旅人と妖精④ 買わない理由
次の日の夜。
村の通りには、昼間よりも灯りが多かった。
軒先に寄りかかる妖精たち。
笑い声。
甘い香水の匂い。
立ち止まった瞬間、声がかかる。
「お兄さん、どう? 安くしとくよ」
振り向く。
細い腕。軽い笑顔。
まるで、果物でも売るみたいな調子。
喉がひりつく。
「……いくらだ?」
自分でも、なぜ聞いたのか分からない。
妖精は首を傾げる。
「五千円でいいよ」
あっさりと言う。
安すぎる。
思わず、目を逸らす。
昨日、酒場で「高かった」と笑っていた声が蘇る。
高いのか。
安いのか。
どっちが本当だ。
視線を流す。
立ち並ぶ妖精たち。
値札はない。
だが、値段はある。
その中に、昨日の少年がいた。
昼と同じ顔。
夜と同じ顔。
「どう?」
誰彼かまわず声をかけている。
男が立ち止まる。
腕に触れる。
少年は笑う。
作り慣れた、軽い声。
手当たり次第。
選んでいるようで、選んでいない。
視線が、一瞬だけ旅人をかすめる。
何も変わらない顔。
次の男へ向き直る。
「安くしとくよ」
同じ言葉。
同じ声。
胸の奥がざわつく。
五千円。
あの二階も、同じ値段だったのか。
それとも。
関係ない。
そう思うのに、足が動かない。
夜風が冷たい。
笑い声が、やけに近い。
「……いくらだ?」
声をかけようとした瞬間、
横から腕が伸びた。
「こいつ、俺のな」
少年はすぐ笑う。
「はーい」
腕を絡める。
数歩進んでから、ほんの少しだけ振り返る。
視線が合う。
すぐに前を向く。
ざわ、と胸の奥が揺れる。
喉が渇く。
呼吸が浅い。
拳を握っていることに、今さら気づく。
少年は昨日と同じ酒場の扉を押す。
迷いはない。
旅人も、少し遅れて中に入る。
少年は客の隣に腰を下ろす。
笑う。
酒を注ぐ。
指先が触れる。
男が笑う。
しばらくして、
男が立ち上がる。
少年の腰に手を回す。
二階へ向かう背中。
今なら、声をかけられる。
喉が動く。
音にならない。
足が、一歩だけ前に出る。
止まる。
誰だ、俺は。
関係ない。
グラスを掴む。
中身を一気に流し込む。
喉が焼ける。
もう一杯。
二階の床が軋む。
笑い声。
視線を上げない。
値段はわからない。
それでも。
こんなふうにざわつくくらいなら、
買えばよかった。
――買って、どうする。
違う。
俺は、そんなことはしない。
するはずがない。
グラスを置く。
立ち上がる。
二階の軋む音を、聞かなかったふりをして、
扉を押す。
夜風が冷たい。
買うことなんてない。
そう言い聞かせるように、歩き出す。
振り返らない。
振り返らないと、決めた。
――迷っているのは、まだ俺だ。




