ヒンナ変 其の二
「ダマ・・・」
魔獣は、心臓を無残にねじ切られ、致死のダメージを負いながらも、血に塗れた仮面の下で顎を震わせて必死に魔術の詠唱を紡ごうとしていた。
「死ねよ!」
鳳は容赦なく追撃を叩き込む。突き立てた剣先に『瞬魔』を連続して起爆させる。肉を弾き飛ばし、骨を砕き、魔獣を内部から徹底的に破壊し尽くさんとする。
何度も。何度も。
「ゼェ、ハァ!」
死の淵に立たされた魔獣の脳裏に、刹那、ある光景がフラッシュバックする。
それは、ブロンドの髪を揺らす温和な女の影。泥に塗れた現在の自分とは対極にある、風化しきった過去のまぶしい冒険の日々。
そして、崩壊、絶望と虚無の闇も。
―――走馬灯。
さらに、底知れぬ虚無の淵で、アビスバロウを統べる大柄な男――魔王が口にした言葉が、呪いのように蘇る。
「追い詰められたらこれをやってみろ。お前ならできるはずだ・・・」
ふつふつと、心の底で黒く澱んでいた腸が煮えくり返る。
愛おしく、まぶしかった日々を理不尽に踏みにじった憎きあの盗賊団。ローズを無慈悲に連れ去ったあの男。彼女に濡れ衣を着せ、死へと追いやったあの組織と、彼女を冷酷に処刑したあの国。 そして何より、ローズと自分を無惨に引き裂いたこの残酷なこの運命。
・・・もう、どうにでもなってしまえ。この理不尽な世界ごと、焼き尽くしてやる。
「リイカウコョキ。」
魔獣は虚ろな目で、この世のものとは思えない呪詛を呟いた。
―――ボウッ・・・
「炎なんて意味・・ッ!」
鳳の言葉は途中で遮られた。魔獣から離れようとした矢先、内部を破壊し尽くされ、とうに死に絶えているはずの魔獣が、悪鬼の如き剣幕で、鋼のような膂力をもって鳳の足をガッチリと掴んできたからだ。
そのまま執念の塊と化した巨躯で、鳳の体を拘束するように強く抱きかかえる。
「アッツ!やめろ!」
鳳は咄嗟にスキル『天吸』を発動させ、自身を包む炎の魔力を吸収しようと試みる。しかし、肌を焼く激しい熱量は一向に消え去る気配がない。
そう、物理的な『炎』など最初から存在しなかったのだ。ただ、体を焼き焦がすような異常な『熱』だけがそこにあったため、鳳は炎に包まれていると錯覚してしまったのである。
「ダツネ。」
鳳は足裏に瞬魔を発生させ、爆発的な推進力で拘束から逃れようと足掻く。しかし、すべてを道連れにせんとする魔獣の火事場の底力の前では、その抵抗すら無力だった。魔獣のの万力のような男の太い腕が、鳳の足を完璧にホールドして離さない。
「クソがっ、ゴホッ・・・」
限界を超えた『熱量』と『酸欠』により、遂に鳳の意識は途切れ、その場に崩れ落ちて沈黙した。かすかに息はあるものの、このままでは数分と持たずに死に至るだろう。
「トッモ,トッモ!」
魔獣はすでに自身の肉体が崩壊し始めていることなど意に介さず、最後の生命力を振り絞り、ただ純粋な超高熱によって鳳を焼き殺そうとしていた。
その姿、まさに怨念の権化。憎悪と憤怒の業火のみが、彼を突き動かしていた。
―――ドンッ!
突如、空気を叩き割るような衝撃音と共に、赤黒い血飛沫が宙に舞った。
魔獣の頭部が、不可視の圧倒的な一撃によって完全に粉砕されていたのだ。 即死。絶命した魔獣の巨躯がパラパラと塵となって崩れ落ちていくにつれ、周囲は急速に熱を失い、冷たさを取り戻し始める。
「まあ、こっちを助けるのが道理でしょ。」
砂埃が舞う荒野の中、ふいに凛とした声が響き、蜃気楼が晴れるように見知らぬ人影が浮かび上がった。
深くフードを被ったその女が外套を脱ぎ捨てると、目を奪うような容姿が白日の下に晒される。地獄と化した凄惨な戦場には不釣り合いなほどに澄み切った、宝石のように輝く桃色の瞳。腰まで届く流麗な金髪が、荒涼とした風に煽られて黄金色の波を打つ。整った顔立ちは冷酷さと慈愛を同時に孕んでいるようで、どこか浮世離れした美しさを放っていた。
彼女はその美しい金髪をなびかせながら、手にしていた豪奢な外套を、倒れ伏す鳳の体へと無造作に投げ被せる。
「ごめんね。」
そう優しく囁きながら、彼女は鳳の頭部に向けて容赦なく一撃を放ち、その頭を撃ち抜いた。
―――レザレクション・クローク、三度目の発動。
鳳の体の傷はたちまちふさがり、ぼろぼろの骨と内臓も治り、生命力が上昇する。
「やあ、少年。」
女は外套に包まれた鳳の傍らに優雅な足取りで駆け寄ると、容態を確認するようにその端正な顔を覗き込んだ。しかし、鳳はいまだ気絶しており、微かな寝息を立てるだけで一切の反応を示さない。
「ま、生きてはいるか。てか、この荒れっぷりといい、魔力濃度の高さといい。どんだけ魔力持ってたんだよ。この少年は。」
女は苦笑いを浮かべつつも、華奢な見た目に反した力強さで鳳の体をヒョイと担ぎ上げた。そして、凄惨な死闘の痕跡が残る戦場に背を向け、一歩踏み出す。




