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硝煙のエリュシオン  作者: すずなか
― Case1:Belphegor ―
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[ 第一章 遭遇] 1

 その少年は、暖かな日差しを浴びて、公園のベンチに座っていた。

 短く切りそろえられた芝生を跳ねまわる子犬と、それを追いかける少年たち。その少年たちを優しげな笑みで見守る女性たち。ベンチに座る少年は、走り回る少年たちよりはもっと、10歳ほどは年上だろうか。

 しかし彼はその輪に入ることもなく、公園全体をただぼんやりと眺めていた。

「……僕は、一体何でこんなところに居るんだろうか」

 顎に手をやり、眉間に皺を寄せ、首を傾げて、ため息と共にぽつりと出た言葉は、少年らしからぬそんな言葉だった。

「確か……」

 唸りながら、考えを巡らせようと瞳を閉じて深呼吸する。ここが公園だということはわかっているが、この公園の名前はわからなかった。


(確か、たしか……ダメだ、頭が真っ白で何もわからない)


 しかし、考えを巡らせようにも、全くと言っていいほど頭には何も浮かんでは来ず、少年は深いため息を落とす。途方に暮れた少年は、仕方がないので、もう一つの気になっている事に思考を移すことにした。


(横のベンチに座っている、この……お兄さんは、一体誰なのだろうか)


 少年の座るベンチの、その横にあるもう一つのベンチに座る男に思考を移す。少年は男にばれないように、控えめにその姿を窺い見る。もみあげの部分だけが長めな艶のある黒髪と、全身黒の衣服を身にまとった、顔だけ見れば一瞬女性かと思わせるほどの美丈夫。澄んだ青色の瞳が、綺麗だなと少年はぼんやり思った。

 しかし、そんな美しい容姿に似合わず、ふてぶてしく両肘を背もたれにかけ、長い足を放り出した格好をしている事に、少年は首を捻らずにはいられなかった。


(さっきから、なんだか一人で毒ついていて怖いんだよな……まさか知り合いじゃあないよな)


 少年はその可能性を、大きく頭を振って、希望を込めて否定する。


(知り合いじゃありませんように、知り合いじゃあありませんように)


 祈るように心の中で繰り返していると、少年の顔に影が落ちた。

 急に暗くなったことを不思議に思った少年が顔を上げると、思ったよりも近くに見知らぬ男の顔が現れた。少年は思わず盛大に体を跳ねさせ、急に現れた顔から少しでも遠ざかろうと顎を引く。

 すると、男が申し訳なさそうに眉を八の字にして笑顔を作る。

「やあ、ごめん。驚かせちゃったかな?僕はマルコム」

「あ……、ご丁寧に、どうも」

 人好きのする笑みを浮かべるふくよかな体型の男に、少年は首を傾けながらも、ぎこちない笑みを浮かべて会釈する。その様子を見つめた後、マルコムと名乗った男は嬉しそうに笑った。

「君、名前は?ご両親は一緒じゃないのかな?」

「え、あ、その、わかりません」

 マルコムからの問いかけに、少年は俯き気味に答えた。マルコムと名乗った男は、同情心に満ちた困った顔をして、少年に手を差し出した。

「そうか、それは大変だ。おいで、おじさんが交番まで連れて行ってあげよう」

 優しげな耳触りの良い声でそう言って、八の字眉はそのままに、器用に笑みを作って見せる。しばらくその顔を見つめていた少年だったが、差し出された手を取ろうとそっと手を伸ばすと、急にマルコムの姿がその視界から消えた。

「えっ?」

「おいテメェ、昼間っからこんな所でガキに手ェ出すなんて。中々いい度胸じゃねぇか」

 地を這うような重低音は、マルコムに代わって少年の前に現れた、黒づくめの男から響いていた。もちろんそれは先ほどから隣のベンチで苛ついていた男で、美しい容姿から這い出るどすのきいた声に少年は一人、恐怖に顔をひきつらせる。

「この変態クソ野郎、こんな所で堂々と誘拐とはずいぶん肝の据わった奴だな?」

 いつの間にか地面に倒れ込んだマルコムの膨らんだ腹を、固いブーツの底で容赦なく押さえつけながら、低い声でがら悪く罵る男。その様子からマルコムが黒づくめの男に蹴り飛ばされたのだとわかり、少年は恐怖で体を縮こまらせる。

 しかしすぐに自らの体を叱咤して、優しい声を掛けてくれたマルコムを助けるべく、意を決して声を掛けようと口を開いた。

「どうしたんだよ?そのおじさんにセクハラでもされたか?」

 少年が意を決して開いた口から声が出る前に、第三者の言葉が割り込んできて、少年は開いた口を静かに閉じ、恐る恐る声の方を振り返る。

 そこに居たのは鮮やかな金髪に健康的な褐色の肌、片方の眉尻や耳にたくさんあいたピアスと、高そうな白のスーツに、胸元まではだける派手な赤いシャツ。そしてやたらと体格のよい、文字通り見上げるほどの大男が、ピアスが開いている方の眉を吊り上げて首を傾げていた。

「馬鹿か、人買いだ」

 黒髪の美丈夫から不機嫌そうに吐き捨てられた言葉に、金髪の男は大きく目を見開いてから、恐る恐ると言った様子で口をひらく。

「え、ヨハンを買おうとした、とか?」

「アンタの耳に開いてんのはピアス通す穴だけか?なぁ」

 おずおずと言った短い金髪の頭を、間髪入れずにはたき倒した男だったが、それでも毒を抜かれたようにため息をついた。叩かれた男は、叩かれたところを摩り、不満げな声を漏らした。

「えー、酷くね?」

「それに、お前何ナチュラルに遅れて来てんだよ」

「えっ、俺時間通りに……いや、悪かったよ」

 そんな黒髪の男と金髪の男の軽い口調のやり取りを、少年はどこか遠い目をしながら見つめていた。一見、和やかに会話しているようではある。だが黒髪の男、特にそのブーツの下には呻く中年の男が芋虫のようにもぞもぞと動いているのだから、少年には和やかさのかけらも感じることはできなかった。


(よくもまあそこまで、するすると罵詈雑言が湧いて出てくるもんだなぁ)


 少年は現実から目を背けるために遠くを見つめ、黒髪の男の豊富な種類の罵詈雑言に感心していた。

 しかしガチンという重たい音とともに、昼下がりの平和を象徴したような平和な公園に全く似つかわしくない、黒光りする武器が少年の視界にかすめ、二度見するように黒髪の男の手元を見る。そしてそれが、遊底が引かれた音だと気付く。

 男の手に握られていたのは、暖かい光を受け冷たく光る重厚な造りの、金の装飾が施された拳銃だった。銃口を額に押し付けられ、マルコムの引き攣った悲鳴が上がると少年は慌てて声を上げる。

「ひぃぃ!助けてくれぇ!」

「えええ!?ちょ、アンタ何して……!」

 目の前で繰り広げられる光景に、思わず少年が声を荒げると、銃を押し付けた黒髪の男が肩越しに振り返り少年の方を見る。少年の不安そうな瞳とかち合い、口の端を吊り上げた男の瞳は全く笑っていない冷え冷えとしたもの。

「心配すんな、メタボ解消に協力してやるだけだ」

「一体どうやって!?ってそうじゃなくて!」

「大丈夫さ、少年」

 端正な顔に似合わぬ凶暴な笑みを浮かべた黒髪の男の台詞に、少年がさらに慌てて声を荒げると、隣でほほえましげに事の成り行きを見守っていた金髪の男が、少年の肩に手を置いて微笑んだ。厳めしい見た目とは裏腹な、穏やかそうな笑みを見て、胸をなでおろしたのも束の間。

「ヨハンはこの手の事に関してはプロだからな、安心していいぞ」

「一体何の専門家ですか!?いや、朗らかな笑みで何を言っているんですかアンタも!」

 ははは、と声を出して笑う大男に、少年は涙目にならざるをえず、他に頼りになりそうな大人がいないかと辺りを見回した。そうしてそこで、妙な違和感があることに気が付いた。

 辺りの人間はこの騒ぎにもかかわらず、騒ぎに気が付いていないのかのように和気藹々としている。穏やかな昼下がり、人の集まる公園という、平和の象徴のような景色のまま。危険な武器の存在など気にもかけない平和な景色は、いっそ異様さを感じるほどだった。

「あの、ヨハン、さん?もう、良いですから。助けてくださってありがとうございます、僕はもう大丈夫なので、マルコムさんを放してあげてください!」

 金髪の男が黒髪の男を呼んだ名前を思い出して呼びながら、必死にその腕に手を掛ける少年を、じっと見つめていた男・ヨハンは、大きなため息を吐く。

「……別にお前を助けた訳じゃねぇよ。俺はああいう人種がこの世の何より嫌いなだけだ」

 ヨハンは吐き捨てるように言い、あっさりと銃口をマルコムの額から離した。

「あーあー、きったねぇな。クソ」

 銃を仕舞いながら舌打ちすると、ヨハンは懐から煙草を取り出して火をつける。息を荒くして仰向けに倒れ込んでいるマルコムのズボンには、大きな染みが拡がっていた。マルコムは情けない悲鳴を漏らしながら染みを隠すように体を縮め、3人に背を向けて芝生を転がるように逃げて行った。

「それで」

 逃げていくマルコムに同情するような視線を送っていた少年は、急に掛けられた言葉に顔を上げる。少年に視線を合わせるように身を屈める金髪の男は、紫の瞳を細めて首を傾けた。

「俺の名前はダンテ。少年のお名前は?」

 少年の視線に合わせるために身をかがめ、凶悪な見た目に反して人懐っこい顔で笑った男・ダンテに聞かれ、少年は慌てて口を開くが、何か言う前に開いた口を閉じてしまう。

「どうした?」

 不思議そうに眼を丸くするダンテから、少年は視線を逸らす。そして、言いづらそうに口ごもり、不思議そうに見つめてくるダンテに、少年は観念したようにため息をついて、口を開いた。

「実は……」

 少年は自分が気が付いたらこの公園のベンチに座っていたこと、何故この公園に居るのかも分からないこと、そもそも自分は誰なのかすら、何もわからないことをダンテに話した。

 初めはにこやかにしていたダンテだったが、次第に顔を曇らせ、少年とヨハンを交互に見る。少し離れたところで煙草を吸っていたヨハンはダンテからの視線に気が付くと、煙草を足元に落として踏み消し、ため息をつきながら歩いてくる。

「おいガキ、ここがなんていう街か知ってるか」

「しりません」

 ヨハンの問いに、少年は間を開けずに首を振る。

「じゃあこの国の名前は?」

「わかりません」

 次の質問にもすぐに首を振る。

「お前の種族は?」

「種族?」

 多少呆れ気味に聞いたヨハンの言葉に、今度は不思議そうに首を傾ける。

「……、魔法ってわかるか」

「魔法ですか、うーん」

 いくつかの質問を繰り返し、最終的に首をひねって唸ってしまった少年の答えを聞き、ちらりとダンテを見て大きなため息を吐いたヨハンは、二人のやり取りを不思議そうに見つめていたダンテの方に向き直る。

「よしダンテ、とりあえず帰るか」

「えっ」

「えっ」

 そう言ってあっさりと踵を返そうとするヨハンに、ダンテと少年の声が重なる。そんな二人の様には全く気にもかけずに、ヨハンは続けて口を開く。

「おいダンテ、クソにそいつの事電話しとけ」

「え?どのクソ?」

 短いヨハンの言葉にダンテが首を傾げると、鋭い視線が返ってくる。

「DMOのクソだよ!分かんだろーがそのぐらい」

「あぁ、ヴィヴィアンか。わかった」

 ヨハンからの理不尽な言葉に文句も言わず、ダンテはスマートフォンを取り出し、どこかへと電話をかけ始める。何が何だかわからない少年は、不機嫌を隠しもしない様子のヨハンに恐る恐る話しかける。

「あの……」

「お前のそれは、あれだ。記憶喪失ってヤツだろ」

「はぁ、記憶喪失、ですか」

 ヨハンは驚くでもなく自分の言葉を鸚鵡返しをする少年を見やり、舌打ちして視線を逸らす。二人の間に何とも言えない空気が漂ったとき、丁度よくヨハンに後ろから声がかかった。

「ヨハン、DMO本部は昨晩の件で人がいないから、その子俺らのとこで預かるよう言われたけど、どうする?」

「ハァ!?ちょっと貸せ」

 ヨハンはダンテの手の中から、スマートフォンをひったくるようにして奪い、耳にあてるや否や怒気をはらんだ声で話し始める。

「お前どういうつもりだよ、中型アルスマグナ出現の公園に記憶喪失のガキが……いやそれは……」

 しかしがなり立てたのも束の間、語気がどんどん落ち着いていき、最終的には声を潜めて口元を覆いながらしゃべりだす。

 少年とダンテの近くから歩いて離れていく後ろ姿を見ながら、少年はダンテに先程ヨハンとダンテの会話の中で気になった事柄について、おずおずと質問をくちにした。

「あの、でぃーえむおーって、なんですか……?」

「……急に色んなことが起きすぎて目が回ってる気分だろ?座って話そうぜ」

 質問に答えが返ってないことも想像していた少年だったが、ダンテは厳つい見た目にそぐわぬ朗らかな笑みを浮かべ、かがんで視線を合わせてくる。そんな彼の行動に、ようやく肩からの力が抜け、少年から安堵のため息が漏れる。

 促されるままダンテと共にベンチへと腰を下ろし、ダンテを見上げた。

「お前、何か面白い目の色をしているな」

 見上げられて自然と目があうと、ダンテは物珍しそうに垂れた目を大きく開き、少年の瞳をまじまじと覗きこんできた。

「そう、ですか?」

「瞳の中に、色の違う……まあいいや、DMOだったか?」

 段々と顔を近づけられ、思わず後ずさった少年の瞳を眉間に皺を寄せて凝視していたが、ダンテは急に話を変えてにかりと笑う。肩透かしを食らったような気持ちのまま、少年はぎこちなく笑みを浮かべて頷いた。

「DMOっていうのは、次元管理機構っていう組織の通称。……国際的な組織で、どの国にも属さないし、どの国にも影響を受けない団体の事だ。主に次元エネルギーに関連するすべての事柄に関わってくる組織なんだが……まあ、詳しくは追々だな」

 話を聞きながら段々表情が曇っていく少年の顔を見て、不安にさせない為かダンテはそう言って片目を器用に閉じた。少年はそんなダンテの様子に気が付いていて、眉根を寄せ申し訳なさそうに朗らかに笑っているダンテ見上げる。

「すみません。よく、わからなくて」

 下を向いてしまった少年を見ていたダンテだったが、一つ息を吐いて、急にぐしゃぐしゃと、外向きに内向きに、元気に跳ねている少年のオレンジがかった赤毛を、かき混ぜるように撫でる。

「わ、ちょっ、何」

「まー、心配すんなって。とりあえずは、俺たちが面倒見てやるから」

「えっ……」

 目を丸くする少年はダンテを見たが、ダンテは少年の様子を気にした様子もなく立ち上がる。白いジャケットの背中が、少年の元から離れ、苛ついた様子でスマートフォンを握りしめているヨハンの方へと向かう。

「どうだった?」

「ダメだ。あのクソ、クソらしく何の役にも立ちやしねえ」

 先程よりも苛つきが大きくなった様子のヨハンは、大きなため息をつきながらスマートフォンをダンテに向かって投げてよこした。慣れた様子で投げられた物を受け取ったダンテは、ベンチに座っている少年の方を振り返りしてにかっと笑う。明るい笑顔を向けられてなぜか慌てて立ち上がった少年を確認すると、満足そうに頷いて歩き出す。

「じゃー、行きますかー」

「え、どこへ……」

「はぁ?どこへ……」

 二人に背を向け歩き出したダンテの陽気な言葉に、今度はだるそうなヨハンと少し怯えたような少年の声が重なって、その大きな背にかかる。

「ビョーインだよ」

 そう振り返らずにいったダンテの言葉に、残された二人は顔を見合わせ、慌ててダンテの背中を追う。ほどなくその背に追いついたヨハンが、その背にとび蹴りを浴びせたのだった。

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