紡ぎて、深めゆく
二人の側で翼をたたんで眠っていたラッフィルが顔を上げる。トールの頭に飛び乗ると、彼らの座る階段上をじぃーと見つめる。
時折首を傾げる様は、何かを気にしている素振りにも見えた。
「ラッフィル、どうしたんだ?」
ティシェの疑問にトールが応える。
「ラッフィルは鳥の中でも耳のいい種だから、僕達には聴こえない音を聴き取ったのかも」
おいで、と頭上へ手を持っていくと、ラッフィルがトールの手へと移った。
手を下ろし、手の平の中に収めたラッフィルを、トールは指先でくすぐるように撫でる。ピィィと小さく鳴くラッフィルは心地よさそうだ。
「音は気にしてるけど、警戒している様子はないし、ラッフィルの知ってる音なのかな」
トールがもう一度、階段上へ視線を投げる。
階段に落ちていた影。雲の流れで陽が隠されると、その色を濃くさせた。
音は聴こえない。だが、手の中のラッフィルは首を傾げる。
ピィ――ラッフィルが声を上げた。ぱたたと手の中から飛び立ち、影の一つに舞い降りる。影が波紋をつくるように揺れた。
トールのまとう気配に緊張がはらむ。姿の見えない、何かが在る。だが、その何かが何かわからない。
トールの緊張が警戒に変ずる――前に、彼の隣で息が落とされた。それは嘆息にも似ていて、突としたことに緊張が緩んだトールが振り向いた。
「……ティシェさん?」
「大丈夫だ、トール。驚かせてすまない」
そう言うと、ティシェは手を伸ばす。ラッフィルが舞い降りた影に指先で触れた。
その指先に触れた感触に、竜の質感を感じ取った。
「カロン、戻ってきていたのか」
「え、カロンだったの?」
トールもティシェの触れた影を凝視する。
ゆらりと蠢いたかと思えば、影はラッフィルを乗せたまま、ぐっと隆起して竜の質感を持つ。紅の双眸が瞬き、影から竜の上体が現れた。
「気がすんだのか?」
伸ばされたティシェの指先に鼻面を押し付け、カロンがふんふんと息をもらす。
「ひとっ飛び、してきた」
カロンの返答に、ティシェは「そうか」と蒼の瞳を和らげた。その隣では、トールが完全に身体から緊張を抜いていた。
ラッフィルがカロンから飛び立ち、トールの肩に留まる。
「ラッフィルは、カロンが姿を見せないから気になってたのかもしれないね」
「影竜は身を潜めるのが得意だからな。カロンがその気になれば、私でも気付けない」
ティシェの指先に鼻面を押し付けていたカロンの鼻息が荒くなる。ふんふんと荒いそれは、何かの匂いを嗅ぎ取っているみたいで――突然、紅の双眸がティシェを見上げた。
「おいしい、匂い。何か、食べた」
「ああ、さっき昼を馳走になったからな。その匂いだろう」
ティシェがあっさりと答えると、カロンはきろりと彼女を睨む。不満げに唸ると、影から這い出た。
上体どころか身体全てを顕現させ、ティシェに近寄ってふんふんと鼻を鳴らす。
カロンの鼻面がティシェの口元に迫る手前で、彼女は彼を手で制す。
「……執拗だぞ、カロン」
顔を仰け反らせて蒼の瞳を眇めれば、カロンは紅の瞳に不機嫌な色をはらませて細めた。
「肉、みたいな匂い、する」
「肉みたい? ……ああ、腸詰めのことか」
ティシェの言葉に、カロンの瞳孔がくわっと伸びた気がした。
「そーせーじ、何それ、おいしそうな響き」
カロンが身を乗り出して迫るため、ティシェは後ろへ倒れ込みそうになり、咄嗟に手を付いて身体を支える。
そんなカロンの身体を、彼の背後に回ったトールが抱えてティシェから離す。
「ストップ、カロン。わかった、追加で僕が買ってくるから」
「ほんとっ!」
紅の瞳をきらきらとさせ、カロンがトールを仰いだ。影に垂れていた尾が姿を現し、嬉しそうに揺らす。
トールが苦笑気味にティシェを見やった。
「珍しいね、竜が人の食べ物に興味を持つなんて」
自然素材を活かした料理ならばまだわかるが、腸詰めは明らかに人が手を加えた加工品だ。自然を好む竜は、加工品をあまり好まない。
「カロンは竜の中で育たなかった竜だからな」
ティシェの瞳に苦みの色が滲む。
トールは意味を掴みあぐねて首を傾げる――前に、その場で跳ねたカロンの頭で顎を殴打し、声にならない悲鳴を上げた。
「ト、トールっ!」
珍しくティシェが声を上げ、カロンを慌てて抑え込むように抱える。そして、顎を抑えて蹲ってしまったトールを見やる。
「大丈夫か、トール!」
「……だ、大丈夫、問題、ない。ただ、痛い、だけで……」
トールはのろのろと片腕を上げると、大丈夫だと伝えるために片手をひらひらとした。だが、その動きはぎこちない。
「本当にすまない、トール。カロン、お前は自分の硬さの自覚を持たなければだめだ」
ティシェに抱えられた腕の中で、カロンはしょんもりとしていた。先程まで揺れていた尾が垂れ下がる。
「いいな? お前は硬いんだ。当たれば相手に痛みを与える」
カロォォ――落ち込んだ声が、カロンからもれた。
しょげた紅の瞳が、そっとトールへ向けられる。
「……トール、ごめん、なさい」
「い、いいよ。もう、大丈夫。次からは気をつけようね」
顔を上げたトールは気丈に振る舞って見せるが、鳶色の瞳にはまだ涙が薄らと滲んでいた。
顎にはまだ痛みが残っているのだろうに、彼はよしっと勢いをつけて立ち上がる。
「腸詰めを買ってくるよ」
「あ、待て。それなら私が――」
買ってこよう、とティシェが腰を浮かせかけるも、トールがそれをやんわりと制す。
「今日は僕のおごり、でしょ?」
涙が未だ滲む瞳でトールは茶目っ気に笑った。
「……そう、だったな。では、次の時は私も、アーリィとラッフィルにおごろう」
決意を滲ませて頷くティシェに、トールは一瞬きょとりと瞳を瞬かせたのち、顔を綻ばせる。
「うん、その時はよろしく」
「ああ、まかせておけ」
やはり力強く頷き返すティシェに、トールは今度は、ははっ、と声を出して笑った。
不思議そうに首を傾げたティシェに、トールが「じゃあ、ちょっと買ってくるね」と背を向けた時だった。
「――ねぇ、あの人が抱えてるのって、もしかして竜じゃない?」
「え? でも、竜にしては小さくない?」
「あ、わかった! 自然竜じゃない? ほら、城下の方で、自然竜が飛んでたって騒ぎがさっきあったじゃん」
「あ、ホントだ。首に許可証のプレートさげてる……ってことは、自然竜!? 本物!?」
二人の耳に、通りを行き交う人々の話し声が届く。
いつの間にか人通りが多くなっていた。




