第70話 魔法学園㊳
家へ着くと、葵は玄関の扉を開けた。
「ただいま」
「おかえり、葵」
リビングからリリスの声が返ってくる。葵は靴を脱いで中へ入り、鞄を置いてからリビングへ向かった。そこではリリスがソファに座っていて、葵の姿を見ると少しだけ顔を上げる
「今日はどうだった?」
「……普通。今日は実技の授業だったよ」
「そう、何か変わったことはあった?」
「風魔法を少し練習した」
葵は今日の授業であったことを簡単に話していく。自分の得意な風魔法を使って魔力を細く集中させたことや、狙った場所へ正確に魔法を通したこと。そして教師から、その魔法を「風穿」と呼ばれたことも話した。三つの魔法を同時に扱ったことについても話すと、リリスは少し興味深そうに聞いていた。
「三つ同時に?」
「うん。多重処理と集中制御を使ったら、思ったより簡単だった」
「それはかなり安定してきたみたいね」
「自分でもそんな感じがする」
……まあ、三つ同時に使えたのは結構大きいと思う。少し前ならこんなことをやろうとも思わなかっただろうし、実際にやってみたら思ったより普通にできた。逆にこれ以上増やしたらどうなるのかは少し気になるけど……そこはまた後で試したほうがよさそうだ。
リリスはそんな葵をしばらく見ていたが、やがて別のことを思い出したように口を開いた。
「それと、昨日の資料館の話も聞かせてくれる?」
「うん」
葵はソファへ腰を下ろす。昨日の資料館でキシュルと話したことや、そのあと中田と再会したことについて話していく。中田のことは昨日のうちに話しているため、そこは簡単に済ませ、葵はもう一つ気になっていたことを口にした。
「中田とは昨日話した通り。それと……本を見つけた」
「本?」
「『言霊概論』っていう本」
その名前を聞いた瞬間、リリスの表情がわずかに変わった。
「……『言霊概論』?」
「うん。資料館に置いてあった。中はまだ見てないけど、言霊について書かれてるみたいだった」
「そう……」
リリスは少し考えるように黙り込む。葵も急かすことはせず、そのまま返事を待った。資料館で見つけた本とはいっても、まだ中身を確認したわけではない。今の段階では何が書かれているのかさっぱり分からないし、勝手に想像しても仕方がない。
「それなら、明日もう一度行ってみましょうか」
「明日?」
「ええ。学校が終わったあとなら時間もあるでしょう? 私も一緒に行くわ」
葵は少しだけ考えてから頷いた。
「……分かった」
「昨日行ったばかりだけど、実際に本の中を確認してみないことには何とも言えないものね」
「うん。俺も気になってた」
明日の予定が決まった。学校が終わったらリリスと合流して、そのまま資料館へ向かう。そこで『言霊概論』を確認する。単純な予定ではあるけれど、言霊について書かれた本なら何か手掛かりが見つかるかもしれない。
……まあ、読んでみないことには何も分からないけど。
そんなことを考えていると、そろそろ夕食の時間になった。
夕食の時間になると、葵たちはいつものようにリビングへ集まっていた。テーブルには料理が並び、葵も席につくと箸を手に取る。学校へ戻ってからまだそれほど経っていないのに、今日は実技の授業があったり、帰ってきてから資料館の話をしたりと、思っていたより色々なことがあった。
「そういえば、今日の学校どうだったの?」
向かいに座っていた梓紗が尋ねる。
「普通だった。今日は実技の授業があったかな」
「実技かぁ。何やったの?」
「自分が得意な魔法を使う授業で、俺は風魔法を使った」
「へぇ、葵って風が得意なんだ」
「うん。前から使ってたし」
葵は今日の授業で使った魔法について簡単に説明する。魔力を細く集中させて、風を一瞬だけ標的へ通したこと。威力を無理に上げるのではなく、狙った場所へ正確に当てることを意識したこと。そして教師から、その魔法を「風穿」と呼ばれたことも話した。
「風穿って名前、結構かっこいいじゃん」
「そうかな」
「うん。なんか一発で貫く感じがする」
「まあ、そういう魔法だから」
「じゃあ、今度見せてよ」
「外でなら」
「外限定なんだ」
「家でやったら危ないし」
「それもそうか」
梓紗は納得したように頷き、そのまま食事へ戻っていく。葵も箸を動かしながら、今日の授業を思い返した。
風を細くして、一瞬だけ通す。
やっていること自体は単純に見えるけれど、実際には魔力の集中や方向、タイミングを全部合わせないと狙った場所には当たらない。しかも風は目に見えないから、失敗しても何が悪かったのか分かりにくい。
……そう考えると、結構面倒な魔法なのかもしれない。
そんなことを考えていると、ふと向かいにいる梓紗の腕が目に入った。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「梓紗の腕……なんか前より伸びてない?」
その言葉に梓紗も自分の腕へ目を向ける。少し確かめるように眺めてから、首を傾げた。
「……やっぱり?」
「え?」
「私も最近ちょっと思ってたんだよね。少しずつだけど、戻ってきてる感じがする」
梓紗は反対の手で自分の腕を軽く確かめる。以前よりほんの少しだけ変化している。まだ元の状態にはほど遠いものの、何も変わらなかった頃とは違って、少しずつ伸びてきているのが分かる。
リリスも改めて腕を確認するように眺めた。
「確かに、以前より変化しているわね」
「やっぱり?」
「ええ。ただ、完全に元へ戻るかどうかはまだ分からないわ。今は無理に何かをしようとせず、変化を見ていくのがいいでしょうね」
「そっか」
梓紗は自分の腕を眺めながら、少し嬉しそうにする。
「でも、前より伸びてるならいいよね。少なくとも悪くなってるわけじゃないし」
「うん」
葵も頷きながら、もう一度その腕を見る。
……確かに、前より伸びてる。
ほんの少しだけど、それでも変化があるのは大きい。ずっと何も変わらない状態だったことを考えれば、これは普通に嬉しいことだ。
「このまま少しずつ戻ってくれたらいいんだけどな」
「焦らなくても大丈夫よ。ちゃんと変化があるならそれを見ながら待ちましょう」
「うん、そうする」
その後は学校での授業の話や、今日の実技で他の生徒が魔法を失敗していたことなど、特に重要でもない話をしながら食事を続けた。葵も時々短く答えながら会話に加わる。こうして何でもない話をしながら食事をするのも、最近ではそこまで珍しいことではなくなっていた。
「そういえば葵」
「ん?」
「学校、楽しかった?」
不意に聞かれて、葵は少しだけ箸を止める
「……うん」
それだけ答えて、また箸を動かす。
……楽しかった、のかな。
少し考えてみる。授業では新しい魔法を使えて、ガイともいつものように話して、帰ってきてからはリリスと明日の予定まで決まった。こうして夕飯を食べながら梓紗とも普通に話している。
……うん。たぶん、楽しかったんだと思う。
「そっか」
梓紗はそれ以上聞かずまた食事へ戻った。リリスも何も言わずに二人の様子を見ながら箸を進めている。
窓の外はすっかり暗くなっていた。明日は学校が終わったあと、リリスと一緒に資料館へ行くことになっている。『言霊概論』に何が書かれているのか、それはまだ分からない。
……まあ、まずは読んでみないとな。
葵はそんなことを考えながら、残っていた夕食を口へ運んだ。
夕食を終えた葵は自室に戻ると、すぐにベッドへ腰を下ろした。しばらく何かをするわけでもなく天井を眺めていたが、昼間の感覚がふと頭に浮かんでくる。三つの魔法を同時に扱ったときのあの妙な感覚、別々のものを一つずつ操作していたというより、最初から三つとも自分の意識の中に収まっているような感覚だった
あのときは三つだったけど、これってどこまで増やせるんだろう? 三つだからできたのか、それとも三つ程度なら余裕があるだけなのか。もし後者なら、四つや五つに増やしても同じように使えるかもしれない。もっと増やしたらどうなる? 十個なら? 二十個なら? そもそも、自分の意識が同時に扱える数には限界とかはあるのか?
考えているうちに、だんだん気になってきた。
「……ちょっと試してみるか」
葵はベッドから立ち上がると、部屋の中を見回した。机の上に置かれているペンやノート、本、椅子、鞄、窓、カーテン。まずは目についたものを一つずつ意識していく。最初は三つ、そこから五つへ増やしてみる。意識の中に複数の対象が並んでいくが、特に混乱することはない。
……まだ大丈夫
さらに数を増やしていく。十個まで増やしても、感覚に大きな変化はなかった。それぞれがどこにあるのかも分かるし、一つに意識を向けたからといって他の対象が消えるわけでもない。
ならもっといけるのでは?
葵はさらに意識を広げていった。十五、十六、十七と対象を増やしていくにつれて、少しずつ集中する感覚は強くなっていく。それでも意識が途切れることはなかった。
十八。
十九。
そして、二十。
「……」
二十個の対象が、すべて自分の意識の中に収まっている。どこに何があるのかも分かるし、それぞれを別々のものとして認識できている。三つのときと比べれば当然情報量は増えているはずなのに、頭の中がごちゃごちゃになるような感覚はない。
……案外普通にできるな。
思っていたよりずっと余裕がある。二十個という数字だけを見るとかなり多く感じるけれど、実際にやってみると「ここが限界」という感覚はまったくなかった。
試しに机の上にあるペンを浮かせる。同時に本を少しだけ動かし、椅子を引いて、カーテンを揺らす。それぞれに別の操作を加えても、残りの対象はちゃんと意識の中に残っている。
「おお、これ結構いけるんじゃないか?」
思わず声が漏れた。
二十個を同時に認識して、そのうちのいくつかへ別々の干渉を加える。それでも大きな負担は感じない。むしろ、まだ増やせそうな気さえする。
……じゃあ、三十なら? 四十なら?
そこまで考えたところで葵は一度手を止めた。試してみたい気持ちはある。二十で限界という感覚がない以上、その先に何があるのかは気になる。
でも、明日は学校がある。それに放課後にはリリスと資料館へ行く予定もある
「今日はこんなもんでいいか」
葵はそう呟くと、意識していた対象を一つずつ元に戻していった。部屋の中がいつもの感覚へ戻っていく。
二十個まで扱える。それだけでも十分な収穫だった
……まあ、二十個で十分すごい気もするけど。
葵はそんなことを考えながらベッドへ横になる。明日は資料館で『言霊概論』を確認することになっている。何が書かれているのかはまだ分からないけれど、自分が使っている言霊について何か手掛かりが見つかる可能性はある。
今はそっちを優先しよう。
そう考えながら、葵はゆっくりと目を閉じた。
――――――――――――
気がつくと、葵は見知らぬ場所に立っていた。
辺りは薄暗く、どこまでも何もない空間が続いている。地面があるのかすらよく分からない。ただ、自分が立っているという感覚だけは妙にはっきりしていた。
「……ここ、どこだ?」
声を出してみる。が返事はない
葵はゆっくりと辺りを見回した。何か見覚えのあるものでもないか探してみるが、目に入るものは何もない。さっきまで自分の部屋にいたはずなのに、どうしてこんな場所にいるんだ。
……夢か?
そう考えたところで、少し離れた場所に人影が見えた。
「……?」
目を凝らす
そこに立っていたのは、一人の男だった。
どこかで見たことがある。いや、見たことがあるどころじゃない
「…おい、お前」
葵の口から自然に言葉が漏れた。
男は何も言わず、こちらを見ている。
その姿を見た瞬間、頭の奥から昔の記憶が引っ張り出されてきた。元の世界にいた頃、初めて会った男。あのときも何を考えているのか分からない態度で、葵の力についていくつかのことを話していた。
そして、あの言葉。
――次に会うときはここじゃない。
「……ああ」
葵は小さく呟いた。
そのあと、本当に場所が変わった。
自分が言霊を暴走させて、世界そのものが大きくズレたあの日。気づいたときには知らない海辺にいて、そこでまたこの男と会った。
ステータスを見て、レベルがマイナスだとか、空間適性がどうとか、よく分からないことを次々と言われた。
「……あの時のことか」
そう呟いて葵は一歩近づく。
けれど、男の姿が少しずつぼやけ始めた。
「……え?」
葵は足を止める。
男が遠ざかっているわけじゃない。
周りの景色そのものが、霧に包まれたように薄くなっていく。
「ちょっと待てよ」
思わず声を上げる
その謎の男は答えない。
「おい」
もう一度呼ぶ。
それでも何も返ってこない
伸ばした手の先で、男の姿がさらに霞んでいく。
「……お前、いったい何なんだよ」
その言葉を最後に、視界が一気に白くなった。
――――――――――
「……っ」
葵は目を開けた
見慣れた天井がある、自分の部屋だ。
しばらく何もせず、そのまま天井を眺める。
「……夢か」
胸の奥に、さっきの感覚が妙に残っている
あの男を見たのも久しぶりだった。元の世界で会ったときのことも、その後に異世界で再会したときのことも、普段はわざわざ必要に思い出すことなんてない。
それなのに、どうして今になって夢に出てきたんだろう。
「……まあ、夢だしな」
深く考えても仕方がない。
葵はそう潔く結論づけると、もう一度布団へ潜り込んだ。
明日は学校が終わったあと、リリスと資料館へ行く予定がある。
今はそっちの方が気になる
そう考えているうちに、葵の意識は再びゆっくりと眠りへ落ちていった。




