第7話 開始
生き急ぐように会議室を出て行ったノアを見送りイェルダは顔を引き締める。
(今のがエーギル先生がノアさんを例えるのに言っていた『迅速果断』というものなのだろう)
そしてイェルダはやりがいを感じたように笑みを浮かべた。
出来ることからやろうとするイェルダの料理部門を前倒しという提案から全部門の募集告知という話に飛躍した。
しかも、王民事業体イーディセルのノルトライブ支社の人員不足も加味して負担の少ない公示方法まで提案してくれた。
そして返す刀で農業部門の始動まで話が進む。
その間わずか十分程の間に王民事業体イーディセルの最初の事業プランがキックオフされた。
イェルダは師のエーギルが笑いながら言っていた言葉を思い出す。
『ノアさんの側にいると振り回されて大変だ。時間がいくらあっても足らない。思わぬ仕事が降ってくるしね。でも、すごく楽しいんだ。時間が濃密で今までの人生より充実している。君も覚悟しておくことだね』
(先生。覚悟していたつもりでしたが、足らなかったようです)
続いて告げられたエーギルの言葉も心に残っている。
『よくノアさんは安息日には休めというけど。自分はあれで休んでるつもりだから面白いよね。誰よりも働く。いや、ノアさんに合わせて動くにするかな。恩人が誰よりも動いているのにこっちが休める訳がない』
その言葉を聞いた時にイェルダはエーギルに連れられて安息日の複合施設建設現場に来ていた。
レンガが舞い飛び建物が嘘のような速度で建ってゆく。
ノアは複合施設の建設の十分の一分の面積を一人で建ててしまった。
今日は休みの日だと言って。
イェルダは告知のプランを練り直す。
そっと皿に手を伸ばしカツサンドをつまみながら。
「やっぱりっ! これおいしいっ!」
あっという間にカツサンドは無くなった。
イェルダは頭をフル回転させて根回しまでプランに組み込む。
この日王民事業体イーディセルのノルトライブ支所から職業別の訓練生募集が告示された。
合わせて領主側から王都での成功事例と領民の積極参加を促す表明が発せられ市民に広く知れ渡ってゆく。
◇
俺は職業が農家の四人と王民事業体の職員一人を連れて開墾予定地にやって来た。
悪いなモルト今日も見てるだけだ。
うんっ! 分かってるって顔だな。
俺が手を出すととんでも畑が出来上がるからな。
今回予定を確認して連れて来た四人はみんな男だ。
女性がいた方が細やかな配慮が出来て良かったんだが、いまの王国の農業は男の力仕事が無いとなりたたない。
千歯こきすらなかったこの世界で手作業で体力のある大人一人が管理できる圃場はせいぜい二~三反程だ。
つまり一人で20~30a耕作が限界で、およそ一家族五名として1ha程が限界だ。
1haも確保できれば農家としては豪農を公言できるだろう。
何しろ身体強化を使える一部の農家でないとそれは難しいと言わざるを得ない。
概ね一軒で50aほどが平均となり、家族五人が十分に不自由なく生活して行ける。
今回の100haの開墾事業は50aの平均換算で二〇〇世帯一,〇〇〇人の農家を養える事業となる。
前にも触れたが、王国で開墾された土地は三年は無税で四年後から収穫物または収穫で得た収入の半分を税として納め、十年経過後は税率が四割となる。
そしてこの収穫物として納められる収穫物は穀物だけだ。
穀物とは? 今のところ麦と米、乾燥させて芯から外したトウモロコシまでだ。
ジャガイモは今まだ協議中。これに関しては保管期間の問題が解消されれば許可されるだろう。
以上の事が何を意味するかというと保存が効き主食となりうる収穫物が納税として国に納められる。
そして国へ収穫物での納税をする事が農家にとって一番手間が無い。
更に言うとここでの『収穫で得た収入』は”売上高”だということだ。
収穫物を売った売上げ全ての金額であって、手間や資材などの経費を引いた『営業利益』ではない。
農業の作物であるため原価が存在しない。
売総=売上高。
詳しく言うと、売上総利益(本来は売上高-売上原価で粗利と売総は同じもの)=売上高なのだ。
王国のある平均的試算では、1haの麦の収量の平均は3t。
王国の平均で50a辺りで1.5tとなり、最大で半分の750kgが税で納められる。
この納税後に残った750kgは農家の私財で売ることも食べることも可能だ。
だが残り750kgの内で概ね一人が一年に消費する麦の量が100kg程だ。
五人家族換算で500kgを消費して実質の収益は麦250kg分。
レオさんが用意してくれた指標だから間違いがないだろう。
もちろん農家も麦だけを作る訳ではない。
作った野菜を村なら村長が管理して一括で街に売りに行き売り上げの四割を納税して残りを村人に分配し一部を村営費にあてる。
ケンちゃんの実家のように大きな都市から近い場所は買い付け業者が各家を周り集める。
買い付け業者が付けた帳簿を基に納税金額が決まる。
そしてそれらが都市で野菜として販売されているのだ。
だがここにグレーな解釈が出てくる。
王国も容認しているので限りなく明るいグレーだ。
前述の『収穫で得た収入』というものが納税対象だと言った。
では生産して農家が自家消費した収穫物はどうなるか?
――税から免れるのだ。
農家は皆一様に麦以外の野菜を作り糊口をしのぐとまでは言わないが食事の足しにしている。
あるいは農家間や場合によっては行商人との物々交換などで収入(金銭)が発生しないように利用する。
この全体の一連の事象が何を現しているかというと農家は麦の生産調整をしているという事だ。
概ね50aで1.5tの生産がなされるように調整し、余った畑で自分たちが食べる野菜を育てる。
小麦を収穫したあとの農閑期の畑でも同じように野菜を育てて食料としていた。
それらの一部あるいは契約栽培されたもの、または計画栽培された野菜が都市の食を満たしている。
それにより農家は副収入を得られるのだが、その実あまり積極的ではない。
何故か? 作っても売れる確証がないからだ。農家とは作った野菜をつぶすのを嫌がる生き物だ。
今の王国で個人では販路が無い為に農家は穀物を作るしかない。それに野菜ばかり作ってあからさまに小麦の収穫量が下回ればお咎めもある。
これはノルマありきの栽培であり、ただでも少ない食料問題に潜んでいた悪しき慣習というヤツだ。
農家も野菜を作らないと生活できないという側面はあるが、誰も効率的な栽培限界に挑んでいないのだ。
本来ならば公の部署が管轄しなければいけない問題だと思う。
例として参考になるか分からないが、先進的農業を試したケンちゃんの圃場で麦の1haの収穫量は5tだ。
この収穫量は化成肥料の使用実験ではもっと伸ばせるかもしれない。
以上が今の王国を取りまく農業の環境だ。
今回俺が計画した100haは、試算で五,〇〇〇人分の小麦を作れる面積だ。
だが王国の方針もありどの都市も今のところ小麦は足りていた。
だから俺達はそれ以外の野菜を作ることを都市から期待され求められている。
王民団体の料理部門は農業部門との両輪だ。
農業部門が作った野菜を料理として提供する。と同時に王民事業体は野菜の集積販売店を兼ねる。
余りそうな野菜で料理を作りロスをなくし、野菜の認知度を上げてゆく。
今の王国で穀物以外の生産物を作り消費及び販売する仕組みがあるのが唯一王民事業体ということだ。
さて、話は変わるが俺はケンちゃんの圃場で色々試したことがある。
俺の魔法で耕した圃場は俺の管理地として登録される。
そしてモルトが耕した圃場もまた俺の管理地として登録される。
逆もまた同じで俺とモルトは管理地を共有する。
まぁ。もっともモルトの方が出来ることが多いんだがね。
では俺は開墾では監督するだけ何もしないのか?
それは否だ。
頼んだぞっ!
――チャムとカロ。
ケンちゃんのところで実験した結果。
チャムとカロが手伝っても俺の管理地とはならない。
チャムが水の精霊でカロが植物――エルフ的には生命の精霊だ。
灌木がまばらに生え膝丈の草が生い茂った開墾予定地。
カロが灌木も草も枯れさせ黒い腐食へと変えてゆく。黒く変わった草原が視界の中で瞬く間に広がった。
チャムが水分をコントロールして最適な土壌水分を維持する。
十分ほどで10ha程の凹凸のある表面が真っ黒の地面が出来上がった。
それじゃっ! いきますかっ!
◇
王民事業体イ-ディセルで農業部門の事前説明を受けていたクラウスは急に現れた青年に連れ出されると開墾予定地へとやって来た。
十九歳のクラウスより少し背の低い青年はノアと名乗った。
開墾作業の指導員だという。
クラウスが見つめる中、青年の前の荒れ地の灌木や草が緑の光とともにみるみる枯れて黒く変色して行く。
「――っ! ノア君。何が起きているの?」
「あぁ。これはケンちゃん直伝のスペシャル魔法です。本家はもっと凄いですよ」
「ケンちゃん? それは誰だい?」
付き添いで来ていた王民事業のコンラートがため息交じりに補足する。
「王都の王民事業体イーディセルの農業部門の代表ケィンリッドさんの愛称です。ノアさんは懇意にしていましてね」
「ケィンリッドさんの……すごい魔法ですね」
コンラートは苦笑いして相槌を打った。
「ははは。そうですね」
コンラートはケィンリッドがそんな魔法を使えないことを良く知っている。
レオカディオからノアのフォロ-をくれぐれも頼むと言いつかってはいるが。
王都では居たブレーキ役のパオラの存在を懐かしく、そして心強かったなと思う。
(ノアさん。お目付け役がいなくなって自重しなくなってないかな)
コンラートは自分では止められそうもないノアに戦々恐々だ。
「準備も出来ましたので早速トラクターゴーレムの操作説明を始めます」
そうノアが言うとクラウスの目の前に黒い軽鉄で出来た見たことの無い大きなものが現れる。
「これがメイリン&ガンソ社製のトラクターゴーレムです。畑の耕耘などに使います。後ろの部分がロータリーです」
「紹介票を見ましたが皆さん土魔法が使えると聞いています。あとでどんなことが出来るか見せてもらいますが、先にこのトラクターゴーレムで開墾予定地の耕耘作業をしてもらいます」
そう言ってノアはトラクターゴーレムの後部座席に狭そうに座り込んだ。
「それでは一番前のあなたからいってみましょうかっ!」
そう言ってクラウスを手招きする。
クラウスはおっかなびっくり座席に座りノアの方を振り向く。
「どうすればいいのかな?」
ノアの指示通りトラクターゴーレムを動かすと驚くほどの速さで土が耕かされてゆく。
「旋回するときはブレーキが左右で独立していますから回る方と逆のペダルを――そうそっちです」
(なるほど。こうすると回り易いのか)
クラウスが畑を行き返りしてくると他の者と交代して一巡するまで繰り返された。
「トラクターゴーレムの感覚は分かったと思います。何度か繰り返し耕耘して土が柔らかくなりました。ここへ魔法で畝を立ててください。畝幅は90cmで二列いけるかな? 四人で分担してお願いします」
言われた通り二人は半分ほどのところから土魔法を使い畝立てを始める歩く速度で段々と畝が出来てゆく。
二畝出来たところでノアが集まるように声をかける。
「ケンちゃんから分けてもらった種を撒きます。左端の一畝はホウレン草を三列。実験も兼ねて一列は慣行の筋蒔きで他の二列は株間が4cm間隔で一列は二粒撒きもう一列は一粒撒きです。この農具を使ってください。ガンソ式播種機です。筋蒔きも播種間隔もすでに調整してあります。ほうれん草の畝間は15cmでお願いします」
ノアが軽鉄で出来た黒いガンソ式播種機を三台とりだして操作を説明する。
「となりのもう一畝にはキャベツを撒きます。畝間は60cmで株間は40cmです。撒く種は三粒で調整しています。この播種機を使ってください」
そう言うと更に二台の播種機を取り出した。
ノアは細かい指示をしながら播種機の使い方を指導するそれが終わると。
「ホウレン草はこの鎮圧ローラーでしっかりと鎮圧してください。鎮圧すると地表の乾燥を防ぎ地下の水分が地中に集まり発芽を助けてくれます」
「明日は朝から開墾作業を始めましょう。予定が合わない方はいますか?」
いつの間にか農業部門は始動していた。




