星がはじまり
◇ ◆ ◇
ふっ、と。まぶたの裏を灼くほどの光量が突としてやんだ。
肌を撫でた風の感触に、ティシェはおそるおそるまぶたを持ち上げた。
「…………ここ、は」
呆然とした呟きを、夜の森のさざめきが迎える。
「移動、した……?」
外に届けると、かの竜が言っていた言葉を思い出す。
これがもしや、そのことだろうか。
が、腕の中で小さく呻く声がして、はっと視線を落とす。
苦しげに歪められていたトールの顔が、今は穏やかなものになっていた。
抱えていたトールの頭を、そっと自身の膝上に下ろす。
指の腹で彼の頬を撫でると、くすぐったそうに彼が身をよじった。
そして、薄らとまぶたが持ち上がり、鳶色の瞳が覗く。しばし彷徨ったのち、ティシェを捉えてゆっくりと瞬いた。
「てぃ、しぇ……?」
「……ああ、私だ。調子はどうだ?」
「なんか、だるいけど、楽には、なったかな」
薄く笑ったトールが、ティシェの向こう側――夜空へ視線を向ける。
「ここって、もしかして、外……?」
「私も状況が掴めていないんだが……星願の竜は、外に届けると言っていた」
ティシェも顔を上げ、辺りへ視線を向ける。
夜風に揺れる葉擦れの音に、虫の子守唄。ぼんやり夜空を見上げれば、瞬く星と遠くで梟の声が聴こえた。
吹き抜ける夜風がティシェの白銀の髪を静かに揺らす。
ぼんやりしていると、視界の端で灯がちらついた。
ティシェは蒼の瞳をはっと見開き、弾かれたように振り返る。振り返った先でグローシャの姿を認め、ほっと安堵に緩く息を吐き出した。
グローシャはピルルゥと一つ鳴き、大丈夫だよと伝えるように体内の灯を明滅させる。
すると、今度は目の前に別の顔が現れた。天色の瞳が何か言いたげにティシェの顔を凝視する。
ぎょっとして軽く仰け反るも、膝上からの「アーリィ」との呼び声に、彼女はすぐに顔を下げた。
トールの頬に額を擦り付け、フルルゥと鳴くその声は、文句とも、安堵ともとれる響きを持っている気がした。
くすぐったそうにトールは小さく声をもらす。
「心配させたね」
その一言に、アーリィは全くだと言わんばかりに、彼の額を軽く小突いて顔を離した。
そしてティシェを見やると、こちらは優しく額を小突いてから、そそと離れていく。
彼女の行動の意図が掴めなくて蒼の瞳を瞬かせていると、下からくすりとやわらかな笑い声がした。
「アーリィなりのお礼だと思うよ」
「そう、なのか」
「うん、そうだよ。それから、僕からもお礼を言わせて。ありがとう、それと迷惑かけてごめんね」
微苦笑したトールは身体を起こそうとしたが、それをティシェがやんわりと押し留める。
「もうしばらく休んでおけ」
「でも……」
「迷惑ではないし、そもそもがこんな事態を招いたのは私だ。私の方こそすまなかった」
互いが互いに顔を見やっていると、やがて折れたトールが息を吐くようにやわく笑った。
「じゃあ、お言葉に甘えようかな」
実際にまだ身体の怠さは抜けきれていないし、頭もなんだか重い状態ではあるのだ。
それに、彼女の膝に頭を乗せている現状に安心を感じている自分もいて、それをもう少しだけ味わっていたい気もする。
そんなちょっとした下心に、トールは内心で苦笑した。
と、そんな時だった。
トールの視界に星が映る。夜空には幾つも星が瞬いているのに、何が目立ったのか。目を引いたのか。
それはすぐにわかった。
「あ」
トールが声をもらせば、それを拾ったティシェが不思議そうに首を傾げる。
どうした、と問いながら、ティシェはトールが自分を見ていないことに気付き、その視線をたどるように夜空を仰いだ。そして、小さく目を見張る。
夜空に一本線があった。夜空に瞬くどの星々よりも明るい一つの星が、尾を引いて流れていく。
「あれは、流れ星か」
だが、どこかぞわりと胸をざわつかせる。
その感覚から一つの疑惑を抱いた。
「なあ、トール」
流れ星を見上げながら、ティシェが声をもらす。
「星願の竜が言っていた。問いたいことがあるならば、星を追え、と」
「……あの流れ星がそうなんじゃないかって?」
「私はそんな感じがするんだが、トールはどうだ?」
ティシェがトールを見下ろすと、トールもまたティシェを見上げた。
「……僕も、そんな感じがする。それにほら、見て」
トールに促され、竜達の方を見る。
グローシャは体内の灯を激しく明滅させ、アーリィは流れ星を睨み上げたまま、グルルと唸り声上げていた。
あの落ち着きのない様子は、星願の竜に対して見せていた反応と同じもの。
流れ星がかの竜だというのが、ティシェの中で疑惑から確信に変わる。
そして、それを決定付けるように、近くの気配もざわついた。
何事かとティシェが視線を落とせば、星明かりに落とされる影の中、紅の双眸がどこか居心地が悪そうに眇められていた。
「どうした、カロン」
「……ぞわぞわ、する」
ふるりと影の中で身体を震わせ、カロンは不機嫌そうにぐると小さく唸る。
「落ち着け」
ティシェは影に手を伸ばした。
すると、それを予感していたのか、影が竜の質感を持って盛り上がる。
頭だけ顕現させたカロンに小さく苦笑しつつ、ティシェはなだめるようにゆっくりと撫でた。カロンが気持ちよさそうに瞳を閉じる。
その様子を見やりながらしばらく、ティシェは意を決したように静かに口を開いた。
「私は、星を追いたい」
「それは僕のため?」
「いや、私のためだ」
真意を探るように、トールの鳶色の瞳が見上げてくる。
カロンを撫でる手を止めると、その瞳を真っ直ぐに受けとめ、ティシェはさらに言い添えた。
「私のけじめのためだ」
言い切れば、鳶色の瞳がやわらかく笑った。
「そっか。なら、僕も僕のけじめのために、一緒に行ってもいい?」
「いい、のか……?」
「言いかけたままだったけどさ、僕もティシェのこと大事にしたいから」
くしゃと笑う彼に、ティシェは自然と頬に熱が灯るのを自覚する。
なんとなく彼を見たくはなくて、そっと視線を逸らせば、トールが苦笑した気配が耳をふるわせた。そこにはらんだ嬉しげな気配がまた、ティシェに灯った熱の温度を上げる。
このまま膝から頭を落としてやろうかと、一瞬乱暴な考えがよぎったが、体調の悪いトールを慮って思いとどまった。
と、トールが身じろいだ。まさか考えが読まれたかとティシェがトールを見やると、彼は竜達の方を見ていた。
「みんな寝ちゃってるね」
「さすがに疲れたんだろうな」
ティシェもトールの視線を追って竜達を見やる。
グローシャもアーリィも、いつの間にか身を丸めて眠っていた。
面白いなと思ったのは、彼女達はお互いに絶妙に離れたところで眠っているところか。思わず小さく笑う。
カロンはどうだろうと思い、視線を落とす。もうそこに彼の姿はなかったが、影に触れてみれば竜の鱗に触れた。浅いところで眠っているのだろう。
夜の森に風が吹き抜け、さわあと穏やかに枝葉が揺れる。
その風を頬に受け、気持ちよさに目を細めた時だった。
ずいっ、と。突として視界に浅緑色が現れた。
驚きで蒼の瞳をぱちくりと瞬かせていると、浅緑色のそれが、ピィ、と声を上げる。
ラッフィルだった。ラッフィルがトールの手の平に乗って持ち上げられている。
「……ラッフィル、おねがい」
困惑を滲ませていると、膝上から聞こえた声。
その瞬、ラッフィルを持ち上げていた手が落ち、ラッフィルは慌ててティシェの肩に飛び移った。
「トール、どうしたっ!」
ティシェの声とラッフィルの鳴き声が重なる。
「ごめん、ちょっとつかれたかも」
トールが力なく笑う。ティシェがその頬に触れると、熱かった。
「……熱が上がってる」
触れたティシェの手が気持ちよかったのか、トールは心地よさげに目を細めると、そのまますぅと目を閉じ、気付けば寝息が聞こえ始めた。でも、その寝息はどこか苦しげだ。
「ラッフィル、グローシャとアーリィを起こしてくれ」
肩をちらりと見やると、ラッフィルはピィと一つ鳴いて竜達のもとへ飛んでいく。
ティシェは影を軽く叩いた。ややし、影がぐっと盛り上がってカロンが顔を出す。
どこか眠たげな紅の瞳が不思議そうにティシェを見上げ、それからトールを見やると、すぐに眠気を吹き飛ばしてくれたらしい。
「トールを運ぶ」
ティシェの一言でカロンが影から完全に顕現すると、ちょうどラッフィルが、目を覚ましたグローシャとアーリィを引き連れて戻って来るところだった。
そんなにわかに騒がしくなった彼女らの頭上では、夜空に尾を引く星が余韻を残しながら流れていく――。
これは、定めた旅の終着点にて願い星と相対した一行のひとこま。そして、星を追う旅のはじまり――旅の一頁である。




