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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case1:Belphegor ―
4/39

[ 第一章 遭遇] 3

「さぁ少年、何でも好きなもの頼んでいいからな」

「はぁ」

 ダンテが満面の笑みで差し出したメニューを受け取り、気のない返事をして少年は辺りを見回した。店内は天井付近にある大きめの窓からそそぐ外光と、昼間にもかかわらず点灯している室内灯で明るく、カウンター席や二人掛けテーブル、四人掛けテーブル、様々な席にはたくさんの人々が席につき、賑やかな話声で満ちている。

「何か珍しいものでもあったか?」

 その言葉に少年が慌てて視線を戻すと、ダンテは微笑ましげな視線で少年を見つめていた。少年は口を開いて閉じてを繰り返し、そのまま口を閉ざしてしまう。そんな様子を見守っていたダンテは、片方の眉を上げて口を開く。

「気になる事があるなら、何でも聞いていいんだぞ?」

 外見に似合わない優しげな声色の親切な言葉に、少年は詰まらせていた言葉をおずおずと紡ぎだす。

「角があったり、翼があったり、耳がとがっていたり、獣のしっぽがあったり……、この町では普通の事なのかなって、思って」

 段々と小さくなる声で言い終え顔を俯ける少年は、これから怒られる子供のように、背を丸めて小さくなる。

 しかし、ダンテがそれに対して口を開く前に、少年は小さな声で言葉を続ける。

「普通の事なんだって、マリリンさんや、ここまでくる道すがらすれ違った人たちの事を考えると。わかっているんですが。それなら、そんな基本的な事まで忘れちゃうなんて」

「おい」

 一度答えるタイミングを失って、少年の言葉を静かに聞いていたダンテだったが、小さくなっていく少年の肩を、向かい側の席から手を伸ばして軽くたたく。

「そんな思いつめるなって」

「で、でも……」

 思わず顔を上げた少年を、真剣な色を湛えた紫の瞳が見据えていた。言葉に詰まらせた少年が、眉を困らせて見返すと、真剣だった視線は和らいだ。

「俺が知ってる事なら、教えてやる。とりあえず疑問に思ったら、なんでもダンテお兄さんに聞くんだぞ」

 そう言って歯を見せて笑ったダンテの言葉に、少年は呆気にとられたように口を開ける。其れでもすぐに俯いてから、はにかんだ笑みをダンテに返した。

「じゃあ、一個聞いていいですか?」

「おう、なんだ?」

 少年の瞳にこれまでに無い光が宿ったのを見つけたダンテは、少し身を乗り出して聞く態勢をつくる。

「一番おいしいメニューはなんですか?」

 その言葉で、不意を突かれたとばかりに目を丸くしたダンテの様子を見た少年は、悪戯が成功したと声を上げて笑って見せた。その笑みは悪戯っぽく、少年らしい年相応の笑みだった。

「よーし、腹が破れるほど食わせてやるから、覚悟しとけよ」

 少年の笑みを見たダンテは一気に破顔して、店員を呼びとめたのだった。


 ◆


「さて少年よく食べたな」

「ご、ごちそうさまでした……」

 不敵に笑ったダンテの言葉通り、少年のお腹がはち切れそうなほどの料理が運び込まれ、少年が慌てる姿を笑ったダンテに、少年は文字通りお腹いっぱいにされてしまったのだった。苦しさを感じるほどの満腹感だったが、少年は律儀にもダンテに感謝を伝える。そんな少年の律儀な姿を見たダンテは機嫌よく、少年の頭をかき混ぜるように撫でて、豪快に笑った。

「さ、本部はすぐ近くだか、ら……」

 少年を連れて歩き出したダンテだったが、急に言葉を途切れさせて立ち止まり、車が走る大通りを挟んだ向かい側の歩道を見る。つられた少年が、ダンテの視線を追いかけると。

「ケンカ、ですかね」

 向こうの歩道に数名の人影が集まって、何やら騒いでいる様子が見えた。そう言った少年は首を傾げ、ダンテの方を見上げる。視線を受けるとダンテは頷いて、小さく息を吐いた。

「だな。種族だけじゃなくて、訳ありの奴らも多く集まるこの街じゃ、ケンカなんてそう珍しくないからな」

「そうなんですね。さっきの店では、そうは感じませんでしたけど」

 先程出てきたばかりのカフェの、和気藹々とした穏やかな中の様子を思い返すように顎に指をあてて、少年が小首を傾げていると、ダンテは小さく笑って少年の肩に手を置いた。

「まぁ要するに、ああいうのも多いから一人でふらふらと外を歩かないようになって事だ。そこに気を付けておけば……」

 そう言いながらだんだんと声が小さくなっていき、言葉が途中で止まった事に気づき少年はダンテを見上げる。目を細めて眉の上に指を揃えた掌の人差し指側を当て、向かいの歩道をじっくりと観察していたダンテだったが、やがて目を閉じ眉間を押さえた。

「……ちょっと、大人しくしててくれよ」

「えっ?う、うわあああ」

 そう言うが早いか、自分と同じようなポーズで向かいの路地を見ていた少年を、軽々と小脇に抱えると、ダンテは車が行きかう大通りを横切って行く。

少年の小さな悲鳴も、急ブレーキを踏む車のクラクションも無視して、真っ直ぐ向かいの歩道へと向かっていく。すると揉めていた人物たちが、少年の目にもはっきりと見えてくる。どうやら揉めている三人の男の周りを、野次馬が囲んでいるようだった。

「だから、テメェらがぶつかりに来たんだろうが」

「ぶつかったのはそっちだろうが!」

「そうだ!やるってのか綺麗な兄ちゃんよぉ!」

「っとに、ごちゃごちゃと喧しいな筋肉ダルマが……」

 大声でがなり立てる筋骨たくましい二人の男の声に対して、気だるそうな、それでいて不機嫌そうな声が少年の耳に届く。どこかで聞いたことのある声だなと、その声の主を確認しようと顔を必死にあげる。ようやく野次馬の隙間から、そこに居た三人の男の内の一人を見つけると、目を丸くして唖然と口を開けた。

 昼間の光を受けて艶やかな光を帯びる黒髪に、透き通るような青の瞳、整った目鼻立ちと光るような白い肌。180㎝ほどの長身を包むのは、腰の辺りには大ぶりのベルトがまかれ、黒のショートコートに、黒のパンツとそれらと同色のブーツ。少年が既視感を感じる、黒い革の手袋に包まれた手に握られた、黒光りする銃身に金の装飾の入った、大ぶりの拳銃。

「そんなもん出しやがって、やるってのか!」

 額から空に向かって伸びる立派な角の生えた男と、頭の横で渦のようにねじれる大きな角の生えた大男の二人組に、わかりやすく絡まれている人物。それは紛れもなく、昼食前に分かれ別行動を取っていたはずの、ヨハンだった。

「だ、ダンテさん!ヨハンさんが!」

「もー、すぐ喧嘩を買うんだからなぁ……」

 どんどん一触即発の雰囲気になって行く三人の様子に、慌てて少年がダンテを見上げるが、ダンテは特に焦った様子もなく、それどころかすこし呆れたような様子でそうつぶやいた。小脇に抱えられたままの少年が、その言葉に首を傾げていると、はたと気づいたように少年を見たダンテによって、ゆっくりと丁寧に降ろされた。

「あー、大丈夫か?気分悪くなってないか?」

「大丈夫……じゃなくて!ヨハンさんを助けなくていいんですか⁉」

 特に焦る様子もなく申し訳なさそうにしているダンテに、少年は焦った様子で声をあげる。すると目を丸くしたダンテが意味深に笑うと、少年の手を引き、野次馬の中へと歩いていく。挑発し合う三人の様子がはっきりと見える位置まで来ると、後ろに居た少年を自分の身体の前に来させて、ダンテは少年の肩を後ろから抱えるように固定して。

「大丈夫だよ、見てな」

 そう少年に耳打ちすると、ダンテはにこりと笑った。そう言うことではないと少年が抗議の為に口を開きかけたとき、周りの野次馬から野次にも似た歓声が飛ぶ。

「そんな玩具が、俺達の身体に効くと思うなよ!」

「ふーん、確かにお前らには勿体無いな」

 そう言うと、あっさりホルスターに銃を収めるヨハンは、冷めた瞳を二人の男に向ける。その視線に、男が憤慨して吠えた。

「言いやがったな!その綺麗な顔を潰してやる!」

「もったいぶってないで、さっさとかかってこい。秒で沈めてやるよ」

 びりびりと空気を震わせるような男の迫力ある声に、平然と、むしろ楽しんでいるかのように不敵に笑ったヨハンは、人差し指を軽く2回まげてかかってこいと男たちを挑発する。男はそれを見て、今にも飛びかかりそうなほどの怒号をあげた。

「テメェ!ミンチにしてやる!」

「ヨハンさん!」

 その場が爆発したかのような勢いで、ヨハンの倍ほどもありそうな巨体が突進していく。ヨハンは、暴れ牛のように突進してくる姿を見ても、片足に体重をかけた姿勢で、口端を吊り上げ見つめているだけである。これから起こるであろう、凄惨な暴力を予想した少年の叫び声は、辺りから上がった血を期待する獰猛な歓声にかき消される。

「……え」

 しかし次の瞬間、血しぶきを上げたのは、ヨハンめがけて突進した男の方だった。

「な、んで」

 ヨハンめがけて突進したはずが、ビルの壁に激突した男は、額から血が流れる顔のまま、振り返り喘ぐように声を絞り出す。そこには信じられないと言わんばかりの愕然とした感情がありありと浮かび、見開かれた目には血走り恐怖が芽生えているのがわかる。そんな男の様子とは対照的に、ヨハンが先程と同じように口の端を吊り上げ、傷の一つもなくその場に佇んでいる。少年は目の前のわずかな間に訪れた結果が、己の予期した結果とは真逆のものとなったことに、口を開けたまま唖然として二人を見ていた。

 ヨハンの身体が揺らめくように揺れたかと思うと、唖然として見ていた少年の目には、追えないほどの速度で恐怖に慄く男の目前に迫る。血を流している角のある男は、咄嗟に体の前に握った拳を顔の前まで上げて構えた。

 しかし男が構えた腕の中、ヨハンがその懐に飛び込む方が早く、男の下がった顎を掌底が鋭く跳ねあげた。辺りに小気味いい音が響き、ヨハンが最初に、男たちへ宣言した通り、瞬く間に角のある男は白目をむいて、地面へと仰向けにどうと音をたて倒されてしまった。

「て、てめぇ!どんな手品を使いやがった!」

 目の前でヨハンに足払いを掛けられ壁に激突した挙句、鮮やかに一撃で倒されてしまった男を信じられないとばかりに呆然と見ていたもうひとりの男。男は目の前で起こったことがようやく処理できたのか、逆上し雷のような咆哮を上げる。

「<リイン・ストレングス>!」

 男の咆哮が響いた途端、男の逞しい身体がぼんやりとした光を纏い、その筋肉は先程よりも、ひとまわり大きく膨れ上がったように少年には見えた。目の前で起こった不可思議な事に目を白黒させた少年に、辺りを囲んでいる他の野次馬から自身の身体を盾にして、少年の小さな体を支えていたダンテが、少年に聞こえるように耳打ちしてくる。

「あれがアグリコラの十八番、肉体強化魔法だ」

「あぐりこら……?魔法……」

 少年が不思議そうにダンテの方を見ると、ダンテはそうだったと呟き、目を丸くしている少年に補足を始める。

「あ~、さっき会ったろ?マリリンちゃんや、そこの角生えたムキムキ野郎たちのことだ。あの魔法は、そのアグリコラが得意としている魔法の一つ。文字通り身体能力が飛躍的に上げて、身体能力の限界を引き上げる」

 ダンテの説明を聞きながら、目の前で起こる事を見逃すまいと、少年は目を大きく開いてヨハンの背をじっと見つめた。対峙した二人にはもともと大きな体格差があり、それはヨハンの身体が華奢に見えるほどの差だった。

 しかし男の肉体が魔法で強化された今では、男に少し押されればヨハンが吹き飛んでしまうのではないかと思わせるほど、アグリコラの身体はさらに大きく膨れ上がり、対角の差は初めよりも大きなものになっていた。

 元より一回り太くなった腕には、太い血管が異常なほど浮かんでおり、広背筋は男が背を丸めたかのかと思わせるほど膨れ上がっていた。着ていた衣服が破けるほど肥大してしまった男を見て、ヨハンは深々ため息を吐く。

「水の中で触られたフグみたいにでかくなりやがって、恥ずかしくねーのか」

 アグリコラの男を見上げたヨハンが、やれやれと言った様子で言う。それは彼が目の前の凶悪なまでの肉体を持つ男を、全くと言っていいほど危険視していない事の現れだった。その端正な顔に浮かべた凶悪ともいうべき笑みから、それが嗤笑であることは誰の目にも明らかだった。

「余裕ぶったそのキレ―な顔を潰すのが楽しみだぜ!」

 血走る眼をぎょろりとヨハンに向けたアグリコラの男は口元を歪ませ、粗野な笑みを浮かべ足を踏みしめる。するとただそれだけで足の下にある歩道の舗装ブロックに、音を立てひびが入った。

 男が態勢を低くして腰を落とすと、あれほど膨れ上がった巨体が、急に少年の目の前から掻き消える。少なくとも、少年の目には消えたように見えたのだ。男の足元で砕かれたブロックが跳ねあげられ、それとほぼ同時に、鉄球がビルを砕くような激しい音が響いた。

「うわぁ!」

 轟音と共に少年の足に地面を通して伝ってきた振動が、その衝撃の大きさを物語る。ぐらぐらと揺れる体を、ダンテの大きな手に支えられながら、少年が慌てて先程ヨハンが立っていた場所を見る。その場所にはアグリコラの男の拳が舗装ブロックを砕き、道路に太い腕が突き刺さっていた。

「チィ!ちょこまかと動くんじゃねえ!」

 しかし無残に割れたセラミックブロックが辺りに散らばっただけで、ヨハンの姿はすでにそこにはなかった。アグリコラの男の憎々しげな声が、先程立っていたところから1歩離れたところに移動しているヨハンに叩きつけられるが、当の本人は楽しそうな笑い声をあげる。

「いよいよ、()()()なってきたじゃねえか、三下」

「ほざきやがれ!」

 この時、歩道を拳で破壊したアグリコラの男よりも、楽しそうに口端を吊り上げているヨハンの方にこそ、言い様のない恐怖を感じて、少年は体を震わせる。少年の肩からその怯えを感じたダンテは、少年の頭を無造作に撫でると、最後に二回、少年の両肩を押さえるように叩いた。そんななだめるような行動で、少年はやっと強張らせていた体から、少しだけ力が抜けるのを他人事のように感じていた。

「うおおおおおおお!」

 一つ一つがすさまじい破壊力をもつであろう、運悪く顔面を捉えれば頭ごと弾けそうなほどの強力な拳は、周りの空気を巻き込みすさまじい拳圧を生む。しかしその一つ一つの拳撃は、ヨハンを捉えることは無く空をきり続け、男は焦りと怒りの滲む獣のような咆哮を上げた。

 スタンスを広げ、体をねじるように構えた男の拳が、低く落とされた腰からの回転を使い、地面を擦るほど低い位置からヨハンの顔めがけて振り上げられる。拳圧が空気を叩き、その音が辺りに響くほど、かすっただけでも吹き飛ばされてしまう、とてつもない威力を持ったものだと、瞬間的にその様子を見ていた誰もが察する。

 しかし、ヨハンは向かってくる拳を、腕の下へ潜り込むように体を滑らせ事もなげに避ける。そればかりではない。空を切り、勢いよく伸びきった男の太い腕の肘の、その靭帯部分に、固く握った拳を打ちこんだのだ。

「ぐっ!」

 打ち据えられた肘から広がった、痺れるような鋭い痛みに、苦悶の表情を浮かべて引き攣った声を上げた男が、怯んで腕を引く。

「なっ!」

 咄嗟に引いた腕と共に、ヨハンは男の懐に飛び込んだ。目を見張った男は慌てて、飛び込んできた追跡者の頭に左のフックを打ち付けようと手を出すが、それよりもずっと早く、肘を打ち据えた鋭い拳が、今度は男のがら空きになった脇腹に突き刺さった。

「げはぁ!」

 枯れ枝を勢いよく割るような音が周囲に響く。そして電光石火の攻撃のあとにも関わらず、ヨハンはそのまま、素早く男から一歩距離を取った。間髪入れずにくるりと身をひるがえすと、大きく口を開けて呻いた男の鳩尾に向かって、勢いよく後ろ回し蹴りを繰り出す。

 それは、生身の体を打った音とは思えない程、大きく鈍い音が周囲に響く。強烈な一撃にアグリコラの男の巨体が、くの字に曲がり膝をついた。がくがくと顎を揺らし嗚咽を漏らして涎を流した男の口から、ごぼりという気泡混じりの水音とともに吐瀉物があふれ出し、歩道のブロック舗装を勢いよく汚した。

「あーくそ、朝から汚ねえ事ばっかだなクソが!」

 ヨハンは不機嫌に満ちた低い声で言うと一通り吐瀉物を吐き出した男の頭を、サッカーボールでも蹴るように蹴りとばす。防御もできず頭を跳ね上げられた男は、地面に倒れて苦悶の表情でうめき声をあげた。

 そこで、ケンカを取り囲んで囃し立てていた野次馬から歓声が上がる。

「今日はちょっと時間かかったじゃねぇかヨハン!」

「遊んでんじゃねえよ!」

 口々にヨハンに声を掛ける野次馬の言葉を聞きながら、少年は自分の認識が初めから間違っていた事に、ようやく気が付いた。

 野次馬が期待していたのはヨハンが殴られ凄惨な姿になることではなく、筋骨たくましい大男二人が、見目麗しいヨハンによって簡単に倒される姿だったのだ。少年がそれに気が付いたとき、彼の体の震えは完全に治まり、口からは安堵のため息が漏れた。

 周りからの歓声の中でうめき声をあげている男を、冷ややかに見つめたヨハンだったが、野次馬の中にダンテと少年が居ることに気が付くと、顔を顰めて二人の方へ歩いていく。

「なんだよダンテ、見てたんなら手伝えよ」

 眉は顰めているが楽しそうなヨハンから、二人の巨漢を薙倒した拳が、ゆるやかに突き出されると、ヨハンの拳を掌で受け止めて、ダンテはにやりと笑う。

「アグリコラの兄さん達が喧嘩早いのを知っていて、ケンカ買ったのはヨハンだろ」

「うぐ……」

 にやにやと笑って言ったダンテの言葉に、ヨハンが言葉を詰まらせると肩を竦めて視線をそらす。逸らした先で二人のやり取りを見上げていた少年の、不思議そうな瞳と視線がかち合うと、ヨハンは視線をまた別方向へとそらして頬をかいた。

 すると不意に、静かになっていた野次馬から、再び歓声が上がる。少年は不思議に思い、ヨハンの身体の横から身を乗り出して歓声の上がった方を見、そして大きく目を見開いた。

「ヨハンさん危ない!」

 ダンテと他愛ないやり取りを続けているヨハンの腕を掴んで、その身体を横に引く。急に腕を引かれて体のバランスを崩したヨハンが、歯を食いしばり、体を捻って少年が見ていた方を振り返ると、先に額から血を流して地面に倒れたアグリコラの男が、すぐそこまで迫っていた。

「ちっ!オイ離――― !」

 先程ヨハンに倒された男同様、魔法によって強化され、異様に膨れ上がった男の拳が、二人に向かって迫ってくる。

 高い位置から放たれた殴打の拳、その軌道はヨハンを狙ってのものだった。ただそれはヨハンを護ろうと腕を引いた少年により、その拳は目を固く閉じ、身を固めている少年を捉えるものとなっていた。ヨハンは少年を怒鳴りつけようとしたが、迫る拳の軌道を見てすぐその未発達な少年の体を、庇うように抱きしめた。

 男の拳が振り下ろされて、ヨハンの反応より早くその体を捉える。辺りに固いものを鞭で打ちつけたような、乾いた音が響き渡った。

「おいおい、もうケンカは終わっただろ」

 呆れたような、それでいて少しおどけたような言葉が、お互いを庇おうと、抱き合ったヨハンたちの頭の上から降ってくる。二人がはじかれたように顔を上げ、声の方を見ると、ヨハンの身体を捉えたはずの拳は、二人を庇うように伸ばされたダンテの掌に納まっていた。

「邪魔をするんじゃねぇ!」

 歩道の舗装ブロックを砕いたのと同じ凶暴な拳を、先ほどヨハンの拳を受け止めたのと変わらない様子で、笑みさえ浮かべて受け止めていた。お互いの身を庇いあい、歩道に倒れたヨハンと少年がダンテを見上げると、ダンテはその視線には答えずに男を剣呑な目つきで男を見据え、二人との間に割って入る。

「放しやがれこの野郎殺されて……――ぐあ⁉」

 男が腕を引こうとするが、ダンテの手の中に納まった男の拳はびくともしない。ヨハンに抱えられたまま、少年が目の前で起こった出来事に唖然としていると、喚きたてていた男が急にうめき声を上げた。

「あが、あ、ああああ!放せ!放せええええええ!」

 少年ははじめ何が起こっているのか理解できず、唖然として大男二人を見上げていたが、ダンテの手の中から軋むような音が立ち、乾いた音を立てて、男の太い指はあらぬ方向へと曲がった。ついに男が叫声を上げたことで、何が起こっているのか理解し息を飲む。

「負け犬はきっちり反省しろよ、……なぁ?」

 ダンテがそう言って二人の方を振り返り、同意を求めるように首を傾げて見せる。そうして、何かがつぶれるような嫌な音が、少年の耳にやけに大きく届いた。

「がああああっ!うで、おれの腕がああぁ」

「……折角だ。鏡見て、毎日ちゃんと反省できるようにしておいてやるかぁ」

 ダンテはしばらく無言で、呻くアグリコラの男を見つめていた。そのうち至極普通の、少年と食事をしていた時と変わらない様子と声色で、腕を押さえて絶叫しもだえる男の頭を鷲づかみ、自分の胸の高さまで引き下ろした。するとおもむろに男の頭に生えた、ねじれて上に向かって伸びている子供の腕より太い角を掴むと、小枝でも折るような気軽さで、その角をもぎり取ってしまった。

「ぎっ、げああああああああああああ……あああ……」

 頭を押さえて獣じみた悲痛な叫び声を上げた男は、ついに意識を失ったのか静かになって歩道に顔から崩れ落ち、それきり動かなくなった。呆然として男を見つめていた少年の肩に、いつの間にか少年から離れていたヨハンの手が置かれる。少年がゆっくりとヨハンの方を見ると、ヨハンが首を振って肩を竦めた。

「あいつアレで、別に怒ってるわけじゃねえからな」

 そう言うとダンテをどこか遠くを見つめるように見たヨハンにつられて、少年も手の中で先程折り取った男の角を弄んでいるダンテの背を同じような目で見つめた。

「ダンテちゃーん!今日の角折りも豪快だったね!」

「おいダンテ!今度はもっと派手なの頼むぜ!」

「なっ……俺そんなにケンカ買わないぞ!ったく……」

 野次馬から掛けられる言葉にやれやれとばかりにため息を吐きつつも、手の中の角を振り答えるダンテは、遠くを見つめるような視線を向けてきている二人に気が付いた様子で、笑みを浮かべる。

「なんだよ、そんな顔するなって……照れるだろ」

 そして何故かどこか照れくさそうに笑うダンテに、深いため息を落としたヨハンは、少年の首根を掴んで方向転換させて歩き出す。少年も、それに合わせて歩き出すと、その背をダンテの情けない声が二人の背を追ったのだった。

今回は少しだけ長めです。

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