翡翠の瞳に囚われて
珍しく気分が晴れないアンドリューは面白くなさそうに、王宮の奥深くまで続く廊下を歩いていた。
つい先程、西国のリュカーンの件について報告するために国王に謁見しに行ったのだが、その時の出来事がアンドリューを不快な気持ちにさせていた。
リスタータ王国の諜報員であるアンドリューは、秘密裏に王太子であるリチャードを様々な危険から遠ざけるようにしていた。
そしたら、西国の刺客から命を狙われてしまったため、彼らを欺くために自らの死を偽装した。
お陰で邪魔者のアンドリューを排除できたと油断した西国の協力者を一網打尽にすることが出来たのだが、リチャードの側近であるセドリックを瀕死にさせてしまったし、何より最愛の双子の妹であるアンナを危険な目に遭わせてしまった。
そのことについてアンドリューは責任も負い目も感じているため、どんな罰も受け入れるつもりで国王の謁見に臨んだ。
しかし、アンドリューの話を全て聞いたリスタータ王国の国王、スチュワートは短く一言、『不遜』と告げただけだった。
それ以上の言葉を残すことなく、国王は王座から立ち上がり、謁見の場を後にしたのだ。
共にその場にいたナイターは厳重注意だけで、正式な処罰を免れたことに感謝しろと言ってきたのだが、アンドリューは納得できなかった。
アンドリューはこの数カ月間、自分の身に起こったありとあらゆることを包み隠さず全て話した。
それなのに、返ってきた言葉が『不遜』の一言なんて、あまりにも反応が薄すぎる。
呆れられても、怒鳴られたっていい、むしろ罰でもなんでも受け入れるつもりだったので、もう少し人間らしい反応が欲しかったのだ。
そもそも、アンドリューは国王のことが若干苦手だ。
自分の行動が他人に影響を少なからず与えていると無意識ながら感づいているアンドリューにとって、まったく影響を及ぼすことができず反応も見られない存在だからである。
その上、せっかく数カ月ぶりの再会を果たしたというのに最愛の妹からの反応は想像よりも冷たいもので、もう赤みは引いたはずなのに叩かれた頬がまだ痛む。
しかも、信じて任せた親友となんかいい雰囲気になってることを察してしまい、その場では茶化すことしかできなかったが、内心穏やかではなかった。
とにかく、色々なことが一度に起こりすぎて、自分が思っている以上にむしゃくしゃしているとアンドリューは自覚していた。
王宮の奥深くの扉の前で、アンドリューは足を止める。
しかし、今から会う彼女に、そんな内心を悟られてはいけないと、アンドリューは扉の前で深く息を吐く。
唇を固く結び、口角を上げる。
そして、いつものように無遠慮にその扉を勢いよく開けた。
「ひっさしぶりー、フレデリカ!元気にしてたかい!?」
久しぶりに訪れたその場所は相変わらず煌びやかで神々しく、けれども押し付けがましくないので息苦しさを感じない。
まるで部屋の主を体現したような空間だった。
唯一、部屋の主であるフレデリカの後ろに整列する彼女の護衛騎士たちの存在だけが浮いており、妙に威圧的だった。
そんないつも通りの光景に臆することなく、アンドリューは部屋の真ん中のカウチソファに座っているフレデリカへと歩み寄る。
「なんか、僕死んだことになってたようなんだけど、見ての通りこんなに元気なのに酷いよね?」
軽口を叩きながら、机越しにあるフレデリカの前のソファへと当然のように腰掛ける。
一国の王女に失礼極まりない態度だが、以前から見慣れた光景であり、アンドリューが主に害をなさない存在だと周知されていたため、護衛騎士たちは静かにフレデリカの後ろに控えたままだった。
そんな彼女たちの主であり、リスタータ王国第一王女であるフレデリカは扇子で口元を隠しながら、静かにアンドリューを見据えていた。
「...そう」
フレデリカが小さな声で短く答えるも、扇子で口元を隠しているので表情が見えない。
反応がいつもより鈍いと違和感を感じるも、アンドリューは気にすることなく続ける。
「いやぁー、本当に参ったよ。目が覚めたら、東の国境の外れの村の老夫婦の家にいてさ、数カ月の間自分がどこの誰かわからなかったんだよ」
ツッコミどころ満載の話だが、今回の経緯を詳しくフレデリカに説明するわけにはいかなかった。
苦し紛れとわかりながらアンドリューは数カ月自分が何故亡くなったと誤解されたかをそれなりの理由で誤魔化した。
勘のいいフレデリカならすぐに嘘だと見抜くだろうと思っていた。
「そう、大変だったのね」
しかし、フレデリカはアンドリューの話に興味を示すことなく、護衛騎士のシノンが用意した紅茶を口に含んだ。
そんなフレデリカの態度に拍子抜けしたアンドリューは内心焦り出す。
「そうなんだよー!!危うく東の国に売り払われるところだったんだけど、あと一歩のところでアンナへの愛で記憶を取り戻して、なんとかここまで帰ってこれたんだよね!!」
自分の焦りを悟られぬように大げさな身ぶりで話を進めるも、動揺してあまりにも現実味のない話をしていることにアンドリューは気付いていた。
普段だったら、ここで冷たい視線を向けられるはずなのだが、フレデリカは目を伏せたまま、アンドリューに見向きもしない。
明らかに様子がおかしいと察したアンドリューだったが、そのことを直接フレデリカに尋ねても、何でもないと返されることも読めている。
内心穏やかではないが、アンドリューは表情を崩さず、目の前に用意されたお茶を一気に飲み干す。
フレデリカ好みの蜂蜜入りの紅茶はアンドリューにとっては甘すぎる。
フレデリカとこのような、二人だけのお茶会をするようになってからアンドリューはずっと同じものを飲み続けているが、どうしても好きにはなれなかった。
口の中に纏わりついてくる独特な甘さが苦手だった。
それでも飲み続けている理由は、アンドリューは薄々気付いているが、わかりたくないので気にしないようにしている。
そもそも何故自分がフレデリカにわざわざ会いに来たのかも、よくわかっていない。
西国の陰謀を阻止したのはいいが、まだまだやることは山のように残っている。
セドリックは一命は取り留めたが、油断ならない状態だし、巻き込まれたアンナにも兄として寄り添わなければいけない。
こんなところで優雅にお茶をしている暇などないのに、自然と足を運んでしまった。
国王の発言にむしゃくしゃしていたとは言え、アンドリュー自身少し驚いている。
そして、そんな状態で会いに来たのに、フレデリカの反応が乏しいことに内心動揺しまくりだった。
「どうしたんだい?今日はいつもより輝きが陰っているように見えるけど、何かあったのかな?」
少し強引だが、ソファから立ち上がり、フレデリカの隣へと移動する。
突然、アンドリューが隣に来たことに動揺したのか、体を少し横にずらしたフレデリカは持っていた扇子で顔を隠した。
「何でもありません。近すぎです、離れなさい。無礼です」
やはり想像通りの答えが返ってきたが、いつもの調子に戻ったフレデリカに安堵したアンドリューは忠告を無視し、その場に居座り続ける。
「もぉー、フレデリカったら冷たいなー。久しぶりに僕と会えて嬉しくなかったの?僕が死んだって知った時も悲しんでくれなかったのかい?」
アンドリューにとってはいつもの軽口だった。
しかし、フレデリカにとっては何かが地雷だったのか、持っていた扇子をピシャリと音を立てて閉めた。
扇子の奥に隠れていたフレデリカの表情は無で、本気で怒っていると見てわかったので、すぐに謝ろうと口を開く。
「フレデリカ、ごめ、いっだ!」
その瞬間、フレデリカは持っていた扇子でアンドリューの額を思いっきり叩いたのである。
フレデリカらしからぬ行動に驚きで目を見開かせていると、フレデリカは何度も扇子で容赦なくアンドリューを叩き続ける。
「いたっ、痛いよ、フレデリカ!!」
想像以上に扇子の攻撃が痛く、アンドリューは慌てて両腕を前に突き出し、防戦一方となった。
「...たくしが...」
「えっ?」
「わたくしが、どんな気持ちでいたかなんて、あなたにはどうでもいいことなのでしょ...!?」
感情を抑えるようなその声に、アンドリューは顔を上げる。
無表情だったフレデリカの顔は、悲しみとも怒りともつかない複雑な感情に歪んでいた。
「ふ、フレデリカ...」
初めて見る表情にアンドリューの動きが止まる。
「あなたが、妹のことしか気にかけていないのはわかっています……」
何かを堪えるように扇子を持った拳を震わせ、フレデリカはアンドリューを睨み上げる。
「それでも...それでも...、あなたがいなくなってどうして、わたくしが悲しまないと思うのですか...?」
翡翠の瞳から溢れ出すように涙が零れ落ちる。
「勝手に消えたと思ったら、またノコノコと現れて...本当に、不愉快な男...!!」
それ以上は声にならなかったのだろう。
肩を小さく震わせたフレデリカは、涙を拭うこともなく俯いた。
目の前で静かに涙を流すフレデリカに動揺を隠せなくなったアンドリューはその場で固まったままだった。
常に気丈に振る舞い、如何なる状況でも王女たる態度を崩さなかったフレデリカが、自分のせいで泣いているという罪悪感が半端ではない。
そして、フレデリカの背後に控えている護衛騎士たちからの、責めるような視線が突き刺さってきて、非常に居た堪れない。
もし、目の前で泣いているのがアンナだったら迷わず抱き締めて、頭を撫でるだろう。
だが、相手はフレデリカ、一国の王女だ。
どう対応していいかなんて、寄宿学校も卒業していない未熟なアンドリューにわかるはずなかった。
「ふ、フレデリカ...」
口から情けないぐらい弱々しい声が出る。
フレデリカは反応しない。
瞳から静かに溢れる涙が、フレデリカの膝を濡らしていく。
膝の上の手に握られている扇子がアンドリューの視線に止まる。
それは一年前、何気なく通った露店でアンドリューの目に留まり、特に意味もなくフレデリカに贈ったものだった。
贈った当初は、こんな粗悪品、王女の品格を落としかねないと嫌々受け取っていたくせに、何故今になって縋るようにそれを握っているのだろう。
自分がいなくなったことによって、こんなにもフレデリカが悲しんでいたなんて思いもよらなかった。
こんなつもりではなかったのだ。
泣かせるつもりなんて、なかった。
ただ会って、いつものようにアンドリューの馬鹿話に呆れ半分で付き合い、最後に小さく笑って欲しかっただけだったのに。
フレデリカが泣いているだけで、何故だか苦しくなってくる。
泣いているアンナを慰める時とは違う感情が現れ、戸惑ってしまう。
このまま泣かせたままにすることも出来ないので、アンドリューは恐る恐るフレデリカに手を伸ばす。
けれども、不用意に触れることができず、すんでのところで引っ込める。
ぐっと拳を握りしめたアンドリューは、自身の額をフレデリカの額へと近付ける。
そして、触れるか触れないかのところで止まった。
翡翠色の瞳がアンドリューを捉える。
心臓が一回だけ大きく脈打った。
「...泣かないでおくれ、フレデリカ。君に泣かれると、僕はどうしたらいいかわからないんだ...」
それは、アンドリューが初めてフレデリカへ向けて零した、彼女自身への想いだった。
翡翠の瞳が驚いたように何度も瞬かれる。
これ以上はダメだと本能的に悟ったアンドリューがフレデリカから離れようとする。
しかし、フレデリカに手首を掴まれてしまい、それは叶わなかった。
「ふ、フレデリカ...?」
「...何故?」
「へっ?」
「何故、わたくしが泣いたら、あなたが困るの?」
首を傾げ、見つめてくるフレデリカにアンドリューは言葉を失う。
説明できるものなら説明したい。
だが、それを口にするとアンドリューが必死に気づかないふりをしていた何かに触れそうになる。
このままでは翡翠の瞳に胸の内を見透かされそうで、逃げ出したい。
それなのに、どうしても目を逸らせなかった。
「あなたは、わたくしのこと...」
それ以上、口に出されたら誤魔化しきれなくなると恐れたアンドリューが立ち上がろうとする。
その時、扉が大きな音を立て勢いよく開かれた。
「セドリックが目覚めたぞ!!!!」
金髪を靡かせながら、リチャードが大股で部屋に入ってくる。
「ほ、本当かい!?リチャード!!!」
この機を逃すまいと、アンドリューはフレデリカの手からゆっくりと腕を引き、リチャードの元へと歩み寄った。
胸の動悸が収まらないが、気付かれないようにいつものように振る舞う。
「あぁ、先ほど病棟から知らせがあった。まったく、俺の気を煩わせおって...だが、喜ばしいことだ」
「本当にそうだね!!よしっ、今からでもセドリックに会いに行こうか!!」
「セドリックはまだ目覚めたばかりだ、まだそこまで頭が回らんだろう。それに覚めたばかりの瞳に俺という存在は、眩しすぎるであろう?」
「そんなことないよ!!きっとセドリックも暗闇から目が覚めたばかりだから、リチャードという鬱陶しいぐらいの光が恋しいはずだ!!さぁ行こう!!すぐ行こう!!」
「ふふ...、そういうものか...」
満更でもないリチャードの背中を押す。
「それじゃあね、フレデリカ!!!また今度!!!」
状況が飲み込めず呆然とするフレデリカを残し、アンドリューはリチャードを連れて、逃げるように部屋を後にした。
当分はフレデリカに会うのを控えよう。
そう決めたはずなのに、脳裏に焼き付いた翡翠の瞳が、アンドリューの胸の奥にいつまでも燻り続けるのであった。




