第10話「白河家からの圧」
第10話「白河家からの圧」
放課後の生徒会室。
澪が書類を整理する手が、少しだけぎこちない。
ペンの配置。
紙の角。
いつもの完璧な所作に、わずかな揺らぎがある。
「どうかしましたか」
俺が声をかけると、彼女はハッとして顔を上げた。
「……いいえ。なんでもありません」
(嘘だな)
いつもの澄ました表情だ。
でも、瞳の奥に、さざ波のような不安が隠れている。
俺にバレまいと、必死に隠しているようだ。
(聞くべきか)
この世界で、相手の領域に踏み込むのは危険だ。
特に澪のような家柄の人間なら、なおさら。
「そうですか」
俺はあえて、それ以上は聞かなかった。
校門までの帰り道。
夕暮れの風が、少し冷たくなっていた。
「崎山」
後ろから、田辺が追いついてきた。
あいつは無口だ。
だからこそ、あいつが話しかけてくるときは、何かある。
「なんだ」
「白河家が動いたらしい」
田辺が前を向いたまま言った。
その顔には、いつもの無関心さが消えている。
「何が」
「……澪さんが、お前と仲良くしてることだ」
(そうか)
俺と澪。
その小さな関係性が、白河家という巨大な権力のレーダーに引っかかった。
「まずいか」
俺は足を止めた。
田辺も歩みを止める。
「澪さんにとっては、まずいかもしれない」
あいつは、そう言ってから短くため息をついた。
この世界で、男子と女子が交友を持つ。
それは、管理と保護のシステムへの挑戦に等しい。
「お前は大丈夫だろうよ」
「俺は?」
「お前は、まだ『ランク』が低いからな」
(ランクか)
あいつは自嘲気味に笑った。
あいつの顔には、摩耗した男子特有の疲労がある。
「澪さんには、お前を切り捨てる権限があるんだよ」
「……そうだな」
俺はただ、そうとしか言えなかった。
帰宅。
玄関には、ことみが待っていた。
「おかえり」
「ただいま」
ことみが俺の顔を見る。
それから、少しだけ不安そうな顔をした。
「……なんか、あった?」
「いや」
俺は靴を脱ぐ。
いつもの我が家。
でも、外の空気が、少しだけ重くなっているのを感じる。
「今日、どうだった?」
「普通だった」
「そっか」
ことみは短く答えた。
彼女は俺の顔をじっと見て、それからふわりと微笑む。
「……いいこと、あったんだね」
「まあな」
俺は自分の部屋へ向かう。
窓を開けると、夜風が吹き込んできた。
どこか遠くで、パトカーのサイレンが鳴っている。
(友達になっただけだぞ)
澪と弁当を食べただけ。
少しだけ、学校での会話が増えただけ。
この世界では、その程度のことが、どうしてこうも難しいのか。
ルールを破るつもりなんてなかった。
ただ、目の前のことを、普通にやりたかっただけなのに。
(白河家か)
澪が背負っているもの。
俺が抱え始めたもの。
それらが、じわじわと俺たちの距離を削り取っていく。
日常という名のガラス板が、ゆっくりとヒビ割れていく。
そんな気配がする。
(まずいな)
俺はベッドに倒れ込んだ。
明日は、また白河家から何かお達しがあるかもしれない。
澪が何かを言われるかもしれない。
友達になった。
それだけで、十分なはずだった。




