ずっと在ったもの
*
「こっちに連れてこられた直後の夢を、もう何度も見てるんだ」
トールは深く息を落とし、視線を落とす。
その声からは、どこか疲れが滲み出ているようにも感じ取れた。
「全然知らないところにいきなり放り込まれて、全然知らない街中を彷徨った。そんな時に手を差し伸べられたんだ。そんなの、誰だってすがりつくよね。僕もすっごく安心した」
トールの視線はティシェを見ずに落とされたままで。
ティシェも自然と、視線はトールを見ることなく落ちていく。
場違いに風はやわく吹き抜け、枝葉を擦り鳴らしては木漏れ日を揺らした。
彼は苦しげに呻くように、夢だというそれを吐き出す。
「その人達はさ、資金の工面とか、宿に部屋を取って寝食の場まで面倒をみてくれたんだ。だから、自然と思った。この人達を頼りにしていけば、何もわからないこの世界でも大丈夫って。なのに朝起きた時、その起きた部屋には何もなかった。人も物も何も。資金もなければ泊めてくれる宿もあるわけないし、半ば追い出されて、宛もないから彷徨って。明らかに訳アリってわかるやつを、助けようなんてするもの好きもいるわけないし、最終的に流れ着いたのは路地の片隅だった」
語り終えたトールは、疲れたようでふうと息を吐き出した。
それは以前に聞いた話よりも、さらに鮮明さを帯びたものだった。
ティシェはそっと言葉を紡ぐ。
「……それで、ヨウに拾われたんだったな」
「そ。前に言った、打ち捨てられた経緯がこれ」
言葉は少しだけ投げやりで、彼の視線はやはり落とされたままだ。
「あっちからこっちに連れてこられたことより、そのあとのことが堪えてるっぽいんだよね」
目を伏せて小さく笑うトールに、ティシェは思わず彼の手へ自分の手を伸ばす。
トールの手に触れれば、すがるように握られた。
空から注ぐ昼頃の陽射しは夏を喰んで少し暑いくらいなのに、彼の手はどこかひんやりと感じられた。
そのことが胸につきんと小さな痛みをもたらす。
「自分のことでいっぱいで、気付けなかった」
ティシェが小さく唸れば、トールはゆるゆると首を横に振る。
「僕が気付いてなかっただけ。もうひとりでも大丈夫なんだって思ってたのに、実は全然そんなことはなかったってだけの話だよ」
トールは深くうつむく。
握ったティシェの手と一緒に自分の手を額に当て、呻くようにささやいた。
「夢ってさ、夢と現の境がすごく曖昧になるじゃん。だから、起きた時に誰もいないと混乱するんだ」
「それは……私が居ると安心する、ということか……?」
「うん。それはもう、困るくらいにね」
顔を上げたトールは、ティシェを見てへなりと力なく笑う。
「――君がいないと、だめみたい」
真っ直ぐな言葉だった。
その言葉はティシェの奥にまで届いて、響いて、ティシェをぐらりとさせる。
思わず胸を抑えた。ここの奥が疼くようで、彼に対して何かをしてあげたい衝動に駆られる。
その衝動のままに、ティシェはトールの頭を引き寄せて、自身の肩にとんっと乗せた。先程彼がしてくれたみたいに。
ただ、互いの距離を埋めるため、少しだけティシェが身を乗り出すような形になったから、どこか不格好なそれになってしまったけれども。
それでも、先程トールがしてくれた時に感じた、安堵にも似た満たされるようなそれを、彼にも感じてもらえたらと思う。
「……どうだ?」
「どうだって……なにが」
問い返しながらも、彼は顔をうりうりとさせてティシェの肩に埋める。
うりうりと擦るようなその動きが、なんだか甘えてくれているみたいで嬉しく感じてしまう。
そんな気持ちを押し隠しながら、ティシェはトールの頭をゆっくりと撫でた。
「いや、少しでも返せているのかと思ってな」
「なにそれ」
彼がふふっと小さく笑った吐息がくすぐったい。
ティシェは陽を透かす枝葉を見上げる。
夏を喰んだ陽射しは熱いが、枝葉に透かれたそれは心地よい。
ほお、と息を吐けば、合わせたように風で枝葉が揺れた。隙間から落ちる陽射しがきらめく。
さわざわと森が鳴く中、ティシェの声がこぼれる。
「私達は家族になるんだもんな。手を伸ばせば届く距離にお互いがいる」
顔を埋めていたトールが顔を上げた。
すぐ目の前に彼の顔があり、鳶色の瞳が丸くなっている。
「……家族になりたい、じゃなかったっけ?」
「いや、私はお前と家族になる」
「いつ決定事項になったの」
「今決めた」
真剣な色を帯びた蒼の瞳がトールを見返し、鳶色の瞳は呆気にとられたように瞬いた。
「……ほんと、なにそれ」
そっか、と。
トールは噛みしめるみたいに声をもらし、またティシェの肩に頭を置いた。
「ならさ、撤回とか、なしだからね」
「そっちこそ、撤回するなら今だぞ」
ティシェもまたトールの頭をゆっくりと撫でながら、くすと小さく笑う。
「するもんか、そんなこと」
少しだけ拗ねた声音。
トールはティシェの肩に顔を埋めた。
◇ ◆ ◇
竜達と共に竜舎の方へと戻れば、その外戸口にボワとシロワの姿があった。
暇を持て余していたのか、地面に落ちている小枝を蹴っていたシロワが顔を上げる。
「やっと戻ってきましたね」
彼女の声に、外戸口に寄りかかっていたボワも身体を起こした。
「少し過ぎてしまったが昼にするか?」
一見すれば、待たせてしまったことで気を悪くさせてしまったか、と思ってしまうほどにボワの顔付きは厳しい。
「腹も空いていよう。もう並べてはある」
だが、それがティシェ達への気遣いゆえなのは、もう何も言われずともわかっている。
「すまないな。話が長くなってしまった」
「気にしないでいい。長くなったことで得られたものはあったのだろう? 先程よりも顔が明るい」
ボワの表情が少しだけやわらかくなり、ティシェを見てからトールを見やった。
「いいことだ」
うむ、と一つ頷くと、ボワは身を翻して竜舎の中へと入っていく。
入れ替わるようにして、シロワがティシェの顔を覗き込んだ。高い位置で結われた彼女の髪が揺れる。
「お、本当だ。お兄ちゃんの言う通りですね」
シロワの顔がやわらかく綻ぶ。
やわらかくなったその表情は、やはりどこかボワと似ていた。
「仲直り、うまくいったみたいですね」
「……べつに、喧嘩をしていたわけではないが」
「でも、ごめんねはできたんですよね」
にひっと、シロワは小さく歯を見せて笑った。
ティシェもつられるように、小さくふわりと笑う。
「そうだな、謝れた。それ以上に満たしてももらった」
「だから言い方……」
ティシェの横でトールが軽く肘で小突く。
が、小突かれたティシェは小さく首を傾げるだけであり、トールは軽く息を落とした。
シロワは、おや、と蜂蜜色の瞳を瞬かせ、トールをちろりと見やる。
「……なるほど」
一人納得されたトールは、なに、と怯むようにシロワを見返す。
「いえ、なにも」
シロワはによっと蜂蜜色の瞳を意味ありげに笑わせると、へぇ、ふーん、ほぉーん、と一人楽しげに頷きながら、くるりと余分に回りながら踵を返した。
「では、シロワさんはお先に戻ってますね。お兄ちゃんのお手伝いをしないと怒られちゃいますから」
結わえた髪を弾ませ、シロワも竜舎の中へと入っていく。
その背を見送ったティシェはトールを振り向く――と、ぱちくりと蒼の瞳を瞬かせた。
「なんだ、その顔は」
問われたトールは居心地が悪そうに目を逸らす。
「……いかにも見守ってました感があって、なんか恥ずかしいなあって顔」
そんな彼の頭に、のしりとアーリィが顎を乗せた。
重い、と呻きつつ、トールが手を伸ばしてアーリィの頬を撫でると、彼女は心地よさげに天色の瞳を細める。
やがて満足したらしいアーリィは、さっさとトールから離れ、さっさと竜舎の中へと入っていってしまった。
それに続くようにグローシャも竜舎の方へ向かうも、途中で足を止め、動く様子のない二人を振り返った。
ピルゥ。行くよぉと二人を呼ぶ。
ティシェはグローシャを振り返った。
「すぐ行く。先に行っていてくれ」
グローシャはふすっと軽く鼻を鳴らすと、踵を返して竜舎の方へと向かっていく。
「ほら、私達も行くぞ」
ティシェが手を差し伸べれば、トールはただ静かに、じっとその手を見つめる。
そしてふいに、彼のまとう空気が色を変えた気がした。
先程までの『なんだ、その顔は』の顔を引っ込め、やけに真面目な顔をして言葉をこぼした。
「……僕達って、何か変わった?」
トールが顔を上げ、鳶色の瞳が蒼の瞳をみつめる。
そこに言葉にはし難い、けれども確かに感ずる温度の変化を感じた。
だが、ティシェは小さく首を振る。
「いや、何も変わってない」
その顔は常と変わらぬ、表情に乏しいそれ。
それでも、彼女の蒼の瞳にはトールが映っている。
「透は私が大事にしたい人で、透も私を大事にしてくれるんだろ?」
「うん。それはそうだけど」
「なら、何も変わってない。これまでも、これからも」
途端、トールは小難しい顔になった。
ティシェが首を小さく傾げれば、やがて小さなため息を落とす。
「ティシェの中には、ずっと在った答えってことなんだね。まぁ、それは僕もなんだけど」
そして、苦笑にも似たそれでくしゃりと笑った。
「僕達も行こっか。お腹空いてるし」
彼女の手を取り、その手を引いて歩く。
ティシェは小さく眉を寄せながら、トールに引かれるままに足を動かす。
「何の話だ?」
「僕と君の話だよ。変わるとか変わらないとかじゃなくて、関係に名前が付くとかでもなくて、加わるだけなんだよね。きっと」
だから何も変わらない。変わることはない。
どこか機嫌の良さそうなトールを見上げ、ティシェは訝しげに首を傾げるのだった。




