七
目が覚めたら、部屋には誰もいなかった。向かい側の空っぽのベッドには母と自分の荷物が乗っていて、誰かが寝た跡もない。
「まーくん?」
いないと分かってた。起きたらいなくなっている気がしていたから。
私は起き上がってカーテンを開けた。綺麗な青空が広がっていた。窓の外を見る。黒いアスファルトが茶色に染まっていた。濁流が流れた跡かもしれない。
ドアの下に紙が差し込まれていた。朝食のビュッフェは中止になり部屋に和食か洋食、希望のものを届けるとなっていた。ホテルにも被害が出たのかも。
『なら、大丈夫かな。あそこまではいかないと思うから』
まーくんの言葉を思い出す。『あそこまで』、私が泊まる三階まで水がこないから大丈夫だと言いたかったのかな。
じゃあ、まーくんはあんな大雨が降るのを知っていた?
新たな疑問が増えたけど、私は頭を振ってそれを考えないようにする。
まーくんはまーくんだ。私の大好きなまーくんだから。
疑心をグッと抑え込む。お腹が空いているから変な考えになると思ってホテルに朝食をお願いした。
朝食を持ってきてくれたホテルの人から、一階のロビーが浸水して清掃中のため、出かける時は注意してほしいと言われた。
希にみるゲリラ豪雨だったため、床上浸水した家もあったらしい。幸いなことに人身被害は慌てて転んで擦りむいたなど軽症なものばかりだったそうだ。まあ、被害を今調べている段階で変わるかもしれないとは言っていたけど。死者が出なかっただけ良かったと思う。
朝食を食べてしばらくすると弁護士さんから電話があった。私を迎えに来てくれるらしい。道がどうなっているか分からないからその申し出は有り難かった。
時間になって一階のロビーに降りていくと、職員の人たちが清掃道具を持って忙しそうにしていた。カウンターにはまだ水が来た跡がついていた。
弁護士さんの車に乗り、町の中を走る。漂流物が所々に落ちていて、ガードレールや壁にぶつかっている車もあった。白い車の側面にはくっきりと泥の線がついていた。
弁護士さんの話だと、神社の森かあった場所に建てられた分譲住宅地に被害が大きかったらしい。大量にゴミが流れてきて、一夜にしてゴミ屋敷となった家もあったとか。
『ゴミに埋もれてしまえ』
『ゴミにはゴミを』
まさか、ね。それにそうなら、棄てたほうが悪いのだから。私やまーくんのせいじゃないと思っておく。
母の実家は少し高台にあり、被害はなかったそうだ。
伯父夫婦と弁護士さんに囲まれて、私の今後について話を聞かされた。うん、話し合いじゃない、こうすると私は話を聞かされただけ。
母は私の学費横領だけじゃなく、色々なトラブルを起こしていて近々警察にお世話になるのは確実だったそうだ。借金もあり、私で支払おうとしたこともあったらしい。
私は聞かされた話でまーくんが会いに来てくれていなかったら何度も危ない目に遭っていた事実に真っ青になっていた。
たぶん、母は実刑となり数年は出てこれないだろうと。母とは私も母の実家も縁を切ることになった。母関係で迸りを受けないように。私は伯父夫婦が後見人となり、高校・大学までは面倒をみてもらえることになった。私の希望進路だと学費と生活費を合わせても祖父の遺産で十分にやっていけるということで、伯父夫婦に金銭的な援助はしてもらわなくてもよかった。それは有り難かった。会ったことがなかったけど、お祖父ちゃんありがとう。しっかり仏前で手を合わせてお礼を言った。ちなみに父から養育費が支払われており、当たり前だけどそのお金も私が使えるようになった。
「私は父の元にいくのではないのですか?」
父の話が出たので聞いてみた。両親が別れた後一度も会ったことのない父と住むのも嫌だなと思っていた。
「家族もいらして生活を壊したくないそうです」
弁護士さんの答えにそれはそうだと納得する。腹違いの姉が現れても迷惑なだけ。私も今さら家族ごっこなんて出来ないし。父からの養育費も弁護士管理としてもらった。父が養育費の減額を言っているらしく、その件も弁護士さんに任せた。
私は学校に通える場所にあるセキュリティのしっかりしたワンルームマンションに引っ越すことになった。今の場所は母の知り合いに知られていて危ないらしい。弁護士さんがそれら全て手続きをしてくれる。
沢山の話を聞かされて、私の頭はパンク状態だ。けど、このまま学校に通えるのは嬉しい。嬉しいけど、どうなるんだろって不安はある。
後日、伯父夫婦や弁護士さんと一緒に住んでいたアパートに行って荷物を纏めることになった。住む場所が決まるまで私はホテル暮らしになるらしい。ホテル代は法律事務所が支払ってくれることになっている。事務所の人が不祥事を起こした詫びだそうだ。母が悪いのにいいのかな? と思ったけど黙って受け取りなさいと大人たちに諭された。
毎日、長い話し合い(私は聞いているだけ)が終わると私はホテルに戻った。母の実家を出る時、まーくんがいるかな? と毎日期待したけど、まーくんはいなかった。神社と祠に寄っても会えなかった。
祠といえば周りにあったゴミは全て無くなっていて凄く綺麗になっていた。あれだけの豪雨だったけど、ここまで綺麗に流れていくものなの? けれど、祠の周辺が綺麗になったのはとても嬉しかった。
ホテルまでの帰り道、車に古自転車が刺さっててオブジェみたいになっている家があった。
まーくんに会えないまま私は住んでいるアパートに戻った。伯父夫婦と弁護士さんがアパートに一緒に来たのは、母の持ち物を整理するためだ。母の被害に遭った人たちの弁護士たちと査定し換金し借金返済や賠償金に当てるらしい。ちなみに私の物も査定対象になっているが、価値がありそうなのは学校関係の物だから大丈夫だろう。
案の定、私の私物は査定される価値もなかった。一番高額な物が高校の制服だった。伯父の奥さんからは凄く可哀想な目で見られた。母の罪状には育児放棄が加算出来る、とか聞こえたような?
私の私物は段ボール三箱に収まり、そのままホテルに運ばれた。半分が学校関係というのが悲しかった。
私のホテル生活は十日程度で終了し、学校に自転車で通えるマンションに引っ越した。家電はアパートで使っていた物をそのまま、家具は折り畳みの机だけ持ち込んだ。悲しいかな、収納はマンションの備え付けの家具に隙間だらけで収まった。
「さーちゃん」
「まーくん」
私は買い物に出ようとマンションを出たところだった。一人分の食材って割高なのを実感し、大量に作って冷凍を心がけている。
「引っ越したの?」
まーくんの問いかけに頷く。
「うん、今から買い物」
まーくん、ご飯に誘ったら来てくれるかな? と不埒なことを考えてしまう。どうやって誘おうと言葉を探していたら、知らないおじさんに声をかけられた。
「早千愛?」
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