信頼
「あと、どれ位かかるかな」
「何だ、トイレか?」
「ううん、そうじゃないけど……ずいぶん、遠いんだね」
冬休みに入り、竹澤先生と狩野地区へと向かう車の中。
「まあな、でもあと三十分位じゃないかな。道も案外、混んでなかったな」
運転席と助手席の間で会話が交わされる。
竹澤先生が、ちらりとこちらを見た。
「不安?」
「そうだね、不安かな。大丈夫なのかなって、ちょっとね」
「大丈夫だから。俺もいるし。っていうか、俺が入るんだから、な。俺なら、おまえのこと守れるしな」
景色がすっかり変わって、田舎道を走る。
畑や田んぼが広がっていると思ったら、すぐに道を折れて山道へ入った。
くねくねとしたカーブを、そう速くないスピードで登っていく。
「遠くを見てろよ、おえってなるぞ」
「うん、やってる」
あまり変わりばえのしない道を単調な運転で進んでいく。
その運転の仕方で、先生はずいぶんと慎重派なんだなと思う。
こんなにもうねっている道なのに、センターラインをほとんど越していない。
「ねえ、先生。たまきさんっていう人知ってる?」
「んあ、ああ」
「どんな人?」
「それより、おまえ、どうして環さんのこと知ってるんだ」
「善光先生が、電話で話してた」
ブラックのコーヒー缶をごくっと飲んでから、また缶ホルダーに戻す。
「ああ多分、おまえか他の誰かの位置情報を教えてもらってたんだろう。環さんは人を探し出す、探知能力があるから」
「その人は、私には興味ないの?」
その質問に。
自分で訊いておいてなんだけども、別の意味が含まれているように思えて、少しだけ驚く。
わざとそういうつもりで訊いたわけじゃない、けど。
先生は少し間を置いてから、話を続けた。
「探知能力がめちゃくちゃ強くなってもなあ、使い道がないわけじゃないだろうけど。前にそんなようなことを言ってたし、お前に入りたいという話は聞いてない」
「そっか」
「あの人、善のこと、お気に入りだかんな」
あ、やっぱそうじゃん。
私はむっとして口を噤んだ。
先生が横で、ぶはっと笑う。
「お前の不機嫌な顔、横から見ると金魚みたいだな」
別にいいもん、金魚でも!
そう言うとさらに笑って、
「大丈夫だよ、環さんはさ、結婚してんだから。旦那さんと息子の次にってことだよ。44歳のおばちゃんだよ。大丈夫、おまえ若さで勝ってるから」
「大丈夫って、何がっ‼︎ 勝つとか、意味分かんない‼︎ 別に関係ないもんねっ」
はあ~腹痛え、と前のめりになっている先生を横目で睨む。
そんな私の顔を見て、先生はさらに笑う。
そして、いつものように頭に手を置くと、
「大丈夫だよ。善はお前しか見てねえから」
「だからっ‼︎ 善光先生は関係ないのっ」
私はまだにやにやしている先生を無視して、窓の外を見る。
環さんとデートしたのかな、そう思うと胸の奥にいまだに刺さって抜けずにいる棘が、ちりりと痛みを帯びていく。
それは、身体中に無限に広がっていき、私を苦しめるのだ。
「あごに梅干しできてんぞ、くくっ」
口元をむうっと上へ押しやる。
梅干しなんて、いくつだって作ってやる‼︎
✳︎✳︎✳︎
「着いたぞ」
それは、想像を超える施設だった。
高い塀と有刺鉄線に囲まれて、迂闊に近づけない雰囲気だ。
周りは山や森で囲まれている。
陸の孤島。
そしてそこに建つ、何かの要塞のように。
大きな門の一角に警備員室があり、両手を上げながらゆっくりと警備員が出てくる。
先生が窓を開け、パスのようなものを見せる。
すると警備員が持っていたリストにサインをするよう促されて、先生はペンを走らせた。
ゆっくりとハンドルを切って、構内に入っていく。
外観は研究施設候の造りで、その大きさに圧倒される。
白い大きな建物が三つ、そびえ立っていた。
それらの施設を横目に見ながら、駐車場へと乗り入れる。
まばらに車が数台停めてあるだけで、人の気配もあまり感じられなかった。
隅の方には、迷彩柄のジープが数台、行儀良く肩を並べて停めてある。
「ここ、何?」
先生は、初めは言い淀んでいたけれど、すぐに心を決めたようにして、私を真っ直ぐに見た。
「ここは、自衛隊の施設だよ」
先生はさらりと言った。
私はこの真っ白な壁の向こうに、一体何があるのだろうと思うと、不安で不安で喉の渇きを覚えて仕方がなかった。
そして、湧き出る疑問の嵐。
訊きたいことが、たくさんあった。
けれど、建物を睨むように見つめる先生の横顔を目に留めてしまうと、どうしても言葉は出てこなかった。
そして車を降り、私は先生の数歩後ろを、重い足取りでついていく。
先生はかまわず、建物へと向かって、ずんずんと歩いていった。
玄関で先ほども提示していたパスをパネルにかざし、開いた自動扉をくぐって中へと進んだ途端。
制服を着た数人の自衛官に取り囲まれる。
私は、先生の服のそでを慌てて掴んだ。
先生はそれを振り払い、けれどその手を私の肩にぐっと回した。
「大丈夫だから、俺がいるから。怖がるなよ」
自衛官の中から一人、こちらへと進み出てくる。
五十過ぎ位、甘く採点してダンディと言っても良いかなぐらいの、素敵なおじさま風だ。
エミりんだったらそう言って、九十点位つけるだろうか。
「こんにちは、勝田瑠衣さん。私は各務という者だ。竹澤、お前ようやく連れてきたな。待ちくたびれたぞ」
私と先生に向かって声を掛けてくる。
私は先生の腕に大人しく、くるまっていた。
「今日は、ドームを使わせてもらいに来たんだ。少し様子を見たくて。悪いがまだ半分も進んでいない」
「そうか、分かった。私の出番はまだまだ先のようだな。竹澤、報告を怠るなよ」
「ああ、分かっている」
そして肩を促されて、玄関正面の階段を上る。もう一ブロック上ると、くるりと反転し、さらにその上へと上る。
「先生、」
先生は声を掛けても何も言わなかった。
先生はいつもの様子と違ってて、私はこのまま本当について行っていいものか、思案してしまうぐらいだった。
今までに先生の言うことは素直に聞いてきたし、信頼も寄せてきた。
肩を掴む先生の手に、珍しく力が入っている。
善光先生とまではいかないけれど、いつもの先生の優しさが感じられない痛みがあった。
突然、前を見据えて歩き続ける竹澤先生の横顔が、違う人のそれに思えて仕方がなくなった。
どうしたのだろう、自分がおかしいのだろうか。
「先生っ」
少しだけ強く言う。
けれど、先生は無言のまま、ずんずんと進んでいってしまう。
自然と、私の身体にも力が入る。
足が重くなり、それが抵抗と取られたのか、無理矢理に引っ張られた。
少し行くと、エレベーターの踊り場に出た。
エレベーターの下ボタンを押すと、直ぐに扉が開く。
中へとぐいっと押し込められて、奥の壁に背中を打ちつける。
「先生っ‼︎」
私が抗議の声を出すと、先生は近付いてきて私の両腕を押さえつけた。
「瑠衣、いいから俺の言う通りにして。おかしなことにはならないから、大丈夫だよ。俺にちゃんとついてきて」
「先生、先生」
不安が。
身体のそこら中から溢れ出しそうだった。
エレベーターの天井の隅に、監視カメラ。
私は目を泳がせて、周りを見回す。
行き先のボタン。
B3が、光っている。
そこに先生が言っていたドームという部屋があるのだろうか。
手が、汗をかいて。
喉がカラカラに渇いて、唾を飲み込んだ。
不安と緊張で、握り込んでいる手が震え出す。
「先生、先生、せんせい、」
私は目を瞑った。
私の中で今、いつの間にか「先生」とは善光先生になっていた。
私、善光先生を思い出している。
先生に助けを求めている。
エレベーターが到着を告げる。
すると、腕を掴まれ押し出された。
目の前にある大きな扉がまるで、何か異世界への扉のように思えて、怯む。
「ここで実験するから、あ、いや、そうじゃない。でもここなら、力が暴れ出しても大丈夫だから。頑丈にできているんだ、このドームは。防火、防寒、防音、何が起こっても破られない。俺を信じて、絶対に守るから」
半泣きだった私は、竹澤先生の言葉に少しだけ納得する素振りを見せる。
けれど頭をよぎるのは、善光先生のあの激情だった。
抱き締められて、側にいたいんだと繰り返し言ってくれた、あの激しいまでの愛情。
その愛情に、私はもう同じくらいの信頼を、寄せているのだろうか。
先生に縋りたい気持ちで一杯になる。
溢れた涙を手の甲でぐっと拭うと、私は竹澤先生の横に立った。




