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第24話 離縁の先で、もう一度あなたと

 一年後、私たちはグレイス家の庭で結婚式を挙げた。

 大きな鐘は、使わなかった。

 春の風と、椅子を動かす音と、招待客の笑い声がする。


 母の青い指輪は、左手に残した。

 新しい結婚指輪は、その隣へ嵌めてもらった。


 アーヴィンの右手には、まだ薄い傷痕がある。

 けれど、小さな輪を私の指へ通せるようになっていた。

 何度も練習したことを、私は知らないふりをした。


「リゼット」


 彼が、私だけに聞こえる声で言う。


「……上手に、できた」


 笑いそうになって、涙が先に出た。


「はい。とても」


 誓いは、私たちで考えた。

 何でも救う、何でも分かるとは書かなかった。

 苦しいときには伝えること。

 相手の望みを、相手に聞くこと。

 一緒に生きるために、自分も大切にすること。


 最後の行を読み上げる。


「あなたが明日も帰ってきたくなる家を、一緒に作ります」


 アーヴィンは、真剣な顔で頷いた。


「俺も、そう誓う」


 ララが拍手を始めた。

 すぐに、庭中へ広がった。


 元大司祭セヴェリンは、その冬、薬害と殺人未遂、旧大聖堂での傷害などで有罪となった。

 聖職を失い、王国の監獄へ送られた。

 被害を受けた人たちの治療には、差し押さえられた私財が充てられる。

 教会の診療所では、薬を誰が確かめたか、記録を残すようになった。


 事件は、新聞から消えた。

 傷や治療は、消えない。

 だから、この庭の祝いは、すべてが済んだという宣言ではなかった。


 それでも、祝いはできる。


 エマが、薄緑の服で来ていた。

 額に王冠はない。

 学院の勉強で覚えたことをベルタへ話して、途中から質問攻めにされている。


「今日は試験じゃありませんよね、先生?」

「いい機会だから」


 私が二人へケーキを渡すと、ようやく休憩になった。


 温室の椅子も、新しくなった。

 かつて私が死ぬはずだった場所には、今、子どもたちが座っている。

 孤児院の女の子は、足元の影へ焼き菓子を落としていた。

 スミは食べられないが、礼儀正しく鼻を寄せる。

 その上を猫が通ったので、狼は静かに道を譲った。


「公爵様、影まで猫には弱いのね」


 ララが言い、ガイが笑いを堪える。

 アーヴィンは、あえて否定しなかった。


 庭が夕暮れの色になる頃、私たちは皆へ挨拶をして、先に屋敷へ戻った。

 玄関の隣には、私の書斎へ続く扉がある。

 図書館の仕事は週に三日、続けている。

 街の家も残した。ララの休みの拠点と、私たちが買い物の途中に寄る場所になった。


 書斎には、三つの帳面が並んでいた。

 知っていること。

 確かめたこと。

 分からないこと。


 最後の一冊だけ、今も増えている。

 夫が好きな春の花。私がまだ読んでいない本。

 右手の調子がいい日に、二人で出掛けたい場所。


 表紙へ触れていたら、背後から夫が来た。


「何を考えていた?」

「知らないことが、こんなにあると思って」


 彼は私の隣へ立った。

 以前なら、黙って遠くにいた人だ。


「俺についても?」

「もちろん。たとえば、今夜のあなたの希望とか」


 アーヴィンが、ほんの少し目を逸らした。

 床の影だけが、落ち着かない。


「……今日は、帰らないでほしい」


 私は、彼の顔を見上げた。

 まだ言い慣れないのだろう。

 頼めば断られる可能性があると、ちゃんと知っている人の声だった。


「はい。今夜は、ここにいたいです」


 左手が、私の背へ回る。

 唇が触れる前に、私はもう一つ伝えた。


「明日の朝も、一緒にお茶を飲みましょう」


 夫が、笑った。

 そのあと何が起きるかを、私は知らない。


 だから、目を閉じて。

 自分で選んだ続きを、彼と始めた。


 完

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