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Itan  作者: 三千
12/18

揺れる

夕暮れの教室でぼんやりと時間を潰していた私。

もういい加減に帰らないとと思って、重い腰を上げる。


カバンとサブバックを持つと、何だかいつもよりずっしりと手に重みを感じるような気がした。


こんな夕暮れも気をつけなければいけないのに。


私はこの世で独りだと思い知らされて、寂寞せきばくの気持ちを無理矢理にも抱えさせられる、このオレンジ色の時間。


「……帰ろう」


呟いてから、ため息を一つ。


私は教室を横切って、廊下に出た。


そしてその瞬間、ぎょっとして足を止める。


廊下の先に見たことのない男の子が、黒いランドセルを背負って立っている。


どうして、こんな所に。


その異様な雰囲気で、その子が能力者であることが知れた。


すぐに、竹澤先生に教えてもらっていた、自分の中へと入られないようにする、意識回路の切断の方法を、頭で復唱する。


「初めまして。僕、そらって言います」


ここで、少しだけ拍子抜けした。

丁寧な挨拶に加え、この九十度のお辞儀。


ランドセル背負っているから、小学生だよ、ね。


「こ、こんにちは。わ、私に何か用?」


はるかに年上の私の方がおどおどしてしまう。


能力者の中には、こんな小さい子もいるんだ、この子はどういう力を使うのだろう。


今までの経験から、外見が非力そうな子どもでも、能力者というだけで警戒し身構えてしまう。


「瑠衣ちゃんって呼んで良い?」


初対面のお姉さまに向かって、ちゃん付けとは、ねえ。


「別に良いけど。君、空くんだったよね、家に早く帰らないと家族が心配するよ」


「うん、だから今日はもう帰るけど、瑠衣ちゃんにお願いがあって」


「な、なにかな……」


「瑠衣ちゃんの中に入らせて欲しいんだ。お願いしまっす!」


「は?」


やっぱ、それかあ。

ガックリ感がハンパない。


それに、お願いしまっすって、こんな正攻法でくるとは。

予想外。


「僕、ウェイリンのねえちゃんみたいに力づくでっていうのできないから、頼みに来ました。よろしくお願いしまっす」


「ち、ちなみに空くんの力って……」


何? と訊き終わる前に、それは起こった。


廊下の先にいたはずの空の姿が一瞬にして、私の目の前に出現する。


目で追えないほどの速さ。


私は驚き、うわっと声を出して、後ろに倒れてしまった。

ドンっとお尻に衝撃が響く。

痛みで、涙目に。


「い、痛ったあ」


そんなことはお構いなしというような体で、空は言った。


「どう、すごいっしょ。僕、もっと速く走れるよ。でも、これ内緒なんだ。お父さんも弟のりくも知らないから。知ってるのはお母さんと丸井のじっちゃんたちだけだから。瑠衣ちゃんも誰にも言わないでね。ねえ、瑠衣ちゃんの中に入れば、もっと速く走れるようになるんでしょ。一度やってみたいんだ、僕」


廊下の冷んやりとした感触をお尻に感じながら、私は訊いた。


「空くんは……痛てて……何年生なの?」


「三年生だよ!」


「ウェイリンの他に知ってる人はいる?」


一応、自分がどんな人に狙われているのかを知っていて損はない。


空くんは、力づくでは入れないと言っていたので、それを信じてみる。


「家族?」


「家族以外で」


「学校の友達?」


「学校の友達以外で」


んーっ、と腕を組んで考えている。


三年生だと九歳かあ、若いなあ、とか。

若輩者の私が言うのも何だけど。


「竹ちゃんと善ちゃんと、丸井のじっちゃんと、」


そこは定番、それから?


「ウェイリンの姉ちゃんと、ライズのおっちゃんと、」


ライズって、リング作ってくれた人。

ウェイリンは雪女。


「あ、あと崎くん」


スクエアの店員さん……じゃない人。


「メイファっていうお姉ちゃんがこの前、飛行機で来たって言ってて。中国、だったかな?」


それ知らないわ。


「あとはあ、名前わかんない」


はい、その他大勢~。


私は、はあっと盛大にため息を吐いた。


分かっているだけで、十数人。いや、もしかしたら、数十人。


そんな数の能力者に、追いかけられる運命とは。


こんな人生もう嫌だあ、と放り投げたい気持ちになる。

こんなヒドい思いをするなら、能力なんて欲しくなかった、とも。


お母さんはこの力のこと、どんな風に思っていたのだろうか。


今になって、色々と話しておけば良かった、後悔先に立たずと涙が出そうになる。


「あ、いけね、僕もう帰らないと。じゃあまたね、瑠衣ちゃん‼︎ 今度、入らせてね‼︎」


やだよ、と返す前に、もう空くんの姿はどこにもなかった。


「早っ‼︎」


そして、私はここでもまた少しの間、ぼんやりとして立ち尽くしてしまったのだった。


✳︎✳︎✳︎


「おい、早くしてくれっ‼︎ どこに居んのか、分かんねえんだよっ‼︎ 帰ってねえから、こうしてお前に電話してんだろうがよ、つべこべ言ってねえで、早く探索しろっ‼︎」


薄暗い空の下。

街灯がないとすれ違う人の顔が分からないくらいの時間。


今日は一日中ぼんやりし過ぎだっつーのと、自分にツッコミを入れながらの、学校からの帰り道。

足早に歩いてきた。


夕飯を作る時間もなくなり、夕飯はレトルトカレーだあと考えながら、もうすぐ家に着くという所で、遠くから覚えのある声が聞こえてくる。


「今の時間ならいつも、もうとっくに帰ってて、家の電気が点いてんだよ。だから、まだ帰ってねえって‼︎ shit‼︎ たまき、頼むから探してくれっ‼︎ デートでも何でもしてやるから‼︎」


善光先生の慌てた声が、宵闇の中でこだまする。


胸がずきりと鳴る。


環さんって、誰だろう。

デートって何。

もしかして、先生の……。


私はそこで思考をストップした。

これ以上考えたらダメだって、自分の中でブレーキをかける。


ただでさえ、今日はぼんやりの一日だったのに。


「だからそこに居るって言ったって、ここに居ねえから探せっつってんだろ‼︎ 早く……」


私の姿を認めると、先生は耳元から携帯を離した。


そして、くしゃっと顔を歪ませる。

泣くのかも。


そう思った瞬間、先生は言葉を投げつけるようにして、息巻いた。


「お前、今までどこ行ってたんだっ‼︎ さが、探したんだぞ‼︎」


私は黙っていた。


口を開けたら、気持ちが溢れ出してしまいそうで。


先生の横をすっと通り抜けると、カバンからカギを出そうとガサガサと探る。

あーあ、こういう時に限って、カギってのはどこかに行方をくらますんだからっ。


「どこ行ってたんだって訊いてんだよ、こんな時間までふらふらして危ねえだろっ‼︎ 俺がどれだけ心配したと、」


ようやくカギを探り当てた腕を、ぐいっと掴まれた。


もうそこでブチ切れてしまった。


「うるさい、うるさいっ‼︎ 誰のせいだと思ってんのよ‼︎」


玄関の前で、先生の姿を見つけた時。


一瞬、放課後に渡せなかったカップケーキを渡せると思ったのに、なんだよ、デートってなによ‼︎

私のこと、好きだって言ってなかったっけ?


そこで気がついたんだ。


本人から、好きだと言われたわけではなかったってことに。

竹澤先生や崎さんに聞いただけ、で。


そうだ、先生は私を怒ってばかりいて、それに加えて小バカにしたりしてて、好きだなんて素ぶり、見たことなかったんだった。


バカだ、私。本当にバカだ。

想われていると思っていた。思い込んでいた。


環さんって誰?

今日、一緒に帰った子は誰なの?


カギをカギ穴に突っ込もうとしても、上手く入らない。

ガチャガチャと鳴らしているうちに、涙が溢れてきた。


「おい、俺のせいってどういう……瑠衣、待てって」


ようやくカギが入って回り、すがるようにしてドアを開ける。


そして黒い気持ちのまま、先生の鼻先で、バシンと閉めた。


すると。

途端に熱いものがこみ上げてきて。

その涙が、次には嗚咽を連れてくる。


「うわああ、うえっうえっ……」


玄関に、お構いなしに座り込む。


すると、ドアがガチャと遠慮がちに開いた。


「……瑠衣、どうしたんだ」


さっきまでの怒鳴り声とは違う、優しい声。


自分でも、なぜこんなに悲しいのかが、わからなかった。


「……お前、泣いてばかりだな。俺が……泣かしてんのか、な」


優しい声に冷たさが帯びる。


「俺じゃダメなのか、竹が良いのか、俺は邪魔なのか」


背中が暖かくなる。

先生の体温。


「……そうだよな、俺じゃダメなんだよな。竹が好きなんだろ、分かってんだ。俺はおまえのこと、泣かせてばっかで。苦しめてんだな。ははっ、邪魔する気はねえから。竹とおまえ、お似合いだしな、邪魔する気なんかねえんだ。……良いんだ、それでも良いんだ。だけどそれでもおまえの側にいたい、今までそうしてきたように、側にいたいんだ」


耳元で先生の声が震える。絞り出すようにした言葉は、私の心深くに入り込んできた。


「おまえの側に、いさせてくれ。邪魔なんてしねえから、な? おまえの側に、側にいたいだけなんだ」


先生は、何度もそう繰り返した。


私はここへ来て、何を泣いていたのか分からなくなってしまった。


先生の優しい声に、嬉しい気持ちさえ溢れてくる。


何だろう、私は竹澤先生が好きだったはずなのに。


こんな乱暴者、嫌いだったはずなのに。


自分が知らない女の子の存在に嫉妬したり、先生の言葉に怒ったり喜んだり。

そうだよ、嫉妬なんて。


これじゃ、まるで善光先生のことが好きみたいだ。


私はひとしきり泣くと、スクッと立ち上がってからサブバックを探り、少し曲がってブサイクになってしまったけど、一生懸命作ったカップケーキをはいっと言って渡した。


泣いたのが恥ずかしくて、先生の顔を見ることができなかったけど、腕輪のお礼だから、とだけ告げた。


先生はふっと笑うと、ありがとう、美味そうだなと言って、そのまま帰っていった。


帰り際、また頬にそっと触れていった。


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