少女はいつかの夢をみる
ああ、これは夢だな、と。あの頃の記憶だ、と。
ゆらゆらと揺蕩うような浅い眠りの中で、ティシェはそう思った。
◇ ◆ ◇
それはティシェが旅を始める少し前のことだった。
その日のティシェは、育ての親――養父に、話があると村外れまで連れ出されていた。
養父と共に、村の裏手にある斜面に埋め込まれて造られた丸太階段を上がり、丘へ出る。
その丘からは村が一望でき、見晴台のような丘になっている。
吹き抜ける風が、村を見下ろす二人の髪を揺らしていく。
高所に吹き付ける風は思ったよりも強く、ティシェは反射的に顔を背け、目を瞑って風をやり過ごした。
その際、風に揺れる黒の髪が視界の端にちらりと入った。
村でも少ないの髪の色。それでも、村には昔から在った色だから、村の中では目立つということもない。
目立つのならば、村の外から来たティシェの色の方が余程目立つだろう。
里の外へ出た者も居るのだから、どこかで同じ髪色の者もいるだろうが、少なくともこの辺りに暮らす者で、白銀の髪色の者はもうティシェ以外にはいない。
一瞬だけそっと視線を伏せるも、「お前は」との養父の声にまた視線を持ち上げた。
「――灯竜灯の土台を造ったのが、オレのじいさんだってことは知ってるか?」
養父は村を見下ろしたままで、前置きも何もない中での唐突に振られた話。
訝しみつつも、ティシェは数度蒼の瞳を瞬かせて「ああ」と一つ頷いた。
「だよな。ここらじゃ知れた話だ」
養父が腕を組んで深く頷く。
「何を急に」
「じゃあ、そのじいさんが界渡りしたっていうのは?」
今度はティシェの目を見て問う養父に、彼女は小さく眉を寄せる。
「そもそも、界渡りとはなんだ」
「なぁに、簡単なことだ。お伽噺で時を渡る話があるだろ。あれを時渡りと言うなれば、世界を渡ることを界渡りと言っても、不思議なことじゃない」
何かとんでもないことを聞かされた気がする。
さも、よくあることのように言い放った養父だが、それはよくあることでもなく、それこそお伽噺だろうと思われる内容だ。
だが、ティシェは既に出会ってしまっている。お伽噺だと謂われている存在に。
その刹那、頭上で風が唸った。後方から何かが飛び去ったようで、ティシェは養父と揃って空を見上げる。
三頭の金の竜――灯竜が空高く舞い上がっていく。
里の竜だった二頭と、もう一頭はグローシャだ。
灯りの里で里人と共に暮らしていた灯竜は、何頭かが無事で、その内の数頭はこの村に居付いた。
小さくなっていく竜達を眺めながら、養父が口を開く。
「オレのじいさんはな、当時の村長の願いに応えたかの竜に、別の世界から喚ばれたんだ。我々にはない発想と知識を、という願いによって」
ティシェが養父を見やる。
「別の世界……?」
さわぁと、斜面を覆う草花が風に揺れる。爽やかなその自然の音が、今は場違いに聴こえた。
「ここではないところ、ってことらしい。オレも行ったことはないし、詳しくは知らん。だが、じいさん――祖父が時折語った話は、オレではあり得ないと思える発想と、本でも読んだことのない知識で溢れていたのは確かだ」
「その、あり得ない発想というのは、例えば」
「その一つが灯竜灯の土台になった。オレらでは、そもそもが恐れ多いと思い付かん考えでな」
肩をすくめ、養父がティシェの目を真っ直ぐ見やる。
「だってお前、灯竜灯を造りたいと思ってたとしても、灯竜の腹を裂いて、その体内の構造を知ろうとは思わんだろう。少なくともオレは思わん」
さしものティシェも、養父の言葉にぞっとして蒼の瞳を見開いた。
「……それは、末恐ろしい発想だと思う。確かに今在る灯竜灯は便利で、私も使ってしまっているが」
竜は自然をまとうもの。まさに自然そのものだ。
人の手の範囲内で試行錯誤し、物事を成すのはいいと思う。だが、それを竜に手をかけてまで成そうなどとは――。
嫌悪の色を蒼の瞳に滲ませたティシェを見た養父は、一つ息を吐き出し、「先に行っておくべきだった」と口を開いた。
「オレのじいさんだからな、勘違いはして欲しくないってこで補足する。件の腹を裂いた竜というのは、老いた灯竜に『死後、その躯が骸となる前に腹を裂いてもいいか』と問い、頷いてくれた竜の腹を裂いている」
「それは……すまなかった」
気まずさから瞳を俯かせかけるも、だが、との呟きに引き止められる。
「その発想さと知識を、当時の村長は願ったんだ。かの竜――星願の竜に」
養父は一度静かに瞑目し、まぶたを持ち上げて空を仰いだ。
先程の空へと舞い上がった三頭の竜が、仲よさげに円を描いて旋回している。
ティシェも空を仰ぐと、その視線に気付いたのか、一頭が降下してきた。
二人の上に影が落ち、竜が近づくにつれて、被膜の羽ばたきによる風が強まっていく。
そして、どすん、と重い音を響かせてティシェの隣に降りた竜は、挨拶代わりに養父に鼻先を押し付けた。
「よしよし。グローシャ、こいつを頼むな」
グローシャの首筋を撫でて応える養父に、彼女はまかせろと言わんばかりに、鼻息荒くピルゥッと一つ鳴いた。
それについては納得し難いティシェは、いつもの乏しい表情下に少しの渋面を滲ませる。
「私がグローシャを頼まれたんだが」
この村に居付いた灯竜は少ない。
竜に選ばれたからとはいえ、その内の一頭を連れて行くのだから、損なうことはないようにと村長に言い聞かされている。
少しだけ感ずる『価値』を匂わせるような物言いは好きになれないが、言いたいことはわかる。
村にとっては財源に繋がる灯竜が減るのだから、それ以上の損をするわけにはいかないのだ。
「だが、グローシャはお前を選んだ。なれば、グローシャにお前をまかすのが筋だ」
さらに渋面を少しだけ濃くするティシェに、養父そこで顔に感情を滲ませた。
苦笑をしつつ、ティシェの頭に手を置く。
「お前まだ、雨とかいろいろ不安定なとこがある。だから、小さな頃から一緒のグローシャに頼むんだ。オレも安心できる」
養父の最後の言葉に、思わずティシェの顔から力が抜けて表情が緩んだ。
意外な言葉を聞いたとばかりなその顔に、養父もなんだその顔はとばかりに彼女を見やる。
「オレも心配くらいするさ。グローシャと共に在るのがお前の安心に繋がるなら、遠慮なく連れて行け。今や灯りの村などと呼ばれてるが、何も灯竜はこの村の竜ってわけじゃない。ただ単に、彼らがここいらの居心地を気に入っただけの話だ。そもそもグローシャは――」
「……私の父が、乗り手だった」
「そうだ。だから、この手の話は嫌いだが、竜の所有の話になれば、それはお前――ティシェにある」
遠慮する必要は始めからないさ、と。
養父はティシェの頭に乗せたままだった手を、これまた遠慮なく撫でくり回した。
一頻り撫でくり回して気の済んだ養父が手を下ろすと、
少しばかり、くっ、と眉根を寄せたティシェは、ボサついた髪を手ぐしで直し始める。
見かねたグローシャも横から首を伸ばし、器用に口先でそれを手伝い始める。
養父はその様を眺めながら、まるで姉と妹のようにも見えるなと表情を緩めた。だが、すぐにその表情を引き締める。
「――お前らへ最後に伝えとく」
無視できぬ真剣な色を帯びた声に、ティシェは動き止めた。
グローシャも空気を読んで養父を見やる。
「ティシェが何を目的に星願の竜を求めるのかは知らんし、言えとも言わん。が、忘れるな。願いに応じて喚ばれたじいさんは、故郷を懐かしむ言動が多かった」
「……その方は、帰りたがっていた、ということか……?」
「さぁな、それは知らん。……訊いても、じいさんは最期まで答えてはくれんかった」
はあ、と。養父は諦めたような息を落とした。
「願いを叶えた――それだけ聞けば美談だが、その裏で起こった出来事がある。そのことは忘れるな」
刺さるのではないかと思える程の、養父の真剣な眼差し。
それは今でもよく覚えている――。




