18 飛空艇
夜更け、寝付けなかったエマは部屋の扉がゆっくりと開いたことに気付いた。
「誰?」
部屋に足を踏み入れてきたのは、監視役のふたりの女兵士だった。
ネコが少し警戒している程度なので、敵意はないのだろう。
「移動です。着替えをお願いします」
その声はいつになく硬い。そして、彼女らが用意した着替えというのは帝国の緑色の軍服だった。
「こんな夜中にですか?」
軍服を着ることには抵抗があったので、エマの声は非難めいたものになった。
「はい。エマ様には極秘裏の作戦に従事してもらうことになりますので」
だが、護衛役はその非難を完全に無視した。
「誰の作戦ですか? 皇帝陛下? それともガーネッツ宰相?」
作戦がどちらの意志によるものかがエマには気になった。
「それも機密事項となります」
返事はやはり硬く、エマの疑問に答えそうにない。
「……わかりました。着替えますので、部屋から出ていてください」
一瞬、逆らうことも考えたが、どちらにしろ自分には味方などいないことに気付いた。監視役のふたりが部屋から出ていくと、エマは大人しく緑色の軍服に袖を通したのだった。
──
ふたりの女兵士に前後を挟まれて、エマは長い階段をせかされるように下りていた。その左肩にはネコがしがみつくように乗っている。ネコが付いてくることに女兵士たちは難色を示したが、エマが置き去りにすることを拒んだので最後には諦めた。
深夜なので静かなのは当然だが、何故か張り詰めるような緊張感がエマに伝わってきた。それは前後の女兵士のものなのか、この夜の空気によるものなのか。
しばらくして塔の出口が見えてきたのだが、警護にあたっていた兵士たちが倒れていた。彼らの身体の下には血だまりができている。銃声が聞こえた記憶はないので、恐らく刃物でやられたのだろう。
思わず声をあげそうになったエマの口を、背後にいた女兵士がそっとふさぐ。抗議するようにネコがその手をひっかいたのだが、彼女は眉ひとつ動かさなかった。
「お静かに。先を急ぎましょう」
女兵士は自分たちの用件のみを語った。さらに階下に潜んでいた4人の兵士たちが姿を現し、女兵士たちと頷き合ってから合流した。彼らが警護の兵士たちを殺した犯人に違いなかった。
エマはただならぬ事態を悟った。帝国の兵士が殺されているということは、これはガーネッツによる帝国への反逆である。エマはガーネッツよりもジークフリートに親しみを覚えていたが、だからといって女兵士たちに歯向かう気もなかった。何せ既に人が死んでいる。ガーネッツたちの意志は尋常なものではない。下手に逆らったら何をされるかわからなかった。
「あなたたちは皇帝陛下に逆らうのですか?」
前を行く女兵士に、エマは静かな声で問いかけた。
「……我々は帝国の出身ではありません」
振り向かずに女兵士が言葉を返す。
「みんな帝国に征服された国の出身なのですよ。この国は能力さえあれば、他国の人間でも取り立ててくれる。しかし……」
彼女は顔だけ振り返ってエマと一瞬目を合わせた。
「国を占領された悲しみを、死んでいった家族や友人の苦しみを忘れることはできないのです」
その表情に恨みがましいところはなく、ただ悲壮感だけがあった。
「でも、侵略した帝国の尖兵となったのはガーネッツ宰相や黒騎士ではありませんか」
エマにはそのことが不思議に思えた。彼女たちが帝国に反旗を翻すのなら、ガーネッツたちがもっとも恨まれていいはずである。
「我々は帝国を滅ぼしたいわけではありません」
背後についている女兵士が言った。
「戦いは結局同じことを繰り返すだけです。悲しみの連鎖は止まらない。我々の目的は争いの無い世の中を作ること。ただそれだけなのです」
「えっ?」
エマには彼らが何を言っているのかわからなかった。しかし、それ以上、女兵士たちがエマの問いかけに答えることはなかった。
それに城内には警護をしていたであろう衛兵たちがあちこちに倒れていて、そのことがエマにはショックだった。人の死体をこんなにも目にしたのは初めてだったからだ。
城を抜けた後、エマを連れた一行が向かった先は近くにある巨大な建物だった。といっても、レンガで作ったちゃんとしたものではない。木材と布を張り合わせて、とにかく大きくすることを目的としたような張りぼての建築物だった。
そこにエマたちが近づくと、突然銃声が響いた。
「気付かれたか」
女兵士が暗い声でつぶやいた。
その銃声をきっかけに、張りぼての中から立て続けにいくつもの発砲音が響く。
さらに抜けてきた城から一斉に明かりが灯り、叫び声が聞こえてきた。
「『飛空艇』が狙われている!」と。
──
古代文明の遺跡からは大小様々なものが発掘されている。
その多くはどう使ったらいいのかわからないものばかりで、帝国内ではその使い方に関して日夜研究が続けられていた。
ただ、中でも皇帝ジークフリートの関心をもっとも惹いたものは、巨大な船だった。
正確には船ではない。そのような形をした乗り物である。
遺跡の中で朽ちていたそれは、ジークフリートの命令で帝国に持ち帰ることになった。
かの皇帝は言った。
「これは空飛ぶ船に違いない!」
命令により最優先で修繕と研究がなされた巨大な発掘品は、やはり皇帝の予想通りのものだった。
古い文献によると『飛空艇』と呼ばれるものであり、それは未知の科学で作り上げられたものだった。
派手なものを好む皇帝が、
「とにかく動くようにせよ! 原理などわからなくともかまわん!」
と号令をかけ、帝国が全力をかけて復旧された代物である。未だに詳しい原理などはわかっていないが、帝国の最新技術である蒸気機関を動力として組み込み、何とか動けるようにまで漕ぎつけたのだ。
そのお披露目は皇帝自身が盛大に行う予定となっていた。
この夜までは。
「飛空艇が狙われただと!」
飛空艇の工場が襲撃されているという報告を聞いたジークフリートは激怒した。それはお気に入りの玩具を取られた子供の癇癪に似たものだった。
「誰だ!? ……いや、このようなことをやってのけるのはガーネッツか!」
すぐに犯人に目星をつけたジークフリートは、
「飛空艇は絶対に渡すな! ただし、傷はつけるなよ! 敵が恐らくガーネッツたちだがそっちは殺してもかまわん!」
と非常に偏った命令を下した。
「それとエマの安否も確認せよ。……何、連絡がつかないだと!? やはり連れ去られた後か!」
歯噛みしたあと、ジークフリートは椅子に腰を下ろして少し冷静になった。
「何か企んでいるかと思ったが、まさか反乱まで起こすとはな。何を考えている、ガーネッツ」
その顔には珍しく憔悴の色が浮かんでいる。ジークフリートにとってガーネッツは、少年の頃から頼りにしてきた人間でもあった。
──
「お久しぶりですな、エマ様」
巨大な建物の中でエマを待っていたのは、やはりガーネッツだった。
黒騎士たちは飛空艇を護っていた兵士たちを制圧している。しかし、続々と城から増援が駆けつけているので予断を許さない状況だ。
その中にあって、エマの目は巨大な船から離れなかった。
エマは内陸部の出身なので、船といえば川に浮かぶ程度のものしか見たことがなく、航海用の大きな船など知識でしか知らなかった。
ところが、これはその知識にある船の大きさを優に超えていた。
見た目は太い丸太を横倒しにしたような円筒であり、それが前後に向かって細くなっている。船体のあちこちには風車の羽根のようなものがいくつもついていた。船の大きさは村がひとつすっぽりと収まりそうである。
「これが飛空艇……」
こんな大きなものが空を飛ぶというのだ。エマにはとても信じられなかった。
「そう。昔はこれが空にたくさん浮かんでいた」
驚いているエマをガーネッツは満足げに見ていた。
「ただ、動かすのに時間がかかるのが困ったところでしてね。姫君には中でお待ち頂きたい」
ガーネッツはエマの意志を確認するまでもなく、そばにいた女兵士たちに連れていくよう目配せした。
ところがそこに声がかかった。
「そんなおっかないものにエマを乗せるなよ、宰相閣下。いや、今は元宰相か?」
声が聞こえてきたのは飛空艇の上のほうであった。
「何者だ?」
ガーネッツたちが目を向けると、飛空艇の上部に立つ3つの人影が見える。
「盗賊さ、お宝を返しにもらいにきた」
それはクロード、ムラクモ、ユーリの3人だった。




