36 終焉
黒騎士は神剣で石板を叩き斬った。
それが神の玉座のメインのコントロール制御システムであることは承知している。
外ならぬ自分が調べたことだ。機械の身体となる前に。
これを壊せば『神の玉座』は止まる。同時にそこに注がれていたエネルギーが行き場を失うことも。
斬った瞬間、石板からあふれた力が奔流を始め、その光の渦に黒騎士は巻き込まれていった。
「シド!」
離れていたジークフリートの目に映ったのは、膨大な力によって身体を引き裂かれた黒騎士の姿だった。
──
エマはまどろんでいた。
そのまどろみの中で、久しぶりに兄であるシドと会っていた。
「すまなかったな」
何故かシドは謝っていた。自分が知るシドは正義感が強くて優しくて、間違ったことなど絶対にしない人間だ。
そんな兄が謝るようなことをするとは、とても思えない。
「何故謝るのですか?」
エマは尋ねた。けれど、シドは困ったように笑っている。
次第にそのシドの姿が黒く染まっていった。
「兄さん!」
エマは手を伸ばして呼び掛けたが、シドの姿は闇の中に消えていった。
──
あまりの光の激しさに目が閉じていたジークフリートだったが、しばらくして光と熱が徐々に収まっていくのを肌身で感じた。恐る恐る目を開けると、エマの頭上にあった蒼い宝石は完全に光を失っている。
「止まったのか?」
ジークフリートが神の玉座に目を向けると、エマがわずかに身じろぎしている。取り込まれかけていた精神が解放されたようだ。
「……何とかなったようだな」
ガーネッツが持ち込んだ4つの魔晶石も力を失って、床に転がっていた。
カナンの城の動力源はこの魔晶石だったはずだ。ということは、空を飛んでいたこの城が今から落下を始めるのは容易に想像できた。
事実、身体が浮遊するような奇妙な感覚がある。早く脱出しなければならない。
倒れているガーネッツと無残な姿になっている黒騎士からは目を逸らし、ジークフリートは玉座に座っているエマの手を取った。足元でネコが少し不満そうにしている。
「そんなに怒るな。余とて自分がこういう役回りをする人間ではないと自覚しておるのだ」
苦笑いする皇帝の足を、ネコは爪で軽くひっかいた。金属が擦れる嫌な音がした。
「ん……」
その音がきっかけとなったのか、エマがうっすらと目を開けた。
「終わったぞ? 後は帰るだけだ」
ジークフリートが優しく言った。
「……この椅子に座らされたときに聞かされました。ガーネッツさんたちが何を目的としていたのか」
エマはジークフリートの手を支えに立ち上がり、ゆっくりと周囲を見渡した。
そして近くに倒れていたガーネッツを見つけると声をかけた。
「あなたがあのときの狼さんだったんですね」
ガーネッツは倒れたまま何も言わない。
「ごめんなさい。わたしは神様なんかにはなれません」
その言葉にガーネッツはピクリと動き、ゆっくりと口を開いた。
「……謝ることはない。わたしは悪者なのだよ、姫君。そうでなければ、命を助けてくれたあなたを犠牲にして平和を望むはずがない。何も気に病むことはない」
「でも……あなたの夢見た世界は、きっと綺麗なものだったと思います」
その言葉にガーネッツは黙って目を閉じた。早く行けと言うように。
ジークフリートは何も言わず、そのまま右肩でエマを支えて歩き始めた。機械の手足のおかげでそれほど身体に負荷はない。その足元をてくてくとネコがついていく。
「おい、起きろ盗賊。人狼であれば、いい加減傷も癒えている頃であろう?」
少し離れたところで倒れたままでいたクロードの頭を、ジークフリートは足で小突いた。
その痛みで獣の目がバチリと開く。
「ん? 何だ? どうなっていやがる?」
上半身を起こし、軽く頭を振ったクロードはぼんやりとつぶやいた。
「のんきなものだ。すべては終わった。おまえはムラクモに肩を貸してやれ。早くここを出ないと死ぬぞ?」
部屋の入口で動けなくなっているムラクモを、ジークフリートは顎で指した。
すると当のムラクモが声をあげた。
「俺のことよりも剣を回収してくれ、クロード。そこだそこにある!」
律儀なムラクモは神剣のことを、ずっと気にかけていたのだ。
「何だ? 剣がどこにあるって?」
未だに状況がのみ込めていないクロードは、ムラクモが指さした先に転がっていた剣と、その付近にあった黒騎士の変わり果てた姿と倒れているガーネッツを見て、ようやくすべてを察した。
「……別におまえらが間違っていたとは思わなかったさ」
その言葉はどこか言い訳のように聞こえた。
クロードは剣を拾った後、ムラクモに肩を貸して玉座の間を後にしたが、その道すがら、ひとつの事実に気付いた。
「何で俺がムラクモで、おまえがエマなんだよ?」
既に姿を戻していたクロードは、人の顔で不服そうにしている。それに対してジークフリートは言った。
「こういうのは王子の特権と昔から決まっておる。余も元は王子だったからな」
その言葉にようやくエマがくすりと笑った。
ムラクモが戦っていた部屋では、死神たちの残骸がそこかしこに散らばっていた。
何ならまだ動いているモノもある。
「意外とてこずったんだな」
クロードは意外に思っていた。死神の強みは高い防御力であり、それさえどうにかなればムラクモが圧勝すると思っていたからだ。
「俺も楽勝だと思っていたさ。だがな、死神もいつもは本気じゃなかったんだよ。あいつら、機械であることを隠す必要がなくなったら滅茶苦茶やりやがった。空を飛んだり、目から魔法みたいな光を放ったりして大変だった。しかも、一回斬ったくらいじゃ全然死んでくれないしな」
手だけで床を這っている死神の残骸を横目に、ムラクモは嘆息した。
「そいつは良かった。俺が相手をしなくて。今日はついていた」
クロードが素直な感想を述べた。
最初の巨大な広間にたどりつくと、そこには人の姿に戻っていたラクシュと、それを取り囲むユーリと近衛兵たちの姿があった。オイゲンは疲れ切っているのか、ぶっ倒れて胸を上下させている。
ただ、近衛兵は3人しかおらず、クロードに親指を立てた兵士の姿はなかった。
「陛下! ご無事で何よりです!」
近衛のひとりがまっさきにジークフリートに駆け寄った。
「……この状況は?」
ある程度の推測はついていたが、ジークフリートは報告を求めた。
「反乱兵は鎮圧。投降者はゼロ。こちらもふたりが戦死を遂げています。先ほどオイゲン殿たちと合流して、ようやく青龍を捕縛したところです」
良く見れば、近衛兵たちの着ている白い軍服のあちこちに焦げた跡がある。それは彼らの戦いが簡単ではなかったことを示していた。
「別にこの人たちに負けたわけじゃないわ。ユーリたちがあまりにしつこくて、ヘロヘロになっちゃっただけよ。あと依頼主が負けちゃったようだし、これ以上頑張っても仕方なかったしね」
ラクシュが負け惜しみのようなことを言った。城が力を失ったことで、ガーネッツたちの敗北を悟ったらしい。
「ならば商人よ、商談といこうか。余たちを元の場所に運んでほしい。報酬はガーネッツについたことを不問にすることと、帝国の宝物庫から好きな宝石をくれてやろう」
単刀直入にジークフリートが切り出した。
「寛大な処置で痛み入りますわ、陛下。喜んで運ばさせて頂きます」
ラクシュが商人の笑みを浮かべた。
「いいのか、そんな簡単に許しちまって?」
クロードにはわだかまりがあるようだ。ある程度信頼を置いていた相手に裏切られたことが、ショックだったのだろう。
「盗賊よ、今この城がどこにあると思っている? 海の上だぞ。余が泳げると思っているのか?」
ジークフリートは左手を失っており、しかも残る手足は金属製である。海の中に沈む姿を想像するのは容易だった。
「……そうだな。この際、ドラゴンの助けも必要かもな。だが俺からもひとつ提案がある。帰りはゆっくり飛んでくれ」
クロードの言葉にラクシュ以外の全員が深く頷いた。来るときの激しい飛行体験はある種のトラウマとなっていたからだ。
「もちろんよ。快適な空の旅を約束するわ」
ラクシュがにっこりと笑った。
──
不意に黒騎士は意識を取り戻した。奇跡的に再起動した、といったほうが正しいだろうか。
しかし、身体は分断しており、長くはもたないことはわかっていた。
「目を覚ましたか」
そこに声をかける者がいた。黒騎士は何とか頭を動かして、その方向を見るとガーネッツの姿があった。
「ちょっと見ない間に、随分と身長が縮んだものだな」
ガーネッツが口元だけで笑った。
「おまえこそ随分と野性的な見た目になっているじゃないか。性格が身体にあらわれているぞ?」
人狼の姿のままとなっているガーネッツをシドが揶揄する。
「ちょっとはしゃぎ過ぎてな」
何年かぶりの屈託のないやり取り。
その後にシドが静かに言った。
「すまないな。わたしが神になれれば良かったのだが」
シドには生身のほとんどを失い、タテス王家の人間として認識されなくなった後悔がずっとあった。
自分が万全であれば、計画は上手くいっていたのではないかと。
「ああ、気にするな。わたしは最初からおまえを神にする気はなかった」
「何?」
「おまえみたいな厳格なヤツが神だと、世界が息苦しいものになってしまうからな。わたしは優しい世界を夢見たんだよ……」
ガーネッツが夢見たもの。それは強力な力や賢しい知恵で支配されるものではなく、ただ平凡な優しさに満ちた世界だった。
「……おまえは理想が高過ぎる」
シドの言葉に返答はない。
ガーネッツは薄れゆく意識の中で昔のことを思い出していた。
「綺麗な銀の毛皮ね」
あのとき傷薬を塗った後、エマはそう言って、嬉しそうにガーネッツを撫でた。
優しい思い出だった。
カナンの城はゆっくりと海の中に沈んでいった。




