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「男子が2割の世界で普通にしてたら、どうやら大問題らしい」   作者: ゆう
5章

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第8話「友達」

第8話「友達」


夕暮れの屋上。

金網越しに見える街並みが、オレンジ色に燃えている。

俺はふらりと扉を開けた。

ここなら静かに考え事ができる。

(……先客か)

金網のそばに、誰か立っていた。

黒髪の一本結び。

背筋が伸びた、見覚えのある後ろ姿。

「白河さん?」

俺が呼ぶと、彼女は肩をびくりと揺らした。

ゆっくりと振り返る。

夕日を背にした澪の表情は、影になってよく見えない。

「……崎山さん」

彼女は驚いたように目を見開いた。

この屋上は、生徒会室よりもずっと空気が冷たい。

「こんなところでどうしたんですか」

「少し、風にあたりたくて」

澪は言葉を濁した。

いつもなら完璧な笑顔で繕うはずの場所が、今はどこか不安定だ。

「何かあったのか」

「……いいえ。ただ、少し考えごとを」

澪は再び視線を街の方へ戻した。

その横顔が、どこか切なげに見える。

(考えごとってなんだ)

この世界の男子への憧れ。

白河家としての重圧。

彼女が抱えているものは、俺には想像もつかないほど重い。

「なら、邪魔しました」

俺が背を向けようとした時だった。

「待ってください」

澪の声が、風に混じった。

強い力で、俺の袖を掴んでいる。

「今日の作業ですが……」

彼女は書類を抱えたまま、俯いた。

ペンを握る指に、白い力が入っている。

「ミスがありましたか?」

「いえ、そうではなく」

澪の手元が、小さく震えている。

(なんだ?)

「その、先日のことです」

「先日の?」

俺は小首を傾げた。

「私が、笑った、という件です」

(気にしてるな)

昨日の放課後、彼女は確かに笑った。

初めて見る、綺麗な笑顔だった。

「変でしたか?」

「いえ、綺麗でしたよ」

俺は思ったままを言った。

嘘をつく理由もない。

澪の体が、びくりと跳ねた。

夕日の色以上に、彼女の頬が赤く染まっていく。

「き、綺麗……っ」

(あ、また赤い)

彼女はガバッと顔を伏せた。

黒髪の一本結びが、風に乱れる。

(褒めたらダメだったか?)

この世界の男子の言葉は、女子にとって重い。

不用意な発言は、相手を過剰に刺激する。

「……崎山さんは、いつもそうです」

澪が髪の隙間から、蚊の鳴くような声で言った。

「どういう意味です?」

「私を、白河の人間として見ない」

(ただの同級生だしな)

「普通の、一人の人間として、接してくださる」

(それが普通だろ)

俺にとっては、彼女も他の奴らと同じだ。

少し家柄が良くて、真面目すぎるだけの女子高生。

澪が深く、息を吸い込んだ。

顔を上げる。

覚悟を決めたような、強い目だった。

「だから、私は」

「はい」

「……友達に、なってもいいですか」

風の音が、急に止まったような気がした。

金網越しに、街の明かりが灯り始める。

(今、なんて言った)

聞き間違いかと思った。

この世界の女性が、男子にそんなことを言うはずがない。

「友達、ですか」

俺は念のために確認した。

「……おかしいですか」

澪の声が、さらに小さくなる。

彼女の肩が、微かにすぼまった。

「おかしくないです」

俺は即答した。

(全然おかしくない)

前世では、ごく普通のやり取りだ。

そこに特別な手続きなんて必要ない。

「なりましょう」

俺は言った。

澪がやっと顔を上げた。

黒い瞳が、大きく見開かれている。

耳まで真っ赤だ。

「よろしくお願いします」

澪が深く、頭を下げた。

いつもより、ずっと長い一礼だった。

「よろしくお願いします」

俺も頭を下げた。

(なんか敬語で友達になったな)

でも、悪くなかった。

彼女の必死な様子が、少しだけ伝わってきたからだ。


「ふう……」

澪が屋上の柵に手をつき、大きく息を吐いた。

(お疲れだな)

「大丈夫ですか」

「命が、すり減りました」

澪が胸のあたりを押さえた。

(大袈裟だな)

友達の申請をしただけだ。

まるで、大手術でも終えたような顔をしている。

「友達になるだけで?」

俺は苦笑した。

「白河の人間にとって、個人的な関係を結ぶことは、それだけの意味を持ちます」

澪が真剣な目で俺を見た。

「国家の管理外で、特定の男子と繋がる。これは、一歩間違えれば、不祥事です」

(そうなのか)

(知らなかったぞ)

この世界の男子は国家の財産だ。

勝手に仲良くなるのも、色々と面倒なルールがあるらしい。

「じゃあ、やめますか?」

俺は一応、聞いてみた。

「いいえ! やめません」

澪が激しく首を振った。

(強いな)

「契約は成立しました。覆せません」

(契約じゃないんだが)

彼女の真面目すぎる性格が、ここでも出ている。

「……怒ってます?」

澪が不安そうに、俺の顔を覗き込んできた。

上目遣いだ。

「怒っていません。ただ、その……」

俺は言葉を探した。

「初めての、ことなので」

澪が視線を逸らす。

(初めてか)

(友達がいなかったのか)

完璧であることを求められたお嬢様。

彼女を「白河の顔」としてしか見ない世界。

(可哀想に)

「じゃあ、俺が最初の友達ですね」

俺は言った。

「はい。そうです」

澪の口元が、小さく緩んだ。

夕日に照らされて、昨日の笑顔よりもずっと柔らかい。

(また笑った)

(いいな、これ)

俺は少し、嬉しくなった。

目の前の少女が笑った。

それだけで、十分だ。

「あの、ゆうさん」

澪が俺を呼んだ。

今度は、躊躇いがなかった。

「はい」

「友達、ですから」

彼女は自分に言い聞かせるように、言葉を区切った。

「ええ」

「その……呼び方ですが」

澪が上目遣いで、俺を見る。

「ゆうさん、で、よろしいでしょうか」

「いいですよ。俺も、澪って呼んだ方がいいですか?」

俺が聞くと、澪は顔を真っ赤にした。

両手で顔を覆ってしまう。

「っ……! い、いきなりは、その、心の準備が」

(ダメなのか)

(名前で呼ぶの、そんなに重いのか)

「じゃあ、白河さんで」

俺は提案を引き下げた。

「はい。徐々に、でお願いします」

澪が指の隙間から、こちらを見た。

(徐々にってなんだ)

まあ、彼女のペースに合わせればいい。

「じゃあ、降りますか。白河さん」

俺は屋上の扉を開けた。

「はい。ゆうさん」

澪も立ち上がった。

夕闇の中、その足取りは軽い。


校舎の階段を下りる。

すれ違う生徒たちが、俺たちを見て凍りついた。

(めちゃくちゃ見られてるな)

だが、澪は凛とした態度を崩さない。

どこか誇らしげにさえ見える。

「ゆうさん」

澪が小さな声で耳打ちしてきた。

「なんですか」

「私たちは、友達ですから」

(分かったから)

「気にする必要はありません」

(俺は気にしてないが、周りが気にしてるぞ)

校門を出ると、黒い高級車が停まっていた。

「では、ここで」

澪が足を止めた。

「じゃあな」

俺は手を挙げた。

「はい。また明日、ゆうさん」

澪が車に乗り込む。

窓が開いて、彼女が小さく手を振った。

(手を振るんだ)

車が静かに走り去っていく。

(普通にしてただけなんだが)

俺は駅に向かって歩き出した。

ただ、目の前の女の子と、普通に話しただけだ。

それが、彼女にとっては世界をひっくり返すような大事件だったらしい。

(また明日か)

電車に乗り込み、俺は目を閉じた。

耳の奥に、彼女の小さな笑い声が残っている気がした。


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