第44話 冬至
今日は、一年でいちばん夜の長い日。
つまり、ヨゾラの誕生日である。夏の夜に約束してから、僕はこの日をずっと待っていた。祝う係の、一年目だ。
朝から、僕は挙動不審だった。
納屋と台所を意味もなく往復し、話しかけられると声が裏返る。ヨゾラは何も聞かなかった。聞かないまま、口の端だけで少し笑っていた。
半年前は、逆だった。こっそり準備してそわそわするヨゾラを、僕は面白がって眺める側だったのだ。立場が入れ替わると、こんなに落ち着かない。隠し場所は納屋の一箇所に決めて、そのかわり毎日、意味もなく確かめに行った。隠し事の腕は、半年経っても育っていない。
昼、庭でツキヨに協力を頼んだ。
「悪いんだけど、もうひと跳ねだけ、いい?」
りん。
見張り番は快諾して、張り切って庭を三周した。跳ねた跡に、銀の粉がきらきらと残る。月の粉である。僕はそれを、匙で丁寧に集めた。仕上げの、最後のひとさじだった。
贈り物は、この半月、納屋でこっそり作っていた。
一枚の板に、夜空の絵を描いたのだ。藍の顔料は、秋のうちに行商へ頼んでおいた。筆は魔法陣用のやつがある。描くのは五年ぶりでも、手はまだ覚えていた。
空を藍で塗り、星は白で置いて、その上から、ツキヨの銀の粉を薄く重ねる。
星の位置は、適当ではない。ばあちゃんの帳面の冬の星の走り書きと、この半月の夜空で、答え合わせをした。生まれた晩の空に、できるだけ近く。
乾かした板を布で包んで、夕方を待った。冬至の夕方は、待つまでもなく早い。
日が落ちて、家に灯がともる。夕餉を早めに終えて、僕は台所から皿を運んだ。蜂蜜で煮た栗をのせた、焼き菓子だ。栗は秋に山で拾って、蜂蜜に沈めておいた。仕込みの長い菓子は、それだけで御馳走の顔をする。
それから、蝋燭を立てた。一本、二本——十八本。皿の上が小さな祭りになった。
「……多い」
「歳の数。決まりなの」
僕の世界の決まりである。半年前、僕が十七本吹き消した。今夜は、彼女の番だ。
火を、入れる。
もちろん、例の長いやつをやった。火の緒よ、灯の種よ、から始まる点火の口上を、一言も削らずに最後まで。十八本の蝋燭に、順番に小さな火が灯っていく。願いの火は、手抜きの火では駄目なのだ。聞く係は、目を閉じて聞いていた。長いのを最後までやるたび、この人は初めて聞くみたいな顔をする。
「——おめでとう、ヨゾラ」
彼女は蝋燭の火をしばらく、黙って見ていた。それから、息を大きく吸って、ぜんぶ一度に吹き消した。煙のむこうで、目が笑っていた。
「今日から、十八」
「半年だけ、先に大人だ」
「ん。……敬語のほうが、いいですか、後輩」
「やめて。僕が言ったやつ」
夏の意趣返しである。十八歳は、覚えた冗談を半年寝かせて撃ってくる。焼き菓子を切り分けて、栗の甘さで少し黙って、それから、僕は布の包みを出した。
「これ。……誕生日の」
ヨゾラは包みを受け取って、布をほどいた。
板の上で、夜空が待っていた。
藍の空。白い星。灯りの加減で、星のいくつかが、銀色に、仄かに光る。ツキヨの粉は、板の上でもちゃんと月の粉だった。
ヨゾラは、動かなくなった。
まばたきを、しなかった。しないまま、長いこと、絵の中の夜を見ていた。ようやく、僕は言葉を出した。夏からずっと、しまってあった言葉だ。
「君の髪と、目。——生まれた晩の空と、おんなじ色なんだ」
銀の髪。藍の目。由来を聞いた夜から、ずっと思っていた。一年でいちばん長くて、いちばん星の濃い夜。ばあちゃんと母さんは、その晩のいちばんきれいな色を、そのまま君に付けたのだ。
「だから、描いた。君が生まれた晩を。……僕は見てないけど、たぶん、こういう空だった」
ヨゾラは絵を、胸に抱えた。
板の角が服に食い込むくらい、ちゃんと抱えた。それから、絵に向かって言うみたいに、小さく言った。
「……私、この色で、よかった」
夜がいちばん長い日に生まれて、夜の色を付けられて。それを、いちばんきれいだと言う人が、いま目の前にいる。彼女はそういう顔をしていた。僕は何も足さなかった。足す言葉は、絵がぜんぶ持っていた。
絵は窓辺に立てかけた。窓の外の本物と、板の上の夜が、同じ色で並んだ。
片付けのあと、窓辺に椅子を寄せて、毛布を一枚持ってきた。
一枚である。二枚出す発想が、僕たちからもう消えている。肩まで巻き込んで、二人で窓の外を見た。息が白くならない距離に、もう慣れた。今夜は月がない。新しい月の生まれる前の、いちばん暗い空だ。
「月がいない夜は、夜空の独り勝ちだ」
「……名前の話?」
「名前の話」
月の名を持つ僕が、月のない夜にいちばん機嫌がいいのだから、名前というのは奥が深い。
星が、濃かった。冬の星は音がしそうなくらい鋭い。ヨゾラが毛布から手を出して、南の低いところを指した。
「あれ。——『竜の背』」
「竜!?」
「昔、ほんものの竜の骨が、空に還ったんだって。ばあちゃんが言ってた。……北の、ずっと奥の話。らしい」
五年前の僕が聞いたら、その場で詠唱を三本書き始める話だ。らしい、で終わる話が、この世界にはまだたくさんある。僕は星の並びを目に焼き付けた。いつか見たいものの袋に、竜がひとつ入った。
「宿題」
ふいに、ヨゾラが言った。
「十八になったら、したいこと。……半年、考えた」
僕は姿勢を正した。夏の夜の宿題だ。彼女は窓の外を見たまま、ゆっくり言った。
「旅。……あなたと」
「旅」
「私の帳面は、まだこの村の周りだけ。……あなたと、知らない道のページを、増やしたい」
道の書の子は、道の言葉で願いを言う。それから彼女は、少しだけ声を落とした。番人の務めがある。だから、今すぐじゃない。いつか、務めから手が離せる日が来たら——。
「なら、僕の宿題も決まった」
言葉が、勝手に出た。
「その『いつか』を、作る。僕が」
この世界は、僕の言葉を、いちいち本気にする。今日のこれも、本気にしてもらうつもりで言った。
ヨゾラがこっちを向いた。まばたきを二回して、それから、毛布の中で、僕の肩に頭を載せた。返事は、それだった。
いちばん長い夜が、ゆっくり更けていく。惜しいくらい、ゆっくりと。
窓辺に立てかけた板の中で、銀の星が、ひとつ、まばたきをした。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
面白かったら ↓の☆☆☆☆☆ をポチッと評価&ブクマしていただけると、とても励みになります(^^)
☆⬇️⬇️⬇️⬇️⬇️☆




