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file.01 まだ慌てるような時間ではない


 神と人と魔が住まう世界『ミール』。


 三千年に渡るミールの長き歴史は、人類と魔族の戦いの歴史でもあった。


 しかし、今となっては戦いの理由など当の昔に失われ、残ったものはただ互いに向ける憎しみだけ。


 余りにも多くの血が流れ過ぎた事で容易に止まることも許されず。


 もはや勝利など無い泥沼の戦いだけが継続する世界は、人類と魔族はもどちらかを滅ぼし尽くすまで、自分たちだけでは止まる事すらできなくなってしまっていた。


 けれども、そんな長きに渡る戦いにある日、変化が起きた。


 それは、今まで人類と魔族の戦いのその全てを静観して、一切の無関心を貫いてきた神々の唐突な介入だった。


 ある日、それまで一切の不介入を貫いてきた神々が人類と魔族の戦争終結の為に、一人の人間をこの世界に遣わしたのだ。

 

 神々が世界に遣わした『勇者』と呼ばれるその人間は、規格外の戦闘力を有した怪物だった。


 ただ一人だけで人類と魔族の三千年もの長きにわたる戦争を終結させるだけの力を持った、異次元より来たりし生物。それが勇者と呼ばれる超常の存在だった。



 魔王付きの秘書として働いていた私は、その日も魔王様に代わって魔王軍再編の為に多くのお歴々と顔を突き合わせて話をしていた。


 ここ最近は勇者と呼ばれる化物のせいで、人類の生存領域と隣接した魔族領の多くが壊滅的な打撃を受けていて、その対応に追われる毎日。


 勇者と言う一匹の化物のせいで、魔王軍はいくら再編しようとも次の瞬間にはまた再編しなくてはならなくなる程に、滅茶苦茶に引っ掻き回されていた。


 しかし、それまで強者であり続けてきた魔族の誰もが勇者と言う未知の生命体に戦々恐々とする中、唯一泰然自若とした態度を崩す事のない魔王様のお姿は、それはもう頼もしく。


 長年魔王様の秘書としてお側に仕えて来た私が、この世界で最も安全な場所にいる事もまた事実。


 勇者が如何ほどのものであれ、魔王様の余裕の態度を見れば怖れている方が馬鹿と言うものでしょう。


 私も記録の中でしか知らないものの、魔王様の強さもまた、勇者同様に異次元の領域にあると考えられます。


 過去、魔王様の一族と交戦した魔族は、その広大な領地ごと爆散したと言う記録までありますからね。


 そして何より、今代の魔王様は強すぎるが故に味方への被害を考えて戦場に立つことすら出来ないのですから、その強さは本当に計り知れません。


 勇者何するものぞ! 我には無敵の魔王様がついている!


「──あー、ところで、クインよ。今日の勇者速報はきたか」


 午後の紅茶を準備しようとしている私に、優雅に椅子に腰かけた全身を甲冑で包み込んだ魔王様が、窓の外を見ながら話し掛けてこられた。


「いえ、本日の分はまだでございます。申し訳ございません、出来上がり次第お持ちするようにと指示は出しておりますので、今しばらくお待ちいただければ、と」


「そう、か。……何、焦ることは無い」


 実に堂々とした態度です。


 今正に魔族領に攻め込んできている勇者の事など、まるで興味がないのか。


 魔族であれば誰もが知りたい『勇者速報』にも大した関心を持たれていない。


 勇者速報は書いて字の如く勇者の速報です。


 勇者が何処に現れたのか、 次の予想進路は何処で、何日後に到達予定か。


 何を言っていたのか、何を購入したのか、どこの宿屋に泊っているのか、何を食べたのか、どれくらいの魔族を討ったのか等々。


 その他にも細々としたことが書かれている、魔王軍偵察部隊に所属する隠密に優れた者が提出している日報、それが『勇者速報』です。


 いつ勇者が現れるかと思うと夜も眠れない!


 と言う魔族は非常に多く、市井ではストレスから不眠症になった者も少なくはない。


 そう言った者達の為に、今現在勇者が何処にいて何をしているのかを、魔族領全域に通達する事によって少しでもそのストレスを緩和しよう。


 そんな目的の下で作られたのが『勇者速報』です。


 そして、魔王様はご自身にしてみれば大して興味のない勇者の情報を集める為だけに、大切な密偵部隊を割いてくださったのです。


 なんと慈悲深きお方なのでしょうか。


「魔王様、本日の紅茶のお時間です」


「……うむ」


 魔王様の机の上に紅茶とお菓子を用意した私は、魔王様の返事を聞くや否や一礼して魔王様執務室を後にした。


 現魔王様は普段から全身に甲冑を身に纏っており、そのご尊顔を知る者は今の魔王軍には誰も居ない。


 先々代の魔王様の時代から秘書的なような、何かそれっぽい役職を務めている私ですら、現魔王様であるダフティリーズ様はご尊顔どころか、その玉体の一部すら拝んだ事が無い始末。


 全身甲冑などと言う動き辛いことこの上ない装備を身に纏う者など、自分の力に自身の無い下級魔族くらいで、それも身体強化が不得手な極々一部の魔族くらいでしょうに。


 一体何故、甲冑を身に纏っているのかと一度お聞きした事もありました。すると──。


『わ、私は今までの魔王に比べても余りにも強すぎる故な。そう、無暗に、お前たちを傷つけぬ為の……。そう! これは拘束具のようなものだと知れ』


 なんとお優しい方なのだろうか。


 魔王様は自身の強すぎる力を抑え込む為だけに、そのあまりの強さで周囲に危害を加えんが為に、あえて不便な甲冑を身に纏ってくださっていたのです。


 私はその言葉を聞いた時、そのあまりの慈悲深さに涙を禁じ得なかったものです。


「お、クインか! いい所に居た!」


「これはこれは、ギーゲ様。この先は魔王様の御前ですが、如何なさいましたか?」


 魔王様が優雅に紅茶をお召し上がりになっている間、扉の外で待っていた私の下に、何やら大慌てな様子の魔王軍四天王『土裂のギーゲ』が現れた。


 土の魔術に秀でたギーゲは魔王軍随一の怪力の持ち主であり、全身を硬質化する魔術を得意とした彼と近接戦闘をして五体満足で帰れる者は早々居ない。


 もちろん、彼と10年来の付き合いがある私はいくつか対処方法を知っていたりもしますが、如何な勇者と言えども、初見でギーゲの猛攻を防ぐことは不可能でしょう。


「よしてくれよ、クイン。様付けなんて。やっぱりどうにもむず痒いわ。──っと! そうじゃない、今日の勇者速報を持ってきたんだが……。これは、いよいよもってマズイことになってきやがったぞ、クイン」


 見ると、ギーゲの手には確かに、ぐしゃぐしゃになった勇者速報が握られていた。


「マズイかどうかを判断なさるのはギーゲ様ではなく、魔王様です。ですが、わざわざお持ちいただいたことには感謝を」


「ああ! そんじゃ俺はもう行くから、クインもさっさと目を通して魔王様に報告頼むぞ!」


 全く慌ただしい子です。


 また何処かの魔族領の街が勇者に攻め滅ぼされたのかもしれませんが、だからどうしたと言うのか。


 我々魔族軍には絶対無敵の最強の魔王様が居られる。


 その上、ギーゲを始めとした最強の四天王もいる。


 いざとなれば、四天王が……。


 四天王が──。


 勇者速報の見出しを見た私はその瞬間目を見開き、次の瞬間にはノックをする事も忘れて魔王様がいる執務室のドアを開けていた。


「魔王様っっ!」


「ぶふっっ!!」


 勢いよくドアを開けると、窓の方を向いたままの魔王様が勢いよく紅茶をお吹き出しになられ、口から吐き出された御紅茶を窓にお恵みになられた、羨ましい限りです。


 魔王様が口に含んだ紅茶を恵んで貰うなど、私もまだやって貰った事がありません。


 等と考えたのも一瞬。


 しまったと思った私は慌てて視線を逸らしたものの、ついうっかりと黒く艶やかな魔王様の長い後ろ髪を見てしまった。


「し、失礼致しました! 魔王様!」


 初めて拝見してしまったダフティリーズ様のお御髪に感動した事で、思わず忠義が溢れてしまうところでした。


「じょ、ちょ、ちょっと待っ……待つが、よい」


 私が突然入ってきた事に多少驚いたのであろう魔王様は、制止の言葉だけを発するとカチャカチャと言う音を立てながら甲冑を装備し始めた。


 甲冑で力を封じ込めてもらわなければ、まともに会話をしてもらう事も出来ない未熟なこの身が、心底なさけない限りです。


「よ、よいぞ。要件があるなら申せ」


「はっ!」


 しばらくの後、甲冑を着込んだ魔王様が口を開いたので、私は即座に重要な報せを述べる事にした。


「魔王様! 四天王が──炎滅のアナフレクシが勇者に討ち取られました!」


 声高らかに報告をした私は、魔王様の目の前に先ほど土裂のギーゲより受け取ったぐしゃぐしゃの勇者日報を広げた。


「あー……。えーっと……。もう一度言ってくれない?」


 どうやら初めて拝見したダフティリーズ様のお御髪の、そのあまりの美しさに興奮していたのでしょう。


 恐らく、気付かぬうちに私の言葉が乱れていたせいで、上手に言葉を伝える事ができていなかったのでしょうね。


 魔王様のお声も、心なしか普段の男性か女性か判別がつかない中性的なものではなく、心なしか何処にでもいる街娘のような軽い声に聞こえてしまいました。


 魔王様の秘書ともあろう者がとんだ失態です。


「魔王様! 四天王が──炎滅のアナフレクシが勇者に討ち取られました!」

 

 気を取り直した私は再度、同じ言葉を、全く同じテンションで発した。


「く……くくく……。やっ、奴は、四天王最強の男──」


 そんな私の言葉も今度はしっかりと聞こえた様子。


 しかし、四天王最強の1人が討ち取られたと言うのに、魔王様はいつものように落ち着き払った様子で返事をされた。


 そして、四天王を失った事を特に気にした様子も無く、私の肩の上に軽く手を乗せた魔王様はゆっくりと頷くと、そのまま一言も発することなく執務室を後にされた。


 それが、私が見た魔王様の最後の御姿でした。

数ある小説の中から目を通していただきありがとうございます!

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