【16】小さな寄り道
12月24日(水曜日)夕刻
今日の授業を終え、鬼泉正輝は寮へ向かって夕暮れの渋谷をひとり歩いていた。
学校帰りの人影もまばらになり、オレンジ色の街灯がちらほら灯り始めていた。
冬の渋谷。
空気は澄み切って、どこか張り詰めていた。
寮への帰り道、正輝は通りの端で、二人のチーマーに囲まれている雪塚かすみを見かけた。
明らかに雪塚かすみは嫌がっている。
「なあなあ、悪いようにはしねえって。最近この辺、天獄会の奴らが出没してんだろ? 俺たちが守ってやるって言ってんのよ、な?」
「ちょっとぐらい付き合ってくれても、バチは当たんねぇだろ?」
チーマーたちはにやにやと笑いながら、かすみにじり寄っていた。かすみは眉をひそめながらも、強く声を出す。
「……結構ですって、何度もいっているでしょう。すみませんが、どいて下さい。一人で帰れます」
雪塚かすみはチーマー二人を強引に押し退けて進もうとした。
その手を一人のチーマーが掴んだ。
「ヤダ、ちょっと! 離してくださ……」
「だからぁ、女の子が今の渋谷を一人で歩いてちゃ、危ないでしょ〜? 俺たちが丁寧に家まで送り届けてあげるって言ってるんだ。人の親切はありがたく受け入れろや!」
雪塚かすみは腕を引っ張られて引き戻された。
「きゃっ!」
かすみの声にならない悲鳴が風にかき消されそうになった、
(だ、誰か!)
その瞬間、かすみの腕を引っ張ったチーマーの後ろ襟を一人の男が掴んだ。
「あ?」
チーマーの視界がぐるっと反転する。次の瞬間、背中から地面に打ち付けられていた。
「がっ!」
もう一人のチーマーの顔が引き攣る。
「何しやがる! テメェ! 俺らが誰だと思ってやが……!」
ドスッ!
最後まで言い終わる前に、強烈なボディフックが入った。
「ぐぼっ!」
チーマーは身体をくの字に折り曲げて崩れた。
「な、なんだよ……こいつ……」
一瞬のうちに二人を地に伏させた男は、一言も発しなかった。
ただ冷たい目で二人を見下ろす。
その冷たい眼差しに、本能が警鐘を鳴らした。
この男に関わってはならない。
「ひ……ひいぃ……!」
その眼差しに、チーマーたちは転がるように逃げ去っていった。
「……正輝……さん?」
その後ろ姿に、かすみが呟いた。
鬼泉正輝は無言のまま、制服の裾を払うと、ちらりとかすみの顔を見て、そのまま立ち去ろうとした。
「…ま、待って!」
雪塚かすみが立ち上がり、鬼泉正輝の元まで走り寄ると、その腕を掴んだ。
「…なんだ?」
「いや、あの…」
雪塚かすみはそのまま少し考えて、
「正輝さん……喧嘩は……ダメだって……」
かすみはそう言いつつも、小さく笑った。
「でも、ありがとう。……助かった」
鬼泉正輝が雪塚かすみの大きな瞳の視線から目を逸らした。
「別に、ただの気まぐれだ。だが、あいつらの言うように、この街で女の一人歩きは危ねぇぞ」
鬼泉正輝は踵を返して、そのまま去ろうとした。
雪塚かすみがその後を着いてくる。離れるつもりは無いらしい。
チッと、鬼泉正輝が舌打ちした。
二人はそのまま、なんとなく並んで静かに歩き出した。
渋谷の大通りを抜けて、小道に入る。
さらに脇道を抜けると、古びたアンティークショップが視界に入った。
「……あ。まだ、あったんだ……」
かすみが足を止める。ショーウィンドウには、懐中時計やブリキのオルゴール、古い万年筆などが並んでいる。
「ここ、昔よく見に来てたの。中には入れなかったけど、外から見てるだけで楽しくて」
正輝は何も答えなかった。ショーウィンドウガラスを両手で触りながらかすみが続けた。
「私、小さい頃は家族で暮らしていたけど、父が亡くなってから、孤児院暮らしなんだ」
かすみの目元に少しの寂しさがよぎった。
「まだ家族みんなで暮らしてた頃、お父さんと帰り道によくここへ来たの。二人でショーウィンドウをいつまでも眺めてた。ずっと眺めてるだけで、時間が止まったみたいだった……懐かしいな……」
鬼泉正輝は雪塚かすみの横顔に目をやった。どこか遠くを見つめるような穏やかな表情だった。
「今は……兄と二人暮らし。朱雄っていうの。知ってるかな? 帝林の三年生で……ちょっと、怖い人だけど」
鬼泉は一瞬、目を鋭く細めた。
「……ああ、名前だけは聞いたことがある」
「お兄ちゃん、毎日工事現場で働いてる。朝早くて夜遅くて、全然会えないけど……私のために頑張ってくれてる。ほんとは、もっと楽してほしいのに……」
雪塚朱雄が生活費を稼ぐために、現場で汗を流している?
天獄四天王の一角。そのイメージとはかけ離れた姿だった。
「……そうか、お前の兄貴も、苦労してるんだな」
鬼泉の言葉に、かすみは微笑んでこちらを見つめた。
「母親は……他に男の人を作って出ていっちゃった。
そして、父親は病気で……でも、優しい人だったよ」
少し寂しげな笑みを浮かべながら、かすみは語った。正輝はしばらく黙っていた。空はすっかり夜の色に染まっていた。
「帝林高校の生徒、みんな、怖い人たちばかりだけど、色々みんな抱えている。お金がなかったり、帰る場所がなかったり。だから、悪いことに手を出す生徒も、いっぱいいる」
正輝は何も答えなかった。
「悪いことすることはいけないことだけど、みんな、何かの拠り所を求めている。天獄会も、そんな彼らの拠り所の一つなのかもしれない」
正輝は空を見上げた。群青色の空に、街の明かりが滲み始めていた。
「正輝さんは、天獄会と戦うつもりなんでしょ? 理由は分からない。だけど、そんな気がする」
かすみはそっと言葉を切って正輝の目をじっと見つめた。
「暴力は何も解決しない。物事をより悪い方向に進ませるだけ」
「そうかもな」
正輝は表情を変えなかった。かすみは薄く微笑んで続けた。
「ただ……正輝さんの力は、正しく使えば、それは、大切なものを守ってくれる」
「……?」
わずかに正輝の眉が動いた。
「優しい力は、人を救ってくれる。それは、暴力じゃない。……正輝さんが持つ、まっすぐな信念を持った希望の光」
かすみの大きな瞳の奥にある光が、正輝の心を見透かすように捉える。
「エヘッ、ごめんね。助けられた上、二つも年上の先輩の正輝さんに、偉そうなこと言って」
「別に、気にしちゃいねぇよ」
鬼泉正輝は雪塚かすみから目を逸らした。
「じゃあ、私、家、こっちだから。助けてくれて、本当にありがとう。素敵なクリスマス・イブの夜を過ごしてね!」
そのまま雪塚かすみは小道の奥に消えていった。
……そういえば、今日はクリスマス・イブだったな……。
思えば、短い時間とはいえ、誰かとクリスマス・イブに過ごしたのは初めてだった。




