[ 第三章 コール アンド レスポンス ] 1
ペン先のような形をした道具を持ち、意識を集中させると先端が薄らと光を帯びる。先端に魔力が乗った事を確認し、ヨハンは金属の表面を慎重に削っていく。掘るのはただの模様ではなく、一つ一つに意味がある魔法の術式だ。それを装飾品をとして、いかに美しく魅せるかが職人としての腕の見せ所でもある。
「ほえー…、すごい…」
一連の作業を隣で見ていたノアの口から、思わず感嘆の声が漏れた。
普段は粗暴で大雑把に物を扱うヨハンの指先は、意外と器用で繊細な動きをする。するすると描き出される幾何学の紋様は細かく、それでいて美しい。しかもバングルの外側ではなく、あえて内側に刻むという小粋さ。そちらの方が手間もかかるだとうと言うのは想像に難くない。意外な一面を見たと、ノアは感心しきりだった。
ヨハンは純粋に己を称賛してくるノアを横目に、呆れたようにため息を吐いた。
「あのな。こんな魔道具なんかより、普段お前がいじるマキナの方が圧倒的に難解で高度な技術だ。嫌味にしか聞こえねぇ」
「こんなとは何ですかこんなとは! ヨハンさんだって立派な職人技の域ですよそれ。もっと胸張ってください。なんて言うか、僕も俄然創作意欲が湧いてきました。オルトリンデはどこですか整備します」
「……ベッドの上のホルスター」
ノアは自分の得意分野に関わることはたちまち饒舌になる。相手にしきれないと判断したヨハンは、短く言った。
ヨハンが使うベッドの上はと言えば、トレードマークの漆黒のコートと一緒に無造作に脱ぎ捨てられた装備たちと、起きたままの布団でぐちゃぐちゃの状態だった。
「あー! なんて扱いを……可哀想に……。一日でこんなに散らかせるなんてどうかしてます」
救出したオルトリンデを胸に抱いて嘆いているノアは無視して、ヨハンは黙々と作業を進めていく。本来なら魔道具としての出来が左右される、最も集中力を要する作業だ。あまり拘りがないのかこの程度で害されると思ってはいないのか、ヨハンは特に咎めたりはせず好きにさせていた。
自らも作業に集中しだしたノアが静かになった頃、ドアをノックする音が鳴った。彫金もほとんど終わりかけていたヨハンが席を立ち、オートロックの扉を開ける。顔を出したダンテが、垂れた目を細めて笑った。
「ただいま。みんなで夕飯行こうって話してたんだけど、ヨハンはどう? 焼肉」
ダンテの背後から、NoaHのメンバーが勢揃いでヨハンを見ていた。ヨハンは僅か逡巡するように眉間に皺を寄せたが、すぐ頷いた。
「俺は……まあ、いいけど」
その返答に片手で小さくガッツポーズを作ったのはレンだ。
「やった。断られるかもなんてちょっと心配だったんで。あ、ちなみに割り勘ね」
「と言うわけで、俺たちは先にロビーで待ってるから、二人とも準備出来たら来てくれ」
ぱちんとウインクして、ダンテは扉を閉めた。
後頭部を掻きながらのしのしと戻ってくるヨハンに、ノアは顔を上げた。
「意外ですね」
「何が」
「みんなでご飯とか、そう言うのは苦手なのかなって思ってました」
工具を片付けながらノアは言う。
最近になって親しいと言える距離になったノアだから分かる。ヨハンは薄情ではないが、他人とはあえて距離をとりたがっている。ただの性格と片づけてしまえばそれまでだが、あるいはその行動の根底には何かが。兎にも角にも、ヨハンがあまり親しくない他人と大人数で食事など好まない人間なのは、ノアにも分かる。
「あのな。私情で依頼者ほっといて、何かあったらどうする」
オルトリンデを収納したホルスターを装着しながら、ヨハンは呆れの混じった声音で言った。
「えっ、仕事のため?」
「当たり前だろうが」
「いつの間にか仲良くなったのかなって思ったのに……ドライだ……」
「お遊び気分じゃねぇんだよ。さっさと準備しろよ」
ヨハンはすでにコートを着て、準備万全といった風だった。
「あっちょ、待ってください!」
ヨハンは焦るノアの声を背中に受けながら、ドアノブに手をかけた。
◆
「明日から三日間が正念場だ。みんな、頑張ろうな」
仕切りによって区切られた個室は、食欲の唆る香りと音で満ちている。レンの、スピーチと言うほどではない短い挨拶を皮切りに、グラスを軽快にぶつけ合った。
みな各々好みの酒を飲む中で、ノアだけは子どもなのでジュースである。意外にも仕事には忠実なのかと思いきや生ビールの中ジョッキを煽る二人を見て、ノアは自分のオレンジジュースが入ったグラスを握りながらがっくりと肩を落とした。二人曰く、これくらい飲んだ内に入らない、とのこと。
肉を網目の上に置いてせっせと焼くのは、ダンテだ。焼けた側からヨハンが掻っ攫っていく上、それでいて抜かりなくノアの皿にも焼けた肉を入れてくれる。いつ食べているのか心配になるほどだが、聞いてもちゃんと食ってるさと返ってくるのでどうしようもない。見れば、ダンテと同じ世話焼きの人間がもう一人。同じように手際よく肉を焼き、仲間に配ってるのはエドだった。
どこにでも、手際が良くて世話焼きな人はいるものだな、とノアは感心した。
「そろそろ追加頼むか。何か希望ある?」
注文用のタブレット端末を手に取り、ダンテは言った。
「あざす。俺たち鳥以外なら何でもオッケーっす」
だいぶ砕けた口調になったレンは親指を立てた。ダンテがわずか片眉を上げた後、納得したように頷いた。
「オルニットの人らって多いよな」
「そうなんだよね。平気な人もいるけど、どうも共食い感が拭えないと言うか」
エドの言葉に、NoaHのメンバーたちはうんうんと頷き合っている。
「逆にアグリコラは牛がダメとか、あるんですか?」
レンは曇りなき眼で注文をタップしているダンテを見た。
ヨハンが飲んでいたビールを盛大に吹き出し、横にいたノアが汚い! と叫ぶ。
「いやいや、何か勘違いしてるみたいだけど、俺アグリコラじゃないよ」
「へ?」
「角。ないでしょ?」
ダンテがこめかみの辺りを指しながら言った。もちろん、そこには何もない。レンが愕然とした顔になる。
「え……、ヒューマ……なんですか……? ダンテさんかなり体格もいいし、てっきり角のないアグリコラなのかと……」
「角が無いこう言う形のものはヒューマでしょうが」
「あの、お二人とも。もうそこまでにして下さい……ヨハンさんが死んでしまいます。主に腹筋が」
ノアが言った通り、ヨハンはテーブルに額を押しつけて震えていた。ふいに、細められた青い瞳がダンテを見上げる。
「ヒューマにしては……、すげぇゴリラだってよ……ぷふっ」
「ちょっとヨハン! 笑い過ぎなんだけど!」
「ほんっとすみません!」
勘違いだったと気付いたレンは必死でダンテに頭を下げる。
「それを言ったらレンの方がアグリコラだろどう考えても」
「うっ、俺は角くらいしかアグリコラの要素持ってないから……チビだし……、筋肉もつかないし……」
せめてオストくらい身長が欲しかったと言うが、せめての割にかなり高望みしている。何せ彼女は、アグリコラと勘違いされるダンテよりも背が高い。
「種族と言えばこう! みたいなあるある話はあるけどさ。俺ドラゴンは初めて見たよ。すげー緊張したけど、ほんと見た目人間と変わらなくてびっくりした」
「ドラゴン……?」
興奮気味に語るエドに、ノアは首を傾げた。
「あれ、ノアくん知らなかったの? イスラフィルのキングはドラゴンだって、有名な話だよ」
「あ、いや。僕はまだ新人で……、全っ然知らなかったです」
ノアはびっくりしてダンテとヨハンを見る。そう言えばそうか、とダンテは一人納得した。
「ノア。驚くかもしれないが、ボスはドラゴンなんだぜ」
「いや今それらしく言われても」
わざと神妙な顔を作りあっさりと肯定するダンテに、ノアは脱力した。
しかし。ドラゴンと言えば、思い浮かべるのは大きな爬虫類の様な姿に鋭い牙と爪。そして火を吹く怪物だ。確かに睨まれるととんでもなく怖いが、あの小柄で綺麗な女性らしい姿からは想像もつかない。
「僕、五つの種族は教えてもらったんですけど他にもあったんですね…」
「人間と変わらない姿と、人間と同等以上の知性がある生き物も、数は少ないけれどいるよ。まとめてザインと言う種族に分類されている。果たして彼らは人間と呼んでもいいのか。とある学者の話だよ」
ちょっとした人権問題になるけどな、とエドは眉を困らせて笑う。
では、次元の境目を越え、受肉したノアはどうだろう。明らかに人として生まれていないが、肉体は人間と同じものらしい。確かに何と分類するのが適切なのか、言葉が見つからない。
「ドラゴン以外だと、珍しいのはヴァンパイアとか」
ぽつりと呟いたオストに、ノアははっと思考に沈みかけた意識を浮上させた。
「ヴァンパイア?」
「いやいやオスト、彼らは確かにザインとして分類されているけど歴とした人間種だ。ホラー映画の題材になりがちだけど、あっちは特徴だけ一人歩きして全く別物の怪物になっている」
エドは興味を持った様子のノアに、説明するように語る。
「人間離れした身体能力と、血のように赤い瞳が特徴で、別に昼間に外に出られないとかそういう訳ではない。人の血を飲むと言う特異性から色々あって、今は絶滅寸前なんだ。あんまり気分のいい話じゃないけど、ノアくんくらいの歳ならそろそろ歴史の授業で習うと思うな」
なるほど世の中にはまだ教えてもらっていない種族がいるらしい。
熱心に頷きながらノアは、ふと記憶の隅に何かが引っかかった。血のように赤い瞳。どこかで見たような気がするが、思い出せない。隣に座るヨハンの表情が一瞬翳ったことに、気が付かないまま。




