file.19 折角なので少しだけ
目の前に座っている男の言葉は、私の予想したものとは違っていた。
「ロクアス殿は、今仰っている言葉の意味を正しく理解しておられますか」
「理解しているつもりだ」
拘束令状は聖導教会が発行するものであり、拘束された者に待っているのは、決して勝ち目のない異端審問と言う名の教会の玩具道具としての役割。
それ故に、拘束令状では対象者に悟られる事なく必ず生きて拘束する事が重要視されている。
そして、対象者が逃亡した場合に、逃亡した者の代わりに異端審問にかけて遊ぶ玩具を用意する為のものでもある。
何が楽しいのか私には全く理解できませんが、人族にはあれが結構人気なのだとか。
公開処刑や集団での弱い者イジメが大層好きだと言う話ですからね。
確かに、魔族も殺し合いは好きな方だと思いますが、無抵抗な弱者を一方的に甚振るという行為には興味が湧きませんから、そこは人族の持つ個性なのでしょう。
人族との戦争とて、ステファノス様の治世になってからは事情が違いますしね。
今は人族からしかけられたら応戦して滅ぼす事にしていますけど、そもそも今の魔族領域は構造改革の真っ最中で人族と遊んでいる暇はなかったりもします。
私も何か手伝いたいと意見したものの『クインが関わると余計ややこしくなるからいい、何もしないで』とステファノス様には断られてしまいました。
私の頭が悪い馬鹿に。お手伝いが出来ない事が口惜しくてなりません。
「そうですか。理解されているのであれば何よりです」
「ああ。……だから、どうだろうか? 生憎とスタヴロスには支払えるようなもんは何もないが、もちろん、欲しいモノがありゃなんでも持ってってくれてかまわねえよ」
机に手を置いて頭を下げるロクアスの言葉は本気でした。
だからこそ、私には理解が出来なかった。
「意味がわかりません。私がエマを連れて逃げたとして、その後はどうなさるおつもりですか?」
「どうするもこうするも……。なるようになりゃいいと思ってるさ」
どうなるもこうなるも、拘束対象者を逃したとあらば、教会はエマの代わりになる玩具としてスタヴロスのゴミを適当に浚っていくだけの事でしょうけども、意味が分かりませんね。
「この取引を私が受けたとして、ロクアスさんのメリットは何処にあるのでしょうか? そもそも拘束令状に背いた場合、被害をこうむるのは貴方だけではないのですが、その事を正しく理解しておいでですか?」
ギルドマスターとして、長年支えてくれた部下であるエマを逃がしたいと言う気持ちは理解できます。
その気持ちの前には、魔族であるか人族であるかと言う違いなど些細な問題でしかないのでしょう。
情と呼ばれる感情なら当然ながら魔族にだってあります。
目の前で見知らぬ人族とロクアスさんが居たとて、どちらか片方を殺さなければならないのであれば私は迷わず見知らぬ人族を殺しますからね。
それが見知らぬ魔族であっても、私はロクアスさんを助けて魔族を殺すでしょう。
結局のところ、誰だって救いたい者の為には他者を犠牲にする事を厭わないわけで、その点に人族と魔族などと言う差はありません。
元より同じ人類なのですから。ですが──。
「拘束対象者の拘束の失敗、逃走の際は対象者の周囲の者が無差別に拘束されます。それはロクアスさんだけに限った話ではありません」
たとえば、私がロクアスを生かす事で魔王様や四天王の誰かが害される可能性があるのであれば、容赦なく見捨てます。
魔王様でなくとも、見知った方々、ここしばらく顔を合わせていない部下もそうです。
それらの者に無差別に被害が及ぶ可能性があるのであれば、私は一人の生贄を捧げる事になんの躊躇もしません。
ロクアスさんはエマを逃がせて嬉しいのかもしれませんが、他の者に害が及ぶ事を考慮していないのでしょうか。
「そこは心配いらねぇよ」
しかし、スタヴロスに滞在している間の私の予想は、悉く外れました。
と言いますのも、私とロクアスが話していた部屋のドアがガチャリと開くと──。
「俺たちはもう、お前しか頼れるものがねぇんだよ、クイン」
「ちょっと人と違うからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ」
「お、おお、俺達のエマさんに!」
この三年間、スタヴロスで冒険者について多くの事を教授して頂いた、先輩冒険者であるナウポさんにゲイリーさん、デイブさんを始めとした、何人もの冒険者たちがぞろぞろと部屋に入って来たのです。
つまり、この依頼はロクアスさんの独断でもなんでもなくて。
「知らぬはエマさん唯一人、と言う事ですか」
「ま、そう言うこったな」
楽しそうに笑うロクアスを見た私は、たいしたものだと感心した事を覚えています。
私は初め、エマのことを魔力の乏しいひ弱な魔族だと侮っていました。
しかし、そんなひ弱な魔族であるエマがいなければ、私はナウポさんの一撃によってあの日、死んでいた事でしょう。
結局この三年間、ナウポさんがどう強いのかはまるで理解できませんでしたが、先輩魔族であるエマが死ぬと断言したのであれば恐らくそうなのでしょう。
私は初め、人族と魔族は相容れないと考えていました。
ゴミだめのような彼等はそれでも人族であり、私やエマが魔族であると知ればゴミの分際で敵対行動を取って来るのだろうと思っていました。
ですが、スタヴロスに居る間、私の予想は悉く外れました。
「なるほど」
神妙な面持ちで私の返答を待つ世話になった先輩冒険者たちを見て、私は軽く一言呟くと思案にくれる事に。
報告書に書き記すべき事など、もう何もないと考えていました。
冒険者はフィラフト様が想像されているような、夢や希望に溢れた心躍るものではなく。
冒険者の誰もが皆、死を受け入れた絶望の中にいて、それでもまだ誰かに必要とされていると言う、人としての尊厳を感じたいが為だけに、惨めにもしがみついているくだらない稼業であると。
三年間調査した結果、私の報告書を楽しみに待たれているフィラフト様に冒険者は無価値であり、ゴミであると。
フィラフト様におかれましては冒険などせずに、魔王城で過ごす事こそが正解である、と。
「構いませんよ。エマを連れて逃げるなど私にとっては造作もありません。報酬も結構です。冒険者について教授頂いたこの三年間の情報だけで結構です」
「そ、そうか!」
「すまねぇクイン……いやクイン様つった方がいいのか……」
「ちょっと力があるからってマジ頼んだぞ」
「お、おお、俺達のエマさんを……た、頼んだ!」
冒険などと言う成否のわからぬ向こう見ずな行為を、魔王の血族たるフィラフト様がなさるものではございません。
どうか、今抱いておられる夢や希望はお捨てになって、より良い魔王領域の事を考えましょう、と。
「ですが、その前に──」
そんな事を報告する為に帰るのですか?
そんな誰もがわかりきっていた答えをもって?
フィラフト様の下に戻るのか? この私が?
全てを魔王様に捧げると誓ったこの私が、そんな──。
「折角ですので、冒険者らしく少し冒険をしませんか」
否だ。それだけは断じて否だ!
私が持ち帰るべき報告書に、そのような詰まらぬ文字の羅列など不要です。
フィラフト様には心躍る報告だけすれば良い。
誤字脱字修正ありがとうございます!とても助かります!
飼っている猫の元気がなくて私も元気がなく、投稿しない日があったらごめんなさい!