「ヒロインの愛はサーバーを破壊する」:仮想空間からの情動の氾濫、師の『安息の論理コア』を打ち砕く
白い道を進むほどに、空間のきしみは強くなっていった。
B.Z.E.は静寂そのものだが、静かすぎるがゆえに――
“異物が紛れ込んだ音”が逆に浮き上がる。
レオンの耳に、低い脈動音が届いた。
……トン……トン……トン……
まるで心臓の鼓動。
だが、これは誰のものでもない。
層そのものが発している脈動だ。
(未来線を選んだ影響が……もうここまで来ているのか。)
足元の光が波打ち、一瞬だけ黒い染みのようなものが滲んだ。
触れれば消える影のようなものだが、存在の気配だけは確かだった。
レオンは歩みを止める。
「……いるのか?」
返事はない。
ただ、空気だけがわずかに温度を変えた。
誰かが息を潜め、こちらを覗いているような気配。
次の瞬間――。
空間の端がひしゃげ、裂け目が走った。
そこから落ちてきたのは、ひとりの女性だった。
目は虚ろで、身体は薄く透けている。
未来断片のひとつだ。
レオンは駆け寄った。
「しっかりしろ!」
女性は微かに息を吸い、震える視線を向けた。
「……ここは……どこ……?」
「B.Z.E.だ。お前は“断片”だろう?」
女性は苦しそうに首を振った。
「違う……私は断片じゃない……
私は“正しい未来”にいたはずなの……
なのに……急に……全部の道が……閉じた……」
レオンは息を呑んだ。
(選ばれなかった未来線の住人なら分かる。
だが、彼女は“正しい未来”の住民だった……?
なら、誰が道を閉じた?)
女性は喉を押さえ、かすれた声で続けた。
「何かが……あなたの未来線に……触れたの……
触れてはならない存在……
あれが“選ばれた未来”を……奪おうとしている……」
その言葉は EP92 の青年の言葉と完全に一致していた。
レオンは女性の肩に手を置いた。
「そいつは誰だ。名前か、姿は?」
女性の目に恐怖が広がる。
「見えなかった……
ただ、私たちの“奥”にいた……。
あなたが選ぶ前から……ずっと……」
(……俺が選ぶ前から?
なら、俺の選択とは無関係に“存在していた”ということか。)
女性の身体が崩れ始める。
断片のように消えるのではなく、
存在そのものが“未確定”に戻されていく。
レオンは焦った。
「待て! まだ話せるはずだ!」
女性は首を横に振った。
「もう……無理……
未来は……折れた……
あなたのせいじゃない……
でも……“あれ”が来る……
気をつけて……レオン……」
最後にレオンの名前を呼んだ瞬間、
女性は光の粒になって消えた。
静寂。
そして、空間が深く震えた。
トン……。
レオンの胸に寒気が走る。
(来る……これは、ただの未来断片じゃない。)
通路の奥から黒い霧のようなものがにじみ出し、
白い道に触れた瞬間、光がかすれた。
霧はゆっくりと形を成していく。
輪郭は揺れ、顔は見えない。
しかし、その存在は圧倒的だった。
「……やっと見つけた。」
低い声が響く。
だがそれは、数千の声が重なったような不協和音だった。
レオンは一歩後ずさる。
「誰だ……お前は。」
黒い影は、レオンの方へ近づきながら呟いた。
「未来を選ぶ者……観測の外側に手を伸ばした者……
世界が拒むはずの“選択者”……
その名前を、俺は知っている。」
影が手を伸ばし、空気を裂いた。
黒い線が走り、空間の情報層が一瞬だけ歪む。
レオンの背筋が凍った。
(こいつ……観測層に干渉できるのか?
第3層を越えて……第4層に触れている……?)
影はゆっくりと告げる。
「レオン。
――お前の未来線は、俺がもらう。」
影が伸ばした指が白い道を掴んだ瞬間――
道は悲鳴のような光を上げ、激しく震えた。
レオンは反射的に叫んだ。
「やめろ!!」
だが、影は振り返ることさえなく呟いた。
「お前はここで終わる。
未来を選んだ代償を払え。」
空間が崩れ始める。
白い道がちぎれ、周囲が黒に塗り潰されていく。
レオンは走り出した。
(逃げるんじゃない――追いつくんだ。
未来線を奪われる前に!!)
影の中心で、何かが笑った気がした。
「さあ、レオン。
お前が選んだ“未来の先”で会おう。」
黒い霧となって影は消える。
そこに残されたのは、崩れた道と、
レオンの荒い呼吸だけだった。
拳を握りしめ、レオンは歯を噛みしめた。
「……あれが……“触れてはならない存在”。
必ず追いつく。
俺の未来線を……誰にも奪わせない。」
レオンは崩れかけた白い道を踏みしめ、
未来核へと向かった。
黒い霧の残滓が、背後で静かに消えていった。




