第四章 紫電
月影郷に戻ったのは、あれから数日後のことだった。
村は変わっていなかった。
崩壊後の世界で、山に隠れたこの小さな村だけが、変わらない速度で時間が流れていた。老人たちが出てきた。頭を垂れた。何も言わなかった。言葉は必要なかった。
道場に入った。
板の間の匂いがした。稽古の汗の匂いが染みついた、あの匂いがした。陽太は少しの間、その匂いを吸い込んだ。父がいた場所だった。毎朝向き合ってきた場所だった。
紫電が温かくなった。
陽太は何も言わなかった。ただ頷いた。
一日目の朝、光が道場の隅で何かを触っていた。
棚に並んだ道具だった。手ぬぐいを広げたり、木刀を持ち上げようとしたり、何でも触った。興味が止まらないらしかった。
「これは?」光が聞いた。
「木刀だ」蒼が答えた。
「これは?」
「稽古用の手ぬぐいだ」
「これは?」
「……砥石だ」
光がまた別のものを手に取った。蒼が答えた。光がまた触った。蒼がまた答えた。
それがしばらく続いた。
やがて光が蒼の隣に来て、そのまま座った。蒼が前を向いたままでいた。光が蒼の袖を少し引っ張った。蒼が引っ張られた方向とは逆を向いた。
耳が赤かった。
陽太がそれを見て、笑いそうになって、飲み込んだ。結衣が小さく笑っていた。
二日目の夕方、結衣が台所にいた。
慧が来ていた。飄々とした顔で、刀を持たずに来ていた。白い上着だけが変わらなかった。少し痩せた気がしたが、目は変わらなかった。
「切り方、覚えてる?」慧が聞いた。
「覚えてますよ」結衣が笑った。「一枚一枚、厚さを揃えて」
「上手くなったねぇ」慧が隣に立った。「最初はばらばらだったんだけどね」
「慧さんが教えてくれたから」
慧が窓の外を見た。
山が見えた。空が見えた。雲が流れていた。慧は飄々と笑っていた。でもその目だけは、どこか遠くを見ていた。
結衣が慧の横顔を見た。何も言わなかった。ただ包丁を動かし続けた。
「……医者ってのも、悪くないかねぇ」慧が少しして言った。
「慧さんらしいですよ」結衣が言った。
「そうかねぇ」慧が笑った。「大和にそう言ってやりたよ。」
二人の間に、静かな時間が流れた。包丁の音だけがあった。
三日目の昼、蒼と光が並んで縁側に座っていた。
光が空を見ていた。蒼も空を見ていた。特に何かを話すわけではなかった。ただ並んで座っていた。
「蒼」光が言った。
「なんだ」
「……強い?」
「……何に対して」
光が少し考えた。
「全部に対して」
蒼が少し間を置いた。
「……まだ足りない」
「そっか」光が頷いた。
また沈黙になった。
しばらくして、光が蒼の腕にそっと寄りかかった。蒼が固まった。そのままでいた。払いのけなかった。前を向いたままでいた。
耳がまた赤くなっていた。
四日目の夜、陽太と結衣が並んで歩いていた。
村の外れだった。特に目的地があったわけではなかった。ただ歩いていた。月が出ていた。月影郷の月は大きかった。山に囲まれているから、空が近い気がした。
「陽太さん」
結衣が呼んだ。
「なんだ」陽太が答えた。
少し間があった。
結衣が前を向いたまま言った。
「……好きだよ」
陽太が止まった。
足が止まった。完全に止まった。
結衣も止まった。前を向いていた。月明かりの中で、横顔が見えた。耳が赤かった。
陽太はしばらく何も言えなかった。言葉を探した。でも言葉より先に、わかっていた。ずっとわかっていた。
「……俺も」
それだけだった。
結衣が陽太を見た。陽太が結衣を見た。月明かりだけがあった。
二人はまた歩き出した。今度は少し、距離が近かった。
五日目の朝、光が陽太に聞いた。
「陽太は……怖くないの?」
唐突だった。でも陽太は少し考えてから、答えた。
「怖いよ」
「そっか」光が頷いた。「……私も」
「何が怖いの?」
「……これから…」光が言った。「でも」
また間があった。
「……みんながいるから、いい」
陽太が光の頭に手を乗せた。光が陽太を見上げた。
「……そうだな」陽太が言った。「大丈夫…」
光が小さく頷いた。
六日目の夕方、蒼が道場で一人稽古をしていた。
型をやっていた。感情を込めて、型をやっていた。今まで感情を排除して動いていた体が、今は感情を燃料にして動いていた。動きが変わっていた。蒼自身はまだそれを言葉にできなかった。でも体が、変わっていることを知っていた。
光が道場の入口から覗いていた。
蒼が気づいた。止まった。
「見るな」
「……なんで」
「恥ずかしい」
光が「そっか」と言って、でも入口から離れなかった。蒼がため息をついた。でも稽古を再開した。
光が入口に座ってそれを見ていた。
蒼が何も言わなかった。
それでよかった。
七日目の朝だった。
陽太が皆の前に立った。
道場だった。全員がいた。蒼が前を向いていた。光が蒼の隣に座っていた。結衣が陽太を見ていた。慧が少し離れたところに立っていた。
誰も何も言わなかった。
わかっていた。全員が、どこかでわかっていた。一瞬一瞬を大事にするように動いていた陽太を、ずっと見ていた。急がずに、でも確かに、何かに向かっていることを、感じていた。
陽太が全員を見た。
蒼を見た。
光を見た。
慧を見た。
結衣を見た。
誰も何も言わなかった。
陽太が息を吸った。
「俺は守れたか?」
静かな声だった。
誰も答えなかった。
答えられなかった。答えることができなかった。答えようとすると、声が出なくなった。
最後に、結衣を見た。
結衣が泣いていた。笑っていた。両方だった。涙が頬を伝っていた。でも笑っていた。泣きながら笑っていた。
陽太が笑った。
光が差した。
道場の窓から、朝の光が入ってきた。でもそれだけではなかった。陽太の輪郭が、光に溶け始めていた。
端からだった。指先から。手から。腕から。少しずつ、少しずつ、世界の色に混ざっていくように、溶けていった。
光が立ち上がった。陽太に向かって歩いた。蒼の制止が間に合わなかった。光が陽太の手を握った。もう輪郭が薄かった。でも温かかった。
「……ありがとう」光が言った。
陽太が光の頭に手を乗せた。手が少し透けていた。でも確かに、触れていた。
「こっちこそ」
結衣が歩いてきた。陽太の隣に来た。手を取った。透けていた。でも握り返してくれた。
「陽太さん」
「うん」
「……また、話せる?」
陽太が少し笑った。
「たぶんな」
蒼が前に来た。何も言わなかった。ただ陽太を見た。陽太が蒼を見た。
「……しっかりやれよ、蒼」
「……わかってる」
慧が少し離れたところで見ていた。飄々とした顔だった。でも目が光っていた。
「……あんたはいい子だよ…」慧が小さく言った。「本当に…」
陽太の輪郭が、さらに薄くなっていった。
でも消えていくのではなかった。
世界に混ざっていくのだった。
道場の光に混ざった。朝の風に混ざった。山の空気に混ざった。月影郷の、この小さな村の全てに、少しずつ混ざっていった。
紫電が温かくなった。
月環がかすかに光った。
陽太がもう一度、全員を見た。
笑っていた。
ただ笑っていた。
陽太が、世界の一部になった。
風が吹いた。
道場の窓から、山の風が入ってきた。春の匂いがした。雪が溶け始めている匂いがした。土の匂いがした。
どこかで、鳥が鳴いた。
結衣が縁側に座っていた。
しばらくして、光が隣に来た。蒼がその向こうに来た。来たくて来たのか、光に引っ張られて来たのかは、わからなかった。
三人が並んで、空を見ていた。
慧が台所から「お茶でも飲むかい?」と声をかけた。誰も返事をしなかった。でも誰も動かなかった。
風が吹いた。
木々が揺れた。葉が揺れた。その揺れ方が、どこかに似ていた。
光が笑った。
蒼が少しだけ、目を細めた。
結衣が空を見上げたまま、小さく言った。
「……いるね」
誰も答えなかった。
でも全員が、知っていた。
── 第四章 了 ──
壊す力を持って生まれた者が、その力で世界を繋ぎ止め、初めて家族の内側に入る物語。
空の上のさらに上、宇宙?
いや、何処かわからない謎の空間…
1人男と2匹の鳥…
「ほんでさ、俺って死んだの?幽霊?」
「お前は真の鷹になったんだ!」
「はっ!バカじゃないのそんな事あるわけ無いでしょ!」
「はー…相変わらず…ツキ、お願い教えて…」
「はい、お任せ下さい!マスターはこの世界の一部になりました。」
「えっなんで?」
「そう言うプログラムですので…」
「……」
「マスターは世界を見守りつつ浄化なんかをしてもらったり、なんやかんや…」
「別にやらなくてもいいんだぞ。」
「えっそうなの?!」
「はい、自由意志です。」
「……」
「守り続けたいものがあるんじゃないか?」
「うん、ある……」
「一先ず世界を見て回ったらよいのでは…?」
「なるほど……」
「したをご覧ください…」
「おお!世界が見える…ツキ、ナビゲートしてくれる?」
「お任せ下さい!」
「では出発しますよ………」
空に紫色の稲妻が走った………
── 紫電 完結 ──




