大事にさせて
きょとり、と。トールは鳶色の瞳を瞬かせた。
「えっと、そのティシェの言う『もと』っていうのは、僕が生まれ育った『あっち』ってこと?」
ティシェは口を強く引き結んだのち、じわりと緩めて頷く。
トールはぱちくりと幾度か瞳を瞬かせ、のろのろとティシェを見やってから、確かめるように言葉をもらす。
「帰れる、の……?」
ぎゅっ、と。ティシェは己の手を握り込む。
「……連れてこられたんだ。その逆も可能だと、私は考えている」
「……そっか」
そしてまた、そっかぁ、と噛み締めるように呟く彼の顔は、優しくて、あたたかで、それでいて、懐かしみに少しだけの愛しさをはらませていた。
まるで誰かを思い浮かべているように。
誰かはわからなくとも、どんな人なのかは解った気がして、ティシェの心を酷くざわつかせる。
そしてトールは、ティシェをしっかりと見た。鳶色の瞳に捉えられ、ティシェの鼓動は大きく跳ねた。
トールが口を開く。
「なら、僕の答えは『帰りたい』かな」
さらりと答えを口にした。
あまりに軽く返された答えに、ティシェは蒼の瞳を大きく見開いてしまう。
彼には逡巡も惑いの色もなかった。
諦めにも似た色を蒼の瞳に滲ませ、ティシェは一度俯く。そして、瞳に覚悟を宿してトールを見る。
砂を食んだようにざらつく舌で言葉を紡いだ。
「――ならば私は、生涯を通じて星願の竜を探そう」
「待って。なんでそんな壮大な話になるの」
表情は動かないまでも、トールの眉が少しだけ動く。
「なにか早とちりか勘違いしてる気がするんだけど」
「いや、これは私のけじめの話だ。問題ない」
ティシェも常に乏しい表情下できっぱりと言った。
「トールは帰りたいんだろう? ならば、私はこちらへ連れてこられてしまった要因をつくった者として、帰す術をみつける責任がある」
瞬間、鳶色の瞳に怒の色が爆ぜる。
「責任って、あのね――」
それをティシェが待ったをかけて遮る。
「わかっている。そこに感じた痛みはトールのものだということ、それはもうわかっているんだ。だが、つくってしまった要因に対するこの痛みは私のものだ」
しんっ、と静寂の音が響き、そこに反響する川の音が絡む。
ピィ。声が一つし、羽ばたきの音と共に、もふっとしたものが、ぽふっとトールの頭に着した。
彼の髪に身を沈めたラッフィルが、気が立っているトールを鎮めるようにまた一つ、ピィ、と声を発する。
トールが口を強く引き結びつつも、努めて呼吸を深く繰り返す。
「……ごめん。感情まかせになった」
ばつの悪そうに告げる彼に、ティシェは首を横に振った。
「それは気にしていない。だが、私は間違ったことを言っているだろうか」
「ううん。間違ってない、間違ってないよ。僕が納得できてないってだけ」
トールは足下に視線を落とし、水面に踊る揺らぐ灯りを見つめる。
「ティシェの痛みと言われちゃえば、僕が踏み込めるところじゃないっていうのはわかった。けど、これだけは言わせて」
ぐっと顔を上げ、真っ直ぐティシェを見やった。
「僕の言う『帰りたい』は、もとの場所に戻りたいとかって意味じゃなくて、里帰りしたい、みたいな意味だから」
「は……?」
吐息のように声をもらすティシェに、トールは「そこは早とちりしないでね」と憤りをはらませた真剣さで返す。
「だ、だが、トールには家族や友人もいたんだろう? 大切に想う相手が――」
「いるよ。いるから一度帰って、僕はこっちで元気にしてるよって伝えたいなって思ったんだ。きっと心配させてる。あっちじゃ、僕は突然失踪の行方知れずになってるだろうし」
苦く笑って、肩をすくめた。
そんなトールへ、ティシェはわからないと首を振る。
「それじゃまるで、こっちに居たいと言っているように聞こえるが」
「そう言ってるつもりだけど?」
トールは乾いた声で続ける。
「だって、こっちに連れてこられたことで、あっちで持ってたいろんなものがリセットされて、文字通りにゼロからの始まりだったんだよ? それを数年かけて、今はなんとか身を立てられるようになったけど、それをまたリセットして、一から?」
そこで言葉を切り、にこりと彼は笑った。
向けられた笑顔に、ティシェは怯んでしまった。
「そんなのは嫌だよ。せっかく頑張ってきたのにさ」
肩をすくめてさらりと答えると、ふいと鳶色の瞳が逸らされる。その瞳が、翳りで小さく揺れたのをティシェは見逃さなかった。
なんだかわかってきたように思う。
彼がにこりと笑うのは、線引の意味合いもありながら、その一方で隠したいからだ。
本心をさらすのは、時に弱みへと繋がってしまうから。
でも、虚勢などはらないで欲しいと思うのは、ティシェのわがままだろうか。
今の言葉も嘘ではないと思う。けれども、その裏に隠された本心を見たいと思ってしまうのは、たぶんきっと、ティシェのわがままだ。
「前も言ったが、見栄も虚勢も、今は張る必要などないだろう」
トールの方へと手を伸ばす。彼の頭に留まっていたラッフィルが離れる。
少しだけ背伸びをして彼の頭の後ろへ手を回すと、自分の肩に乗せるようにして引き寄せて抱えた。
「私に見せてくれ」
「何を」
くぐもった声に、そっとささやき返す。
「トールの気持ち」
トールが息を詰めたのを感じながら、ティシェは言葉を続けた。
「私の前では隠さないでくれ。一緒に抱えたいんだ」
「……それは、要因をつくってしまったことへの罪悪感から?」
彼の揶揄するような声に、今度はティシェが声をつまらせる。
けれども、これははっきりと告げたかった。
「……それも確かに否定はできない。だが、こうも言った。私はトールの隣に居られる理由が欲しいと。私はトールが大切で、大事にしたいんだ。だから――」
そこで、そっと言葉を区切る。少しばかり気持ちを転がしてから、緊張はらむ声で大切に再び告げる。
「だから、大事にさせてくれないか……?」
「……なにそれ、どきつくんだけど」
ティシェのすぐ耳横で小さく落とされた言葉。
それは幾度と聞いた、彼の常套句のような台詞。
けれども、そこに灯る熱はたぶん、ティシェが胸に抱く熱と同じ温度な気がした。
こつん、と。トールの頭が乗る肩に重さがかかった。
受け止めた弾みで、浮かせていた踵を地に付いた。
「……もう、ゼロからやり直す気力がないんだ」
その声は、ささやき声にも似た、弱った響きを持ったものだった。
「あっちに戻るってことは、完全なゼロではないかもだけど……それでも、就職するために家を出たんだよ。部活で手一杯でバイトなんてしてこなかったから、あっちの社会経験もないし、飛び抜けたスキルもない。なのに、こっちで築いてきたものを捨てて、またそこからやり直せってさぁ……転職するのとはレベルが違う話じゃぁーん……」
トールの言っていることは半分もわからなかったが、それでも、その本質は受け留められた――ような気がする。
少しだけ自信がなかったが、ティシェは抱える彼の頭を撫でてみた。これが大事にするということだろうか。
やわい彼の髪を撫でながら、ティシェはくすと小さく笑う。腕の中で頭が身じろいだ。
「……なんで笑った?」
ちょっといじけた鳶色の瞳が、横目でティシェを見やる。
「いや、私も案外自信がないんだなと。……私は今、お前を大事にできているか?」
「……っ、僕がどきついてるから、できてるんじゃないの」
「……なんだ。トールがどきついている時、私はお前を大事にできていたのか?」
驚きを含ませてトールを見やれば、瞬時に頬を熟れさせた。
その反応に、なんだ、どうした、と瞳を瞬かせていると、彼は徐ろに頭を起こした。
少しだけ目線の高いトールがティシェを見下ろす。
「そうだよ。してくれてたよ」
鳶色の瞳の奥に、ちりりと熱が垣間見えた。
その熱が伝熱してしまったように、ティシェの頬に熱をほんのりと灯させる。
「そうか。できていたのか」
これ以上は焦げてしまいそうで、ティシェはふいっと目をそらしてしまった。
だが、トールは構わずに言葉を続ける。
「ねぇ、ティシェ。僕にも君をだい――」
その、刹那だった。
ティシェとトールの間を、きらめきが過ぎ去った。
星のきらめきにも似た、強烈で鮮やかな、あの――。




