file.39 クイン=アドウェルサⅡ
私は柄にもなく、突然の事に混乱してしまった。
「お、奥方様、一体何を仰っておられるのですか」
魔王様は奥方様で、奥方様が魔王様で、男性ではなく女性で、この姿こそが真実の姿で──。
「ああ……! なるほど! 変質の魔術でございましたか!」
性別の変質は私でも試した事はありませんが、魔王様のようなこの世界の超越者であればそれも容易いのでしょう。
「いやいや、違う違う」
違ったようです。
「ああ……! なるほど! でしたら、奥方様が──」
「何考えてるのかわからないけど、多分それも違う。……ねえ、クイン。いいから、私を見て」
すると、よくわからない事になって思考が上手く纏まらない私を前に、奥方様がずいっと顔を近付けてこられた。
「私がダフティリーズなの」
そう言って何度か目を瞬いた奥方様の瞳には、魔王一族であるレフティスの者を示す『複写の陣』が刻まれていた。
「そ、そんな……! まさか?!」
つまり、今目の前に居る女性はダフティリーズ様の奥方様ではなくて、ダフティリーズ様ご本人と言う事なのか?
そんな馬鹿な。そんなはずは。
「何もそんなに驚かなくても……。そもそも、顔を見せするのだって初めてなんだから、素直に受け取ればいいじゃない」
それはその通りなのですが、それでもやはりおかしいのです。
「そ、そんなはずは……魔王様は男性のはずなのです。奥方様の言葉を、い、いえ、ダフティリーズ様のお言葉を疑うつもりなど毛頭ありませんが。それでも、魔王様は男性のはずなのです」
「ごめんなさいね!! 男性特有の雄々しい胸板で!!」
「ち、違います! 誤解でございます! 断じてそのような意味ではございませ!!」
「……この甲冑は私の身体にフィットするように作られてるんだから、これを着ていた時点で私が魔王じゃなければおかしいでしょ。それに、今は魔封じのコンタクトレンズも外してるから、魔眼の陣が見えるでしょう? ……他に何が気に入らないの? 私が魔王だと嫌?」
「とんでもありません! 気に入らない点など微塵も御座いません! 我が敬愛するダフティリーズ様がそこに居られれば、この世で最も美しい宝石とて路傍の石と変わらず、鈴を転がすような御声は聞くだけで寿命が伸びます! 24時間365日、いついかなる時も貴女様以上に大切なものは御座いません!」
私は再び五体投地の構えをもって、全力で謝意を表明した。
状況は複雑で受け入れるのが難しいものの、目の前の女性がダフティリーズ様であることは数々の証拠が示している。
今まで男性だと思っていた魔王様が実は女性で、奥方様だと思っていた目の前の女性こそがダフティリーズ様である。
その事に間違いはないのでしょう。
何より、これまで多少なりとも疑問に感じていた事も女性であれば全て頷けてしまう。
辻褄があってしまう。
「ふ、ふーん……? じゃ、じゃあ、どう言う意味で言ったのよ。何で私が男じゃないとおかしいみたいな言い方してるの?」
ダフティリーズ様はプイと顔を背けて、不機嫌そうに質問を投げてこられた。
確かに、機嫌を損なわれるのも無理はありません。
斯様に麗しいダフティリーズ様に対して、男だなどと。
私は本来ならば今すぐにでも死ななければならない暴言を吐いてしまったのですから。
しかし、それでもおかしいのです。
「──それは、初代魔王様が仰っておられたからでございます」
「大祖父ちゃんが? 何て言ってたの? あ、と、その前に立って。……地面に転がったままだと、スカートの中見えちゃうかもでしょ」
「はっ! 重ね重ね配慮が足らず申し訳ございませんでした!」
何と言う事でしょうか。
魔王様に対する数々の無礼……。
お許し頂けるのであれば今この場で即刻自刃したい所です。
「いや、そんなに謝らなくてもいいから。とりあえず立って。……それで? 話を戻すけど、ヘリクテール様はなんて言ってたの?」
「はっ! 初代魔王様は、確かにこのように仰られました。『いいか、クイン。魔王ってのは男の中の男がなるもんだ』と!」
「うんうん」
私の言葉を聞いたダフティリーズ様は、尚も真剣な眼差しでこちらを見て軽く頷かれる。
「うん? え? ……それだけ?」
そして次の瞬間、首を傾げてしまわれた。
「はっ! 魔王とは男の中の男……つまり、レフティス家の男性の中で最も強き者が襲名するものであると考えておりました!」
「あー、そっか。……まあ、クインだしね。でも、これでわかっただろうけど魔王襲名に性別の規定なんてないからね」
「はっ! 肝に銘じておきます!」
まさか男性でなくとも魔王を襲名出来るとは、考えたこともありませんでした。
目から鱗です。
「……それで、クインの大好きな魔王ダフティリーズは女だったわけだけど、他に何か言いたいことはある?」
「何も御座いません!」
「……ふーん。まあ、どうせ私は雄々しい胸の魔王ですし。クインにしてみたら別に男でも女でもどっちでもいいよね」
「死にますッ! どうか私の心臓でお許しを!!」
私は女性に対してなんとデリカシーのない言葉を……。
それもただの女性ではなく敬愛する魔王様に対して。
やはり、死ぬしかない。
「ちょちょちょ! じょじょ冗談冗談!! 全然怒ってないから! ほ、ほらほら、笑って笑って!」
しかし、いざ死のうと手刀を胸に突き立てた所で止められてしまいました。
ダフティリーズ様は大変に慈悲深い方なので、私のような憐れな生き物であっても死なぬようにとその手を差し伸べてくださったのでしょう。
「な、なんと、私のような愚かな生き物にすら斯様な慈悲をお与えになられるとは……」
魔王様のそのあまりの慈悲深さに、瞳からは忠誠が溢れてしまう事は致し方なく。
「もう泣かないでよ……私より年上なんだから。ほら、ちょっとこっち来て座って」
「はっ! 椅子になれば宜しいのでしょうか!」
「そんな話いつしたのよ。馬鹿なこと言ってないで、ちゃんと話を聞いて」
「畏まりました!」
私はいつだって真面目なのですが、時々ふざけるなと怒られてしまう事があります。
実に不思議です。
「……ねえ? クインは、魔王様は好き?」
魔王様に言われるがまま近くの椅子に座ると、目の前に椅子を持ってきた魔王様も腰を下ろされて、膝を付き合わせながら真っ直ぐにこちらを見つめて話掛けてこられた。
「いいえ!」
「え? ……て、ああ、好きじゃなくて、すっごく好きみたい感じなんだっけ」
「端的に言い表すのであれば、そのようになるかと!」
「先代魔王の事も先々代魔王の事も、とても好きなんだよね?」
「肯定します! 私にとって魔王様とはこの世の全てです!」
「うん。……そ、それじゃあ、現魔王のことも好き?」
「もちろんで御座います!」
「本当に?」
「私は魔王様を相手に嘘をついたことはございません! 貴女様は私の全てです!」
「そ、そっかあ。うん、そっか。……だけど、言葉だけだとよくわからない事もあるでしょう?」
なるほど……そうきましたか。
ですが侮って貰っては困ります、魔王様!
「今ここで先程までの無礼の対価として命を捧げればよいのですね! 少々お待ちを! 我が忠義に一遍の──」
「いや全然違うから。好きの証明に言葉だけじゃ足りないよねって話をしてるの。……わかる? ああもう……。凄く恥ずかしいんですけど、私だってこんなの初めてなんだから」
「好きの証明? そ、それは一体……?」
「わ、わからない? えっとね、じゃあヒントをあげる。ヒントは、『キ』で始まって『ス』で終わる二文字の言葉だよ」
顎を触り、首を傾げている私を不憫に思ったのか、お優しい魔王様はすぐさま言葉を続けられて──。
「クインは、私のことは女の子としては見れない? 魔王にしか見えない?」
そして、両手で私の顔を掴んだかと思うと頭突きをするような勢いで顔近付けて、そのままぶつかられた。




