[ 第二章 blood line ] 2
スタジオ近くのホテルに滞在しているレンたちの隣室を用意してもらったダンテたちは、契約期間中はそこで生活することになった。
朝日が顔を出し始めた辺りの、まだ早朝と言える時刻だった。ダンテたちが滞在する部屋のドアが、けたたましく叩かれる。まだ九割意識が睡眠状態のヨハンを置いて、ダンテが出た。
「レン、そっちに来てないか?」
寝起きの恰好のまま、明らかに焦った様子のエドだった。
「いや、来てないが…」
「起きたら散歩行くって書置きだけ残ってて、電話しても全然連絡つかねぇんだ。オストのところにも来てないって…、くそっ、一人になるなって言ってるそばからあのバカ」
ダンテはがりがりと頭を掻きむしるエドの肩に手を置いた。
「まあ落ち着けよ。俺とヨハンで外を見てくるから、ホテル内は任せてもいいか?」
「あ、ああ…分かった」
ダンテの穏やかな口調に、落ち着きを取り戻したようだった。
「よし」
すぐさま行動に移すエドの背中を見送ると、ダンテは部屋の中を振り返った。
ベッドに座るまで体を起こしているのはまだいい。最高に朝が弱い相棒の頭部が、ふらふらと揺れている。どうやって引っ張って行こうか。あまり時間がないので、普段よりかなり雑な扱いでヨハンは叩き起こされるのだった。
◆
初夏の空気に、少し潮風が混ざっている。都会の海は特別に綺麗とは言い難いが、一見すると、そこまであからさまに汚れているようでもなかった。早朝に出歩く人は少なく、喧騒から切り離される貴重な瞬間。風と、遠くで唸る何かはよくわからない機械の微かな可動音が聞こえてくる程度だ。
一応自覚があったのか、ホテルから出たすぐの散歩用の歩道で、レンはすぐに見つかった。
「こんな所に居たのか」
ダンテは声をかける。
柵にもたれ静かに朝日を眺めていた青年は振り向いて、驚いた様子で瞳を見開いた。背中から生えた瑠璃色の羽が、さわりと揺れる。実年齢よりも童顔で、手足もすらりとしており、華奢な印象を受ける。無自覚に他人の庇護欲を掻き立てるのが上手い青年は、どこか途方に暮れた様子で佇んでいた。
「ダンテさんにヨハンさん」
「ダメじゃないか一人で行動したら。みんな心配してたぞ、帰ろう」
「すみません……」
苦笑気味に謝る声は、いつもの覇気が感じられなかった。俯きがちの視線は物憂げで、帰ることを躊躇しているようだった。
「……ところでレン。俺たち、朝からお前を探していたもんだから、朝食がまだなんだ」
何かを察した様子のダンテに、レンは戸惑う。こうして探しに来させる時点で、迷惑をかけているという自覚がレンにはあった。ちらと躊躇いがちに隣の人物に視線を投げても、ヨハンは何も発さない。
「一緒にどうだ?」
な、とウインクを飛ばされて、レンはようやくゆっくりと頷いた。
「じ、じゃあ……、行く。行きたい」
「良い子だ、二人には俺から連絡しとく」
ダンテは早速、スマートフォンを取り出し、素早くタップした。
◆
レンは面食らった顔でヨハンを見ていた。
ベーグルサンドのセットメニューを頼んだのはダンテとレン。一方、ヨハンの前に鎮座するのは三枚のパンケーキに加え、更にトッピングで生クリームを増量させている。長い指先が器用にナイフとフォークを操り、口へ運ぶ動きは淀みない。朝からは女性でも敬遠する者も多い重たい生クリームも、あっという間に胃袋の中へ収まっていく。意外ではあったが、中性的な外見も手伝ってか優雅な光景にすら見えた。
「甘いもの……好きなんですね」
ぴくりと片眉を跳ねさせて、切長の青い瞳が呟くレンを一瞥する。蛇に睨まれた小動物の心地だったが、一泊置くとヨハンは食事の手を再開させた。
「まあこの通り、ヨハンは甘いものに目がない」
微笑ましいものを見る目付きをしていたダンテが、一言も発さないヨハンの代わりに付け足した。
「さて食ったな。行くか」
ダンテの号令で、二人も立ち上がる。会計を済ませて店の外へ出れば、店に入る前に比べて人通りが増えていた。大型のショッピングモールも近くにあり、元々人の通りが多い道だ。
ダンテは瞳を眇め、鋭く通りを見渡した。
道行く人々の雑踏に混ざり、微かに混ざる、冷たい悪意を帯びた気配。レンを連れて歩きながら、ダンテはずっと感じていた。少し様子を見ていたが、着かず離れず、ずっと自分たちを監視している。
ちらとヨハンへ目配せする。ダンテの合図を受けとったヨハンは、すっと目を細めて応と返す。レンは気付いていない、その間わずか。
「あ、俺ちょっとトイレ。その辺で待っててくれ」
言うが早いか、ダンテは返事を待たず人混みへ歩き出していた。
何の気無しにその背を見送り、レンははたと気が付いた。
「……あれ、トイレあっちの方が早かったんじゃないか?」
ダンテが向かったのは、全く逆の方向だ。
「行くぞ」
首を傾げていると、短く言ったヨハンが歩き出す。レンはその背を慌てて追った。
二人のやり取りを背後に感じながら、ダンテは唇に小さく笑みを浮かべる。が、それもすぐに消え去った。表情筋を削ぎ落した能面のような顔に、眼だけが暗く光る。足取りは淀みなく細い路地へ。周囲の人間は誰も気にも留めない。喧騒が遠ざかったところで、ダンテは足を止めた。
行く手を阻むように、男が佇んている。厚みのある筋肉に覆われた、ダンテよりも更に大柄な男だった。捻れ上がり天を向く黒々とした立派な角は、アグリコラの証。角は大きく立派な程、力の象徴としてアグリコラでは良いものとされている。この男は中々立派なようで、さぞかし持て囃されるだろう。どこにでもいそうなカジュアルな服装しているが、冷たい光を宿した目だけが異質で、普通の人間ではないことを物語る。
「……あのジェナスの護衛か」
男がぽつりと口を開く。
ダンテは否定も肯定もせず、ただ口の端でだけ挑発的に笑った。
「大人しく手を引け。邪魔をするなら容赦しない」
予想通りだった。わざわざご丁寧に、忠告をしに来たようだ。ダンテは肩を竦めた。
「断るって言うしかないの分かってるだろ」
「……」
男が不気味に笑むと、その巨体が消えた。
「!?」
一瞬の衝撃。
気がついた時には、ウエイトがあるはずのダンテの身体は地へ倒され、背中から乗り上げた男に凄まじい力で締め上げられていた。
道端で喧嘩するチンピラよりも遥かに洗練された動き。相当の手練れである事は確かだ。
だが、それがどうした。
ダンテは構わず力を込めた。男は無表情のまま、ダンテを見下ろす。
「止めておけ。折れるぞ。素直に手を引けば命だけは見逃してやろう」
背中側へ捻り上げられた右腕と、体重を掛けられてのし掛かられた背中の骨が軋む。男の言う通り無理に動けば、腕どころか背中、最悪、首の骨が折れる。
だが聞く耳を持たないダンテは、更に力を込める。ギリギリと、緩まない拘束がダンテに食い込む。
「……ッ、」
男が困惑で息を飲む気配を感じながら、同時に、ばきんと、嫌な音がした。腕の骨が折れた。ダンテは尚も、振り解くために力を込め続ける。
正気の沙汰ではなかった。
骨折の激痛を耐えてえ尚、ダンテの力は緩むことはなかった。男も拘束を緩めない。ミシミシと、ダンテを苛む負荷が増す。
「…ぁああああ!!」
雄叫びが迸る。同時にばぎん、と一際大きな音が響き、男を吹き飛ばす。壁に激突した男は、衝撃に息を詰めた。
堪えながら男は、信じられない面持ちだった。力で押し負けた事ではない。
「あーあ、汚れちまった」
抑揚のない調子で呟いて、ただただ自然にダンテが立ち上がった。
無理な負荷で不自然な方向へ曲がった首を、なんでもない事のように、ダンテは己の手で無造作に元に戻した。
「お前は…、」
その先は言わせなかった。ダンテが動く。低い姿勢のまま間合いを詰めると、折れたはずの腕で掌底を繰り出した。顎に直撃したダンテの膂力が、直接脳を揺さぶる。
「がっ」
それでも倒れなかったのは、さすがと言えた。男はダンテの襟首を掴む。はずみでボタンが飛ぶ音が遠くで聞こえた。構わずダンテは拳を握る。男が引きずるより、ダンテが踏み込む方が早かった。
もはや聴き慣れた鈍い音が鳴る。今度は男の肋が砕けた音だ。さすがに効いたのか、傾いだ男の延髄へ肘を振り下ろす。派手な音を立てて地面へ激突した男は、そのままぴくりとも動かなくなった。
「……」
男の背にどかりと腰を下ろして、ダンテはポケットからスマートフォンを取り出した。電話帳から目当ての名前を見つけると、すぐさま電話をかける。
「よぉ久しぶり。愛しのダンテちゃんだぜ。俺の尻の下でゴミが一匹のびてるから早急に引き取りに来てくれ」
スピーカーの向こうから困惑した声が聞こえるが、ダンテは一方的に続けた。
「場所はポートヴィンス・ウェストパークの路地裏。位置はそっちに送ったから、五分で来てくれよな」
何やら抗議の声が聞こえたが、無理やり通話を切った。
一息ついて、ダンテは折れた右腕を確認する。痛みはなく通常通り動く。完全に治癒していた。さすがに首はまだズキズキと鈍く痛むが、普通に動くのに問題はない。知らない人間が見れば、大抵はこの男のように動揺して自滅してくれる。
ダンテは尻に敷いた男を見下ろした。はじめにレンを助けた時に次いで、この男。個人のやっかみではなく、組織立った何かに狙われているのではないかと言うダンテの疑念が益々強くなった。
あの時の相手は素人だったが、この男は明らかに戦闘訓練を受けている。それほど、連中は本気なのかもしれない。
一筋縄ではいかなさそうな胸騒ぎに、ダンテはもう一度スマートフォンを操作し始める。打てそうな手は、打っておいて損はないのだから。
◆
ダンテと別れた大通り。ちょうどすぐ目の前には噴水があり、周りにはベンチが並んでいた。ここならばダンテが後から合流してもすぐに分かるだろう。ヨハンが空いている一つにどかりと座り、長い脚を行儀悪く組む。レンはその隣に、おずおずと腰かけた。
誰とでもすぐに喋れるダンテが居なくなると、たちまち沈黙が下りる。レンは元々喋る方なので、そこはあまり苦にはならない。
気まずいのは、昨日のことを思い出すから。
「昨日は悪かったな」
レンの思考を知ってか知らずか、少しばかり唐突に、ヨハンはずっと閉じていた口を開いた。レンは始め、何を言われたのか分からなかった。
「え」
「変な事を言った。お前は気にするな」
全く視線は合わず、まるで独り言のようだった。
レンの様子がおかしかった事を気遣ってくれたのかもしれないと気が付いて、胸が熱くなった。
「そんな……いいんです。俺も、軽率な事を言ってしまいました」
謝れば、ヨハンはどうでもいいと言わんばかりにふんと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
不思議な魅力を持った人だと、レンは感じていた。芸能界で見目の良い人間はそれなりに見慣れていたが、それでも綺麗な人だと思う。行き交う人がちらちらとこちらを振り向くのは、レンの角と翼が珍しいだけではない。きっと皆、ヨハンの美貌に見惚れている。
「実は、昨日のヨハンさんみたいな言葉も結構もらうんだ。大抵は批判したいだけの中身のない言葉で、そういうのは無視していればいい。……でも」
レンは言葉を一旦区切り、小さく息を吸う。
「その中のごく一部には、実際に体験した人の声も、ある。その人たちにとって身を守る手段だったんだと思う。俺は、否定したいわけではないんだ。押し付けたいわけでもない。……寄り添うって、難しいね」
言いながら浮かべるレンの笑みには、いつもの覇気が無かった。
「……」
ヨハンは黙っている。でも、聞いていない訳ではないとレンには分かった。外見にそぐわない荒々しい言葉の一方で、繊細な精神を隠し持っている人だと思った。そのアンバランスさは、過去に何かあったせいだろうか。
もう少し、その不器用な優しさに甘えても、許されるだろうか。
「たまに、不安になるんだ。俺はオルニットでもなければアグリコラとも言えない。俺は、何なんだろう……なんてね。そんなこと考えちゃって。一人でほっつき歩いて迷惑かけてごめん」
エドにもオストにも言ったことがない、漠然とした不安だった。
周りを見ると、身体的特徴の無いヒューマや屈強で角のあるアグリコラ、そのほか多様な種族が道を行き交っている。異種族の者同士が、なにかしらの絆を育んでいる。エリュシオンならではの光景だった。
それでもやはり、二つの種族が交じり合った特徴を持った人間は、いない。
「別に」
ヨハンは気のなさそうな相槌を打った後、ちらとレンを見る。僅か思案げに視線をさ迷わせ、口を開いた。
「俺はそんなこと考えたこともないから知らねえけど。お前の仲間が、お前の名を呼べばそれでいいんじゃねえの」
まさか返ってくるとは思わなかった。しかも、そんなど真ん中を突いてくる様な言葉が。
レンは思わず目を見開いて弾かれて様にヨハンを見た。相変わらず、視線を合わせてはもらえなかった。
「……そうですね。俺は、俺だ」
レンは両手を固く握りしめ、気持ちを堪える。鼻の奥がツンとした。
「ヨハンさん、あなたはもしかして……」
言いかけて、レンは小さく首を振った。これ以上踏み込んでいい許可は、もらっていない。
「俺、この街に来てみたかったんです。種族に囚われないこの街で、俺たちの音楽をやってみたかった。血筋に負けるわけには、いかないんだ」
「……勝手にすれば」
変わらずそっけなく、ヨハンは言った。もう、彼に対して取っつきにくい印象は無くなっていた。




