。我ながら、条件反射にもほどがある。
「もう、体に染み付いちゃってるじゃん。」
「末期だね。」
「もう、うるさいなあー。」
風凪は笑いながらの呆れ顔と栄花の冷ややかな言葉がきたのでで、私は笑いを堪えてこれ以上の追撃を制した。
「いやー、それにしても面白くて腹つりそうだわ。」
「・・・ククッ、風凪が笑うから私もつられちゃうじゃん。」
風凪が耐えきれなくなったせいで私も再び笑い始め、二人してお腹を抱えて笑い転げる。猛暑の暑さも忘れて、目元にじわりと涙が浮かぶほどだった。
「大丈夫か?この二人。」
完全に自分の世界に入って爆笑する私たちを、栄花は冷ややかな眼差しで見下ろし、心底やれやれといった様子で大きな溜息をついた。
「・・・てかさ。なんで、お茶持ってんの?」
風凪が今さらといった様子で笑いながら栄花に向かって首をかしげる。
「いや普通に・・・持って来た。」
この女、普通に嘘ついたな。まあ風凪に自販機の存在を教えなかったのは自分だけど。そう思った瞬間、またしてもツボに入ってしまい、私は余計に笑いが込み上げてきた。
「あ、そうなんだ。二人とも偉いな。」
「まあね。で、いつまで笑ってるの?」
その口ぶりからは栄花が早くメリーゴーランドに行きたいという意を感じられる。でもさあ・・・
「これは栄花が悪いよ。」
「え、今の栄花関係ある?」
風凪は私の返答を聞き、疑問をもったようだ。
「事情を知らぬものは出しゃばらないでね。」
栄花も、自分が嘘を鳳花に吐いたことが私を笑かしているのだと気づいているようで、騙された哀れな風凪に騙したことを知られまいとそれ以上の詮索を制した。
「え、どゆこと?」
風凪がそう言って困惑している隙に私はようやく笑いを収める。
「まあ、いいや。つーことで、笑い切ったことだし!改めて行こうぜ、メリーゴーランドへ!」
さっきまでのぐったり感が嘘のように、風凪はまたしてもハイテンションを全開に戻している その変わり身の早さに、私は思わず苦笑いを漏らした。
「はいはい、行きますよ。」
私たちは冷房の効いた売店の軒先から再び強い日差しの下へと踏み出し、色鮮やかな木馬たちが優雅な音楽とともに上下しているメリーゴーランドの巨大なドームを目指して、足取り軽く歩き出したのだった。
メリーゴーランドの優雅な音楽を背に、私たちは次なる目的地へと足を向けた。少し体を動かそうと選んだのは、水飛沫を上げて爽快感を味わえるスプラッシュ・アドベンチャーだった。
「これなら肩慣らしにちょうどいいんじゃない?」
私がそう提案すると、風凪は「お,いいねね!」と目を輝かせ、栄花も「ふうん、悪くないわね」と頷く。
二人一組のボートに乗り込むことになり、グッチーを行い、結果、私は風凪と一緒のボートに、栄花が一つ後ろのボートに分かれて乗る流れになった。
「うわ、これ想像以上に水しぶきすごくないか?」
「安心しなよ、一番前の席じゃないんだからさっさと乗りなさいよ。」
安全バーを下ろし、ボートがゆっくりとベルトコンベヤーに沿って進み始める。最初は緩やかな水路を進むだけの平和なアトラクションだったが、じわじわと傾斜を登っていくにつれて、ゴゴゴ・・・という重低音が響き渡る。
「おいおい、待て待て待て、これ想像以上に高くね!?」
「今さらビビっても遅いからね、風凪くん!」
「唐突なくん呼びはどゆことおおおおいっ!」
次の瞬間、ボートは猛烈な勢いで急斜面を滑り落ち、すさまじい重力とともに水面へダイブした。 盛大な水飛沫が上がり、冷たい水が私たちの顔や服に容赦なく叩きつける。
「冷たっ! うわ、びしょ濡れじゃん!」
「最高じゃない!」
風を切り裂きながら水面を滑走するスリルと、顔にかかる冷たい水しぶき。直前の暑さが嘘のように吹き飛び、私は両手を少しだけ上げて、全身でその風圧を受け止めた。
ボートがゆっくりと到着口に戻ってくるころには、私たちは揃って水を滴らせながらも、すっきりとした顔で笑い合っていた。少し後ろから降りてきた栄花も、濡れた髪を軽く手で払いながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべている。
続いて、少しクールダウンを挟もうと選んだのは定番のコーヒーカップ。 三人がそれぞれのカップに乗り込み、中心にある円形のハンドルを思い思いに回す。
「それ、回しすぎると目が回るから、ほどほどにね。」
「じゃあ、もっと加速させるぜ!」
「は、ちょ、馬鹿!やめい!」
「良い感じ!」
「ねえ、栄花もこの暴走機関車止めてー。」
「目が回ってる赤松・・・いいかも。鳳花!もっとやちゃって。」
「な、なに言って・・・」
「あいよぉー!」
「ひゃあーー!!!」
風凪が狂ったようにハンドルをグルグルと回し始め、私の乗るカップも遠心力で猛烈に回転し始めた。景色がグルグルと歪み、笑い声が自然とこぼれてくる。
テスト前の憂鬱さとか罪悪感とかは遊園地に来る前まではあった。だけど、それが吹っ切れるほど楽しい。誰かと一緒にこんな風に笑い合って、ただ今を全力で楽しむなんて、いつぶりだろう。
風のなかで、私は自分の頭の底と胸の奥にある・・・嫌なものが、じんわりと温かくなるのを感じていた。
そして、コーヒーカップをフラフラになりながら降りた私たちが次に向かったのは、この日の真の難所、お化け屋敷だった。
「ふん、お化け屋敷なんて大したことないだろ。作り物のギミックにビビるなんて子どものすることだし。」
薄気味悪い洋館を模したお化け屋敷の入り口を見上げながら、風凪は腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。さっきまでコーヒーカップで目を回していたくせに、急に余裕ぶっている。
「へえ、随分と余裕ね。」
栄花が冷ややかな視線を一瞥する。
「後で泣きつかれても困るんだけど。」
私も強がる風凪を煽る。
「泣くわけない?むしろ僕が先頭に立って守ってあげるが?」
「カッコつけないでね。」
栄花は再び一瞥した。
強がりを言う風凪に対し、私の足は正直すでに数ミリすくみそうだった。けれど、ここで引くわけにはいかない。 結局、先頭を栄花、真ん中を私、そして一番後ろを風凪という布陣(風凪は「一番後ろが一番危険だから僕が殿を務めてやる」とか言っていた)で、おそるおそる重く冷たい扉を押し開けて暗い通路へと足を踏み入れた。
一歩足を踏み入れた瞬間、外のギラギラの太陽が嘘のような、底冷えする暗がりと澱んだ空気が私たちを包み込む。
ジメッとした冷気が肌を撫で、どこからともなく不気味なお経のようなうめき声や、鉄の鎖を引きずるような重い音が足元から響いてきた。
その瞬間、私の後ろから伝わってくるあからさまな振動。
「・・・ねえ、風凪?」
振り返ると、さっきまでの威勢はどこへ吹き飛んだのか、風凪は生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせ、ブルブルと全身を揺らしていた。顔色はすっかり蒼白だ。
「ひっ・・・!だ、大したことないし?ぜ、全然怖くないし?ただの冷房の効かせすぎだし・・・」
「嘘つけ!ガタガタ震えながら私の服の裾をちぎれんばかりに掴んでるじゃん!」
「つ、掴んでない!事故で手が接触してるだけだし?窓の隙間から今、絶対何かと目が合ったけど気のせいだし?」
「落ち着きなさいよ、二人とも。ガキなの?」
栄花だけは相変わらず冷静に見えたが、その歩くペースが心なしか早くなっているのを見逃さない。
薄暗い通路のあちこちに不気味な青白い照明が灯り、血みどろの人形や、壁の隙間から突然飛び出してくるガイコツのギミックが私たちを容赦なく脅かしてくる。その度に風凪はブルブルと震え上がり、盛大に情けない悲悲鳴をあげた。
「うわ、待て、足元になんか踏みづらい感触のものが・・・!」
「ひぃっ、それ踏んだら呪われるやつ!人生終わった。」
「ただのゴム製のマットよ。」
いよいよ本格的な暗闇のゾーンへと差し掛かった時だった。
「っ・・・!」
暗がりの曲がり角を曲がった瞬間、目の前に白装束をまとった長い黒髪の人形が、滑車でも使っているのか猛烈なスピードで私たちの頭上すれすれを横切った。
「うわあああああ!」
風凪が恐怖でブルブル震えながら私の背中に完全にしがみつき、私も思わず声を出して前の栄花の背中に思いっきりぶつかる。
「きゃっ、ちょっと赤松!いきなり押さないでよ!」
「ご、ごめん!だって今のめちゃくちゃ怖かったでしょ!」
「もうやだ帰る!大したことある!めっちゃ大したことあるここ!お母さーん!」
風凪が速攻で手のひらを返して本気で泣きそうな声をあげる。情けないことこの上ないが、直前の強がりとのギャップに、不謹慎ながら笑いがこみ上げてきそうになるのを必死で堪える。
一人だったら絶対に怖くて一歩も進めなかったこの真っ暗な闇の中を、私たちはこうして互いの背中を預け合い、情けなくも肩を寄せ合って進んでいるのだ。
恐怖の隙間に、なぜか胸が熱くなるような、妙な連帯感と高揚感が広がっていく。私、今ちゃんとここに生きているんだ。こんな風に誰かと感情を共有して、心から楽しんでいるんだって、胸の奥が熱くなった。
「ほら、いつまでしがみついてるのよ、あそこに出口の光が見えたじゃない」
栄花の冷静な声に促され、私たちは蜘蛛の巣だらけの最後の通路を蜘蛛の子を散らすように駆け抜けて、ようやくまばゆい外の光へと飛び出した。
「「「はあ・・・」」」
外に出た瞬間、全身の力が一気に抜け落ちる。照りつける太陽の光が、さっきまであんなに憎かったはずなのに、今はこれ以上ないほどありがたく感じられた。
「生還した・・・僕たちは、この地獄から生還したぞ・・・」
風凪がその場にへたり込みそうになりながら天を仰ぎ、私たちは顔を見合わせて、ついにこらえきれず盛大に吹き出した。
「ほんとバカみたい。大したことないって言っていた割には、一番ブルブル震えて泣きそうになってたわね。」
栄花が少し意地悪そうに、でもどこか優しげにフッと笑う。
私も自分の胸に手を当ててみた。ドキドキと鳴っているのは、お化け屋敷の恐怖だけじゃない。
テストの点数や、これからの進路や、狭かった私の世界。
そういう窮屈で息苦しいものから、この青空の下で、この仲間たちと一緒に、大きく一歩を踏み出せたんだという確信の胸の高鳴りかな。
私は自分に自信を持てる気がした。今ならこのどうしようもない自分を変えていけるかもしれない。そんな強い実感が、胸の奥で確かに息づいていた。
「・・・ねえ、次は確か・・・お昼ご飯でしょ?」
私がそう切り出すと、さっきまで恐怖でブルブル震えていた風凪がパッと顔を輝かせた。
「おっ、待ってましたよ、と。王道は屋台の焼きそばとか、ハンバーガーとかよね。全部食ってやる・・・」
「あんまり食べ過ぎると、この後のアトラクションで盛大にリタイアすることになるわよ。」
呆れる栄花を先頭に、私たちは賑やかなフードエリアへと歩き出す。
汗ばむ季節の風の中、私の足取りは、最初よりもずっと軽やかで、確かな誇らしさに満ちていた。
フードコートで焼きそばと冷たいフライドポテトを突っつき、すっかり体力を回復させた私たちが次に向かったのは、この遊園地のシンボルとも言える巨大な絶叫マシン、巨大な鉄骨が入り組み、見上げるような高さを誇るジェットコースターだ。
「さあて、お腹も落ち着いたところで、いよいよ本丸登場といこうじゃないの!」
私が案内マップをバサッと広げてコースターの路線図を指差すと、風凪がスポーツドリンクのペットボトルを高く掲げた。
「よっしゃあ!お化け屋敷の借りはここで返す、風を切って走る僕の勇姿を見せてやる!」
「どの口が言ってんだか・・・」
さっきまでお化け屋敷の出口で生まれたての小鹿みたいにプルプル震えていた男が、よくもまあここまで一瞬で調子に乗れるものだ。呆れつつ隣を見ると、栄花が明らかに固まっていた。
「・・・栄花?どうしたの、急に立ち止まったりして。」
「え? あ、ううん・・・なんでもないわ。ただ、想像以上に大きいのね、って。」
どこか引きつった笑顔を浮かべ、喉をゴクリと鳴らす栄花。さっきは歯切れの悪い反応してたから普通に絶叫系が苦手だと思ってたけど、さては栄花・・・苦手どころの騒ぎじゃないな?
お化け屋敷はギリいけると言っていたけれど、この巨大な鉄の怪物を見上げる彼女の目は、完全にこれから処刑台に向かう囚人のそれだ。
「あれら、あれら、栄花君?もしかしてビビッてたりする?」
風凪も同じように栄花が絶叫系が苦手だと察し、ここぞとばかりにニヤニヤしながら栄花の顔を覗き込む。
「ビビる?誰が?私が?冗談はやめてちょうだい。ただの鉄の塊に乗って重力に従うだけの移動手段に、恐怖を感じる要素がどこにあるのかな?」
「早口になってるし、理屈っぽくなってる時点で大分フラグ立ってんのよ。」
私が突っ込むと、栄花は「くっ……」と口を噤み、プイッと顔を背けた。その耳たぶが心なしか赤くなっている。意地っ張りなところも彼女らしくて愛おしい。くっころ系の江戸漫画、嫌いじゃないです。
スタンバイ列に並ぶこと二十分。カンカンカンという安全装置の不穏な警告音とともに、ついに私たちの順番がやってきた。二人がけのシート。グッチーの結果、今回は私が栄花と隣同士になり、風凪は一つ前の席に一人で乗り込むことになった。
「うおおお!最前列付近!景色最高じゃん?」
「うるさいわね、静かに乗りなさいよ・・・」
カチャン、と重厚な安全バーが上から降りてきて、胸元をしっかりと固定される。その瞬間、隣から「ひっ」という小さな悲鳴が聞こえた。チラリと横を見ると、栄花が安全バーを握りしめる手が白くなるほど力が入っている。
「栄花、大丈夫? 手、繋ぐ?」
「なっ、生意気言わないで!私は大丈夫よ、これくらい、あの時と比べたら・・・!」
強がりを言う栄花の手に、私はそっと自分の手を重ねた。一瞬ビクッと体が跳ねたけれど、栄花はそれを振り払おうとはせず、逆にぎゅっと私の手を握り返してきた。手心が冷たい。本当にかわいい奴だな。。
プシューッという空気が抜ける音とともに、車輪がゆっくりと動き出す。
「さあ!絶叫の旅へレッツゴー!」
「風凪、前向いて喋りなさい!」
カタカタカタ・・・と重い鎖の音を響かせながら、斜面をぐんぐんと登っていく。視界がどんどん高くなり、さっきまで見上げていた売店やメリーゴーランドの屋根が、ミニチュアのように小さくなっていく。青空がやけに近く感じられ、六月の真夏日の風が頬を強く撫でた。
「うわ、高っ・・・めちゃくちゃ眺めいいじゃん!」
「赤松、お願いだから下を見ないで・・・」
隣の栄花はもう目を固く瞑っている。そして、カタカタという音が止まった。
私たちは最頂点で一瞬、ピタリと静止する。
視界の先には、ほぼ垂直に落ちていく線路と、遥か下方の地面だけ。
「あ、これアカンやつ―――」
風凪のつぶやきが言い終わるより早く、世界が逆転した。
浮遊感。臓器が浮き上がるような感覚とともに、激しい重力が全身を襲う!
「きゃああああああああああああッ!!!」
「うわああああっ!駆け落ちてるのだ!下まで!一気に・・・って、死ぬ死ぬ死ぬーッ!」
猛烈な風圧が顔を叩き、景色が目まぐるしいスピードで後ろへと吹き飛んでいく。風凪の情けない絶叫と、普段の冷静さからは想像もつかない栄花のハイトーンな悲鳴が耳をつんざく。
でも、次の瞬間―――私の中で、何かが弾けた。
「あっははははは!最高――――ッ!!」
怖いとか、危険だとか、そんなものは全部吹き飛んだ。目の前を通り過ぎていく青空と白い雲。体に巻き付く猛烈な風。
急カーブで体が左右に振られ、ループで頭と足が逆転する。そのたびに視界がぐるぐると回転し、胸の奥から湧き上がる衝動を抑えきれなくなった。
握りしめた栄花の手を引きながら、私は風に向かって思いっきり叫んだ。
「テストなんて知るかー!青春サイコーッ!」
「え?なんて?赤松、アンタ何叫んで・・・きゃああああっ!」
「いや、テストの点数は知っとく、かああああああっ!」
途中のカメラが設置された絶叫ポイントを駆け抜け、最後の大カーブを曲がりきると、コースターは滑らかに減速し、プラットフォームへと戻ってきた。
プシューッ。
静寂が戻ってくる。私たちの髪は爆発したみたいに乱れ、息は全員上がっていた。
「・・・ふぅ。生き、てる?あくびなんて出なかったよ。」
前方の風凪が、シートにぐったりと沈み込みながら魂の抜けた声を出した。
「バキやめてね。」
私はすかさず風凪にツッコミを入れる。
「はーっ!楽しかったー!ね、栄花!」
私が隣を向くと、そこには―――目を見開き、開いた口が塞がらない状態で呆然としている栄花の姿があった。
「栄花?大丈夫・・・?」
心配して覗き込むと、栄花はハッと正気に戻り、乱れた髪を手ぐしでササッと整えながら、必死に引きつる口角を上げてみせた。
「ふ、ふん・・・まあ、大したことなかったわね。地球の重力を少し体感した程度かしら。」
「嘘つけー!途中で『お父さーん!』って叫んでたの聞こえたぞ!」
「I did not! Stop making things up, Houka! (言ってないし、捏造しないでよね、鳳花。)」
栄花は顔を赤くしながら無駄に発音の良いネイティブ英語で言い返した。
「Why the sudden English? Akamatsu can't understand it. (なんで急に英語に?赤松は聞き取れないよ)」
風凪が口を半開きにしたポカン顔で突っ込む。いや、聞き取れてるんだが?
いや、ここは私も英語できるんだぞってところを見せておこう。
「Come on, I can't even catch that! (おいおい、全然聞き取れないんだけどさ~)」
私はあざと困惑した様子を見せながら流暢に英語を言う。
「うお、実は聞き取れてますよ、アピおもしろ。これ中学生レベルの文法だから。」
「お前一旦口縫うよ?」
静かに怒りを抑えながらそう言うと、風凪は弱弱しく返事をしてシュンッとする。
ところで、栄花の顔はすでにいつもみたいな冷静さを見せるようになった。ただ、栄花はまだ私の手を握っていた。たぶん内心はまだジェットコースターの衝撃があるのだろう。
シートベルトが外れ、足元がおぼつかないままホームに降り立つ。
日差しは相変わらずギラギラと太陽を燃やし、汗が肌を濡らしていたけれど、私の心の中は驚くほど澄み切っていた。
定期テスト直前の日曜日。勉強もしていないし、明日になれば現実に引き戻されるのかもしれない。そうなれば私はまた家族に迷惑をかけるどうしようもない奴になってしまう。
だけど、今この瞬間、風を切って笑い転げた記憶は、きっとこれから先、私が何度も自分を見失いそうになった時に、私を支えてくれる光になる・・・と思う。
「ねえ、栄花、次はどこ行く?まだまだ乗ってないのいっぱいあるよ。」
「えっ・・・ま、まだ乗るの・・・?」
「当たり前でしょ?遊園地初心者を甘やかす気はないからね!」
「赤松のテンションが一番おかしくなっててワロタ・・・」
引きつる栄花と苦笑する風凪の手を引っ張り、次のアトラクションへ向かった。




