六
ドアが強くノックされた。ホテルの人?
「さーちゃん」
まーくんだ!
私は心細さからすぐにドアを開けてしまった。
ドアの向こうには呆れた顔のまーくんが立っていた。
「さーちゃん、無用心」
「だ、だって…」
私は心細さからそんなこと構っていられなかった。まーくんの腕を引っ張って部屋の中に引摺りこんだ。
「さーちゃんたら大胆」
オートロックのドアが閉まってまーくんのクスクス笑いながらの呟きを聞いて、私はあたふたとまーくんから離れた。
けれど、聞こえる激しい雨音に慌ててバスルームにタオルを取りに行く。
「まーくん、濡れてない? 凄い雨だよ」
「……、あー、うん、大丈夫。濡れてないから」
歯切れの悪いまーくんの言葉に首を傾げながら、一応タオルを持ってバスルームを出た。
ほんとだ。不思議なことにまーくんはどこも濡れていなかった。靴さえも。
「まーくんもここに泊まっていたの?」
「あー、うーん、雨が降る前に近くにいたっていうか……」
明後日の方向を見ながら、まーくんはポリポリと頬を掻いていた。
「……、さーちゃんが不安になっていないかなーと思って」
「しんぱい、で来てくれたの?」
ありがとう、と私はまーくんにギュッと抱きついてしまって、正気に戻り固まってしまった。ギギギと油の切れたブリキの玩具のように首を動かしてまーくんを見上げる。まーくんの慈愛の籠った目とぶつかって、すぐにその胸に顔を埋めてしまった。たぶん、私の顔は一瞬で真っ赤になったはずだ。恥ずかしくて動けない。
「さーちゃん、座ろうか」
まーくんは何でもないことのようにベリっと私を剥がすとベッドに座らせ、その隣に腰をおろした。それがちょっと悲しい。少しくらい名残惜しく引き剥がしてくれてもよかったのに。
「大丈夫? 落ち着いた?」
優しく聞いてくるけど落ち着けるわけがない。だってまーくんが隣に座っている。私を心配してくれる。嬉しい、すっごく嬉しい。
「そういえば、お母さんは?」
「あー、警察……」
私はことのあらましを簡単にまーくんに話した。
「大変、なのかな?」
「大変だよ! お母さんがいなくなるんだよ」
まーくんの言葉に私は唇を尖らせて反論する。大人がいないのは大変なんだから。
「けど、さーちゃんのお母さんって、お金以外でいてもいなくても同じだったから」
あ、確かに。私が家事が出来るようになると全て丸投げ、ううん、扱き使うようになった。昼夜逆転の生活をしていた母に夜中に叩き起こされ、食事を作らされたことは数えきれない。洗濯が掃除が出来ていないと罵られることは日常になっていた。
お金だって最小限しか渡されず、安売りの食パン一枚が続くことなんて当たり前。冷蔵庫に食材が入るのは夜中に起こされ作らされる時だけ。学校に支払うお金も何度も何度も催促してやっと手にすることができた。
「お母さん、いなくてもいいんじゃない?」
た、確かにそうなんだけど。
「そのお金が……」
母がいないとお金がない。学費は遺産でどうにかなるけど生活費の方が……。
「そもそもお母さん、働いていたの?」
まーくんに言われて私は首を傾げる。夜に出来る仕事……、していたんだよね? アパートの家賃もあるから……、働いていたんだよね?
「弁護士? 相談してみたら?」
私はコクンと頷いた。どちらにしろ母は罪を犯した。刑がどうなるのか分からないけど、今の仕事は首になりそうな気がする。遅かれ早かれ直面する問題。
ちょっと静かになっていた雷音がいきなり響いた。
ひゃっ!
びっくりしてまたまーくんに抱きついてしまった。
「さーちゃん、やっぱり大胆だね」
私に急に抱きつかれたまーくんは体制を崩してベッド倒れてしまった。私が押し倒した………?
「え、ち、ち、ちがう………」
私はまーくんに抱きついたまま恥ずかしくてまともに喋れない。
「うん、びっくりしただけだね。さーちゃんに下心はあるわけないか」
クスクス笑いながら言われた後半がちょっと残念そうに聞こえたのは私の願望? そうだといいな。
「凄い雨だけど何もないといいね」
私はカーテンに隠れた窓の外を思っていった。車がプカプカなんてドラマや映画だけで十分だ。
「さーちゃんは優しいね」
私の背を優しく撫でながらまーくんはそう言ってくれる。
「私ね、去年、悲しかったの」
まーくんは何も言わずにただ聞いてくれる。
「まーくんと会ったアパートが無くなっていたこと。神社が建て替えられていたこと、森が小さくなっていたこと」
そう、と言ってまーくんは背を撫でてくれている。
「アパートも神社も古かったから仕方がないし、森のことも持ち主さんのすることだから…、分かっていても思い出の物が無くなっているのは寂しかった」
なんかうまく言えない。アパートが無くなったのは災害じゃないのに。もどかしい。
まーくんがそっと抱き締めてくれた。
「だからね、この雨で同じように思い出が無くなる人がいたら嫌だなー、と思って」
「さーちゃんは優しすぎるよ。ここの古い人たちは神社の森を削って、森にゴミを棄てて、いつか神罰が降りるって言っているに」
「確かにね、ゴミは許せないけど……」
祠の周りにゴミを棄てた人は許せないけど。
「ゴミに埋もれてしまえ」
私の言葉にまーくんが爆笑した。
「そうだね、目には目を、ゴミにはゴミを。ついでに虫もつけようか」
私は力強く頷いた。たぶん、まーくんの腕の中にいて自分が何を言っているのか分かってなかったんだと思う。
「さーちゃん、今日は色々あって疲れたでしょ」
優しいまーくんの声に瞼が重くなってきた。
「雨音も少し弱くなってきたし、もう大丈夫だよ」
まーくんに言われるとそうなんだと思う。
「おやすみ、さーちゃん」
まだ起きてまーくんと喋っていたいと思うのに無情にも瞼は下がってくる。寝たら駄目なのに……。
「まーくん……」
「………、僕が見つけられないほど幸せになるんだよ」
優しい声で誰かがそう言った気がした。その声はとても寂しそうだった。
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