透明な雪
それまでに雪が一度だけ降って、クリスマスやイヴには降らないという毎年のパターンの天気予報を見ながら、私はその日、せっせとチョコブラウニーを作っていた。
朝早くから、チンというレンジの音。
もう聞き飽きた、というぐらいに鳴り響いている。
机の上には、所せましと並べられたクッキーの山とマフィンの数々。
チョコチップを入れてみたり、レーズンやオレンジピールを入れてみたりしたものだ。
そんなにはお金をかけられないので、粉類は安売りの時に買ってあったものを使う。
高級な材料は安価な物で、代用したりした。
これだけ作れば、今日泊まりに来るエミりんとのクリスマスパーティーでも、ぶくぶくに太ってしまうくらいお腹一杯食べられるし、冬休みのおやつにも当分は困らないだろう。
私は一段落すると、エプロンを放り投げて、ソファにごろんと横になった。
「竹澤先生に持っていってあげようかな、この前のマドレーヌ美味しかったって言ってたし」
少し思案してからそのまま、ぼけっと天井を見つめる。
「……先生にも、あげようかな」
ぽつり、と呟くと途端に恥ずかしくなってきた。
玄関で。
後ろから抱き締められた時の感触。
先生のあの大きな身体に包み込まれるような。
身体のどこも痛くなかった。
多分、力加減を考えてくれたのだと思う。
耳元で囁く声。
帰り際、頬に触れていった指先。
すると、ピンポンと玄関のチャイムが鳴った。
エミりんだと思って、玄関を開ける。
「おっはよ、瑠衣~。お土産も持参しました~」
「よお」
おはようって、今もう昼なんだけど。
それに、学校の先生のことを「お土産」て‼︎
呆れて、どうぞと中へ促す。
「お、いい匂いすんな」
竹澤先生が、一目見てクリスマスケーキだと分かる箱を、はい、と渡してくる。
ありがとうございますと受け取ると、冷蔵庫入るかなあと思いながらキッチンへと入る。
入ってから、荷物をガサガサといわせているエミりんに、小さな声で耳打ちする。
「エミりん、先生も呼んだの?」
「うん、瑠衣んちでパーティーするんだけどって、声かけたら良いよってなって。案外すんなりだったな。もっと、それダメだろーとかアウトだろーとかって、抵抗されると思ったけど」
それはさあ。
多分、うちに来慣れているからだと思うんだけど。
普通、遊びに教師を呼ぶかね、エミりんどの。
エミりんが大きな箱に入った、定番のチキンを机の上にドンと置く。
そしてリビングに入り、もう一つの紙袋を机の上にぶちまけた。
「ひゃっほう」
こういう豪快なとこ、好きだわ。
こたつ机の上に散乱したトランプ、ウノ、人生ゲーム、オセロ、ジェンガ、ビンゴ、野球のボードゲーム、ん?
野球?
「弟のも盗んできたあ」
てへぺろしてから、親指を立てる。
「さあー、今日は遊っぶぞー‼︎ 先生がいても、勉強は絶対にしませーん‼︎ 打倒、数・学‼︎」
そんなヤル気満々のエミりんの様子に、私と先生は顔を見合わせて笑った。
✳︎✳︎✳︎
トランプに飽きて、人生ゲームを始めようとした頃、玄関のチャイムが鳴った。
「ん、誰かな」
私が立ち上がろうとすると、エミりんが私が出るわ~と言って、すかさずリビングを出て行った。
私は座り直して、竹澤先生の方を見る。
「先生、人生ゲームってやったことあるの?」
ない、と首を横に振る。
「それよりお前、あの長いマフラー、誰に貰ったの?」
予想外の質問に、私は止まってしまった。
「あれは、えっと、」
「お前の趣味とちょっと違うから。善に貰った?」
慌てて否定する。
「ううん、違う。崎さんっていう人。知ってるよね、先生」
少し驚いた顔をしてから、ふーんと言って頬づえをつく。
「何だ、そうなのか」
何か思案中だ。
竹澤先生のそれは、表情や仕草でよく分かる。
「お前、あんまり崎に近づくなよ。あいつの能力知ってるか?」
「知ってる、身にしみて」
「何かされたのか? くそ、あのお調子者め」
ちっと舌打ちをすると、人生ゲームのカードの束をどんっと机の上に乱暴に乗せる。
「じゃあ、分かってると思うけど、あいつの力ってのは短時間で人を死に至らしめることができるんだよ。しかもなあ、そんな趣味はないと思うけど……少しずつ苦しめながらってこともできるんだ。あいつには気をつけろよ」
分かったと、素直に頷く。
「それなのになあ、お前さあ、何マフラーなんて貰っちゃってるの。さすがっていうか、おバカっていうか。はああ、緊張感ゼロだな」
「だって崎さんが勝手に買ってきちゃうから」
「それより、エミ遅いな」
「ちょ、見てきます」
私はリビングから廊下に出た。
何か言い争っているような声が聞こえる。
この声は善光先生、だ。
「だから、俺は良いって。お前らだけでやれよ」
「なーに言っちゃってんだか。早く上がってよ、皆んな待ってるんだから」
私を認めると、善光先生はさっと顔を背けて。
私を見ない。
エミりんがその腕に、抱きついている。
「せっかく誘ったのに帰るって言うんだよう。瑠衣、説得してっ」
何だ、これ。
いや、分かってる、今、私はやきもちを焼いている。
くっついている二人を見て、早く離れて欲しいと思っている。
竹澤先生とエミりんが一緒に来た時には、何とも思わなかったのに。
そう言えばそうだった。
「善光先生、どうぞ上がってって」
冷えた心。
冷えた声。
「でもよ、竹が居るんだろ。俺は、その……俺は」
珍しく言い淀む先生の表情は、いつもの先生のそれではない。
自信家で、横暴な王様のような人が、瞳を揺らしている。
そんな先生から、私は視線を外した。
そして私はなるべく、軽いようなノリで、そして明るい声で言った。
「たくさんクッキー作ったし、ケーキもあるし。今から人生ゲームやんの。先生もどうぞ、大丈夫だから」
私は、大丈夫だからともう一度言って、リビングへと戻った。
二回目に言った大丈夫は、どうやら自分に言い聞かせたようだ。
くっつく二人を見たくない、何だこれ、本当に。本当に。
まだ何か言い合いながら、二人が入ってくる。
そこへ、竹澤先生が声をかけた。
「よう、善」
エミりんが強張った表情の善光先生の背中を押して、机の前まで移動させて座らせる。
私は、無くなりかけていたクッキーとチョコブラウニーを山盛りに盛ると、ビールは絶対にアウト、と言う竹澤先生のアイスコーヒーのおかわりとを持っていき机の上に置く。
「善光先生、何飲む? 烏龍茶かレモンティーかコーヒー」
先生は頭を掻きながら、レモンティーと言った。
そして、その続きで言う。
「すげえな、おまえら。こんなに食うの?」
山盛りのスイーツを目の前にしての素直な感想。
私はレモンティーをコップに注ぎながら、ふっと吹き出してしまった。
エミりんが答える。
「え、こんなの普通。すぐ平らげちゃうよ。まだマフィンとか、ケーキとかあるし。その後でチキン食べよ。うわあい、今日はリミッター外すゾ‼︎」
「そんなに食うのか、胸焼けしそうだな」
そこへ山盛りのスイーツを指差しながら、竹澤先生が加わる。
「言っとくけど、これ二杯目だかんな。胃薬、あんぞ」
私もレモンティーを差し出しながら座った。
「あはは、何か太りそーだけどいっかあ‼︎ よっし、皆んなでブタになる‼ ︎人生ゲーム、じゃない、トン生ゲーム始めるよっ‼︎」
チョコブラウニーを口の中に放り込みながら、テンションを上げていくエミりんに、苦笑いで付き合っている二人の先生を見て、私は不思議な気持ちになっていた。
こうやって、二人を並べてまじまじと見たことがなかったからだろうか、身体つきは身長も含めて善光先生の方ががっちりしてて大きいし、顔も醤油顏の竹澤先生に比べると、彫りの深いソース顔。
けれど、雰囲気は似ているんだ。それは、長い時間一緒に生きてきたから?
年の離れた兄弟のような?
そして。
そこで、唐突に思い出した。
小さい頃、この二人に会ったことを。
お兄さんの方は、とても優しい眼差しだった。
弟の方は、見るからにやんちゃそうだったから、いじめられると思って。
私はお母さんの後ろに隠れて、その腕の隙間から覗いていたっけ。
そうだ、私はその二人が兄弟だと思っていた。
一緒に来たおじいさんとお兄さんが家の中へと促されると、私とその弟の方がぽつんと取り残されたんだ。
すると、怒ったような顔をしてどんどん勢いよく近づいて来るから、私は恐くなって泣き出してしまった。
思い出した、覚えている。
その顔に優しい要素はとうてい感じられなかったけれど、泣かないでとぶっきらぼうに言って、チェーンがついたクマの小さなぬいぐるみをくれたっけ。
そのクマは、こげ茶色で目がくりっとしていて、とても可愛らしかった。
私は泣き止み、けれどそこでお母さんに呼ばれて家の中に入ってしまった。
ありがとうは、言っていない気がする。
「うっわ、貧乏だけは、ぜってー嫌だあ、なりたくないよう。助けてえ、神様」
エミりんの情けない声とルーレットが豪快に回る音で現実に戻される。
顔を上げると、善光先生と目が合った。
どうした、というような表情をしている。
私が、何でもないという顔で、頭を横に少しだけ振って、返す。
すると、先生はすぐに横を向いてしまった。
クマをくれた男の子は、大人になって私の前に現れた。
そう思うとその事実がまた、この不思議な感覚を一層強めていく。
カバンにずっとつけていたクマのぬいぐるみは、チェーンが切れてしまったから、今は勉強机の引き出しに眠っている。
一通り、食べたり遊んだりした後、今日はうちに泊まる予定のエミりんを残して、二人は帰っていった。
帰り際、竹澤先生はごちそうさんと言い、善光先生は悪かったなと言った。
二人が帰る頃になっても、天気予報の言う通り、雪は降らなかった。




