第9話 会合
王民事業に戻ったイェルダとコンラートは先程までのノアとの打ち合わせを詰めるために会議をする。
「ノアさんの要望は女性の職業農家か農家希望の職業市民の参加でしたね? コンラートさん当てはありますか?」
「はい。以前よりノアさんに要望されていましたので準備はしています。数名候補がいますがこの際ですから選考せず全員をノアさんに預けるのも手ではないですか? あのトラクターゴーレムがあれば土魔法が使えようが使えまいがそれこそ力も何も関係なく農業に参加できますから」
「そうですね。ノアさんに打診してみましょうか。いずれにしても次回は五日後の安息日ですから」
「雨の日は休みでそれを含めて持ち回りで週休二日ですが、雨の日はともかく。農家の四人が休みたがりません。その件はノアさんに伝えても大丈夫でしょうか?」
「私の方からそれとなく伝えておきます。以前にも今は過渡期だから仕方がないと言っていましたので許容してもらえると思います」
コンラートは安堵したように息をついた。
「それは良かった。当面は水田の開墾地の耕耘と”レンゲ”の種撒きを優先と指示をもらいましたのでそのように。ノアさんの予定では六日で開墾完了で随時”レンゲ”の種撒きを実施ですね」
「はい。そのようにお願いします。これからのノアさんの計画書ですとトラクターゴーレム一台で20haを耕作管理。のべ四台で80haを稼働させる。……今日のあの建物が20ha用であと三軒建設予定だと書いてあります。それとため池ですか? ――ビオトープとも書いてありますが……」
困惑したようにコンラートが言葉を続ける。
「そうですね。生物の多様性がどうとか言ってましたが、……浅薄な私にはさっぱりで早く農業部門の職員に代わってもらいたいくらいです」
「――農業部門の職員なら分かるんでしょうか? ……あの建物は王都の農業部門より機能が充実していますよ。エーギル先生からもノアさんの近くは大変だと聞いていましたが、聞くと見るとは大違いですね」
「人の目がなければ自重しなくなったのでしょうか?」
すこし恐ろし気にコンラートは言う。
「――というよりも身内扱いしてくれているのでしょう。ノアさんは身内には甘いですから、農家の四人とこれから関わる人たちが快適に過ごせるように場所を整えてくれたのです。それでも数年かかると思っていた100haの荒れ地が2日で開墾可能な更地になるとは思っていませんでした」
「全くです。王都でも目を見張る成果を度々起こしていましたが、今日見たものはそれを超えます」
「そうですね。ですが騒ぎ過ぎてはいけません。ノアさんは名を残したがらない偉人ですから。ノアさんの見ているもの感じていることを教えてもらってより良い組織と社会を作ってゆきましょう」
イェルダはエーギルから忠告された。
エルフの方々がノアをあまり敬いすぎると消えたようにいなくなるぞと言っていたと。
迅速果断なノアが思い立ってどこかへ旅立ってしまわないように、王民事業体イーディセルのまとめ役としてイェルダは粛々と支所内も引き締める。
§
ノルトライブのギルドである噂が広がっている。
ここ二日姿を見せないノアの噂だ。
ダンジョンで襲った十九人を開放したのは、ダンジョン内で自分で落とし前を付けるためだと。
ギルド長よりきつい一喝があっただけで実質おとがめなし。
ダンジョンで襲われたらきっちりと処罰するか決闘で決着をつけるのが習わしだ。
だが決闘を放棄したノアの取れる罰はそれしかない。
普通ならあり得ない状況がその信ぴょう性を高めていた。
侵不はギルドが罰することでは気が済まなかったらしい。
その復讐の権利ギルドでも『侵不』だ。
襲った十九人も熟練者で度胸もある冒険者だが、何をされたか分からずに瞬殺だ。
彼らはもうノアと敵対したくない。
そうなるとどういう事が起きるか。
「おいっ! シュバインっ!話を聞けよっ!」
「うるせぇ! いい年したおっさんが詫びを年下に取り持たせんなっ! みっともないっ!」
「取り持てとは言ってねぇ。安全だから会ってくれと伝えてくれりゃあ良いんだ。俺達が近づいてバッサリいかれたらどうすんだよ」
「自業自得だろ? ダンジョンで取り囲んで襲えば掟破りだ。言い訳があんのか?」
「ぐっ。――言い訳はしねぇが詫びる機会はもらいたい。だいたい。おめぇが駆け出しのころ助けてやったのは誰だよ」
「はっ? いつの話してんだよ。散々たからせてやっただろ。あれでチャラだ」
「おいっ! バステン。黙ってねぇでシュバインになんとか言え」
「まったく。あんたらは――でも俺もあんたらと知らない仲でもない。話だけならあの兄さんに伝えてやるよ」
「まてっ! バステン。勝手な事すんな」
慌てるシュバインを遠のかせるように男たちは動く。
「さすがだな。バステン。どっかの恩知らずとは違うな」
十九人が次々にバシバシとバステンを叩く。
バステンは迷惑そうに振りほどきながら理知的な瞳のノアの事を考えていた。
(シュバインを許した兄さんのことだ。悪いようにはなるまい。だが、それで兄さんが舐められないようにしてやるのが恩返しってもんだ)
冒険者にとって優しさと寛容は罪ではない。
だが、それによって生ずる甘さは良い影響を周りに及ぼさない。
寛容だからと面倒ごとを押し付けられるのは、舐められているのとたいして変わらない。
(もっともあの兄さんなら気付きもせずにスルリと躱して歩いて行くんだろうが)
そんなノアがノルトライブの冒険者に恐れられる理由。
もちろん何をされたか分からないまま倒された不気味さはあるが、それよりも大きいのは絶界の弟子だからだ。
血気盛んな若かりし頃の絶界の数々の逸話。
絶界がB級のとき絡んできたA級の槍術士に決闘を売られ剣を使わず槍で倒した。
売られたケンカは全て買う。
――そして生涯負け知らず。
ダンジョンでの二十日間の失踪と復活の逸話は死神をも倒したと呼ばれた。
自分の道理に叶わぬことは力づくで捩じり通す。
極めつけが自分の女のために二十万の兵にケンカを売り勝ち切ったあの伝説だ。
冒険者達が若いころ憧れた絶界の逸話と人物像がそのままノアに透けて重なる。
傍若無人で憧れとそれ以上の畏怖を覚えた存在の影に冒険者たちが苛まれる。
だから彼らは必死なのだ。
――同時刻。
風呂上がりに冷たい牛乳を楽しむノアを置き去りにして。
§
「ねぇ。神武。明日あたしも行かないといけないの? 貴方だけでいいじゃない」
「マスターも今後の為に親睦を深めることをお勧めします」
ノアはダンジョンを出る前に二日後に第一回のダンジョン説明会を希望した。
階層は冒険者が誰もいない二一階層でだ。
「あの子苦手なのよね。なんか。面倒くさい」
「ノアさんはこのダンジョンより上位の権能保有者です。このダンジョンで一番位の高いマスターがもてなすのが礼儀です。是非賢明な判断をお願いします」
今まで間違ったことのないヌクレオの判断――今は神武となったが。
その提案に少女は不承不承頷く。
「――分かったわ。行けばいいんでしょ。行・け・ばっ!」
ヌクレオだったころ心の無かった神武はマスターから言われたことを遂行するだけの存在だった。
最適な判断を下し決断をマスターに預ける。マスターの要求に適切に答えることに専念してきた。
彼女が快適に過ごせるように机を用意し紅茶を準備することもその一つだ。
それは何万年も繰り返して来た事だ。
だが、今の神武は違う。
守武の記憶は残っていないが日本の記憶を持ち個としての心がある。
神武は世界の美しさを思い出した。
生きることを倦んだ。
目の前のダンジョンに囚われた少女に刺激を与えなければならない。
ダンジョンの管理者としてマスターを優先する束縛を逃れ神武の心がそれを命じる。
(刺激にしては劇薬が過ぎますが……マスターには新しい世界を見てもらわなければ成りません)
飽いたように眠るだけで生きるのに惰性的な少女は生きる楽しさを知るべきだ。
神武は自身が守り育むことを誓った少女の未来に新たな色を載せたいのだ。
何万年と続いたセピアの風景に。
そして――それを受け入れてしまった少女に。
世界は光に溢れている。その光は楽しい事ばかりではないかもしれない。
それでも悲しみも人生の一部だと。
苦悩の中で初めて知る甘露もあると。
それすら受け入れて初めて見える風景がある。
数万年の静寂を破り少女の小さな世界を振蕩させ突然目の前に現れた。
その強く輝くエネルギーの塊のような少年と接点をつくること。
そして――願わくば……。
神武は密やかに計画を練る。
神武が初めてマスターに隠す少女が望まない計画だ。
ただ、ただ、純粋に少女の健やかさを守る事だけを誓う。
◇
二日振りにやって参りました冒険者の時間。
早速ダンジョンの入場口に来ている。
なんか。バステンさんが夕方話があるって朝一話しかけられた。
あの時の十九人がどうとか言ってたっけ。
まぁ。今はそれよりあれだよあれっ!
ダンジョン説明会だよっ!
知的好奇心のムズムズが飛び出しそうだ。
このムズムズが猫の形してないといいな。
猫だと死んじゃうからね。
この諺には対になる言葉がある。
猫は九つの命を持つ。
転じて猫はなかなか死なない。
その猫でも死んでしまうという意味らしい。
大事なことは忘れるのに、どうでもいいことほど頭に残るんだよね。
おっとっ! ――お迎えだ。
初めて見る男の人だね。
神職の装束を着ている。
紫に白紋の袴に白の上着だ。
確か高位の神職の格好だったような?
顔は何か見た事あるような無いような?
「おはようございます。ノアさん。お待ちしておりました」
「おはようございます。初めましてですかね?」
「失礼しました。ヌクレオを名乗っていた者です。今は神武と申します。お見知り置きください」
「えっ? 守武さん? あの日本の?」
「守る守ではなく、不遜にもGODの神を名乗っております」
「じゃあ神武さんですね。面影もあるように感じます」
「彼の者の記憶は無くなってしまいましたが、日本の記憶は少し残っています」
「へぇ。私と一緒ですね。自分の記憶はほとんど思い出せないんですよ」
「――そうですか。同じですか」
(やはりそうか。ノアさんの権限で日本の記憶を呼び戻し、ノアさんの制限で記憶を封印されているのだ。あの時感じた高位の存在はマスターにさえ話そうとすると制限がかかる。つまりそういう事だろう)
「今日は宜しくお願いします」
「それではご案内します。こちらへお越し下さい」
先導して神武さんが歩き出す。
空間が切り取られたかのようにドアが出現する。
何処でもなドアみたいだね。
中に入ると高い天井の広く明るいスペース。
壁は純白で床は手の込んだヘリンボーン張り枯れた風合い。
天井は凝った装飾の施された銀色のドーム型。
美術館のホールの重厚な天井を思わせる。そこに黒に近い焦げ茶の重厚なテーブルと椅子。
正面に一度会った長い黒髪で真っ赤な目の美しい少女が座る。
肌は陽に当てたことが無いほど真っ白だ。漆黒のドレスを身に纏う。
「いらっしゃい。お掛けになって」
神武さんが椅子を引いてくれた。
俺は言われた通りに座る。
「前にも一度お会いしていますが、わたしがこのダンジョンのマスターです。宜しくお願いします」
「はい。こちらこそ宜しくお願いします。私はノアと申します。今日はご教示楽しみにしております」
王国で名前だけ告げるあいさつは家柄は関係なくフランクに行きましょうという学生のあいさつが始まりだという。
神武さんから紅茶がサーブされる。
「マスターさんとお呼びすれば宜しいですか? もし失礼でなければお名前を伺っても構いませんか?」
「わたしには名前はありません。マスターと呼んでください」
初めての会合が始まる。




