【02】拳一つの選別
鬼泉正輝は五ヶ月の間孤独に暮らした、カビ臭い匂いの残る狭い寮部屋を後にした。
未練は全く無いが、ただ漠然とした歯痒さを感じていた。
更生施設、聖愛学園での五ヶ月の期間は決して短く無かったが、【奴ら】と対峙するにはまだ力が足りず、時期が早いかもしれない。
俺はもっと強くならなければならない。
この拳一つで運命を変えられるほどに。
そんな思いを胸の内に秘めて、鬼泉正輝は荷物をまとめ、部屋を出た。
硬いコンクリートの床にコツコツと鬼泉正輝の足音が響き渡る。
窓に映る夕日は落ち始め、あたりの光はだんだんと弱まっていった。
学生寮の廊下のコンクリート剥き出しの壁には、暖房類の空調機等は一切取り付けられておらず、入冬した季節の身を切るような寒さを鬼泉正輝は肌で感じた。
校舎を出て、聖愛学園の入り口に向かった。すると、聖愛学園の入り口で、学級主任の近藤が、ジャージ姿に竹刀を持って待ち受けていた。
(ちっ、また厄介なのが現れたな)
鬼泉正輝は近藤から目を逸らし無視して通ろうとしたところ、
「いよいよ出所か。帝林高校に転校するらしいな?」
鬼泉正輝は近藤に突如、挑戦的な口調で話しかけられた。
だが、意地悪さや厳しさの中にも、親しみと今後の鬼泉正輝への僅かな心配も感じられる暖かみのある口調だった。
「・・・転校という名目の、最終卒業試験だとよ。近藤先生、拳闘ナンバー一試験に優勝したら卒業できるって規則なはずなのに、全然話が違うじゃねぇか」
鬼泉正輝が、聖愛学園に所属していた五月間、厳しい指導を与えつつ、よく面倒を見てくれた近藤に毒付いた。
近藤は、鬼泉正輝のぶっきらぼうで直情的な性格に頭を悩ませつつも、暴走族のヘッドとして無茶をしていた過去の自分に、鬼泉正輝の今の姿を重ね合わせていた。
…こいつは俺と似ているな…。
近藤は鬼泉正輝を見ていつもそう思っていた。
「校長には校長なりの考えがある。
それより、鬼泉正輝、これを持って行け」
近藤が鬼泉正輝に一台のスマートフォンを渡した。
「俺の携帯電話番号が登録してある。
肌身離さず持っておけ。半グレグループと帝林高校の制圧状況は、逐次、俺に連絡しろ。それと、俺の指示には原則従ってもらう。あと、住む場所もこちらで指定させてもらう」
住む場所まで決められるのか。
「なんだよ、近藤先生。シャバに出てからも俺を監視する気かよ」
「いいか、お前はまだ、日本有数の厳しい指導を生徒に課すこの更生施設、聖愛学園を卒業した身分ではない。依然として俺の保護監督下にあることを忘れるなよ」
鬼泉正輝は少し考えた。
監視対象であることには変わりないが、行き場のない鬼泉正輝にとって当面住む場所が確保されるのは、考えようによってはありがたい。
姉の入院する病院からも近い場所のようだ。
「・・・チッ、うるせぇオヤジだ」
考えをまとめると、鬼泉正輝は舌打ちして毒づき、受け取ったスマートフォンを鞄にしまった。
(常に監視の目がつきまとう。まだ自由になったわけじゃないってことか。それでも行くしかねぇ)
苛立ちと不自由さが入り混じり、正輝は地面を強く踏んだ。
近藤に見送られつつ、鬼泉正輝は、聖愛学園の入り口を出た。
入り口を出る時、何かの一つの足枷が無くなった感触がして、束縛から放たれる自由な解放感があった。そして同時に、自らを守る砦が無くなったような肌寒さを一瞬感じた。
鬼泉正輝は、目的地の東京へ、近藤に指定された自身のアパート寮に向かうため、夜行バスに乗った。
ひんやりとした夜風が身体の傷に染みる。薄暗いバスに揺られ、座席に奏でられる定期的な振動の心地よさの中、鬼泉正輝を急速に眠気が襲った。
眠る鬼泉正輝を乗せて、夜行バスは前方ライトの明かりだけを頼りに、暗闇の中を単調な速度で突き抜けていった。




